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ブックマーク / www.mishimaga.com (9)

  • 第54回 生まれながらの|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    2016.09.09更新 午前中の対局に敗れたという一報が記者室に舞い込んでも、彼が昇段を逸することはないだろうな、という思いは変わらなかった。根拠はない。ただ、世の中にはそのような種類の人がいるのだ。 9月3日、将棋の棋士養成機関「三段リーグ」最終日。29人の三段がわずか2枠の四段(棋士)昇段を目指し、半年間にわたって続けた戦いに決着が着く一日だった。 普段は見知った人しかいない将棋会館が見知らぬ人々で埋め尽くされていた。今期からリーグに参加した藤井聡太三段が即昇段するかどうか、という注目は、もはや将棋界の範疇を超えていた。理由は単純で、彼がまだ14歳になったばかりの少年だからだ。 1954年、加藤一二三・現九段が史上最年少棋士となり「神武以来の天才」と言われたのは14歳7か月だった。藤井が昇段を果たせば、14歳2か月。62年ぶりに最年少記録を更新することになる。年少記録で続くのは谷川浩

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    ocs 2017/06/28
  • |数学の贈り物|みんなのミシマガジン

    数学について、いろいろな人と語り合う機会がある。もちろん数学が好きな人もいれば苦手な人もいる。数学の魅力について目を輝かせて語ってくれる人もいれば、それと同じくらいエネルギッシュに「なぜ自分は数学が苦手か」を熱弁してくる人もいる。 たとえば、「分数の割り算から意味がわからなくなった」「−1×−1=1の意味がわからなくてついていけなくなった」等々、「あるところまでは楽しかったのに、あるときからわからなくなった」と、数学の(苦い)思い出を語ってくれる人もいる。そういう人たちはなぜか、「意味がわからなくなった」ことを以て「挫折」と決めつけてしまっているようである。 だが、分数に割り算を導入したり、−1×−1=1と定めたりする瞬間に「意味がわからなくなる」のは、少しも恥ずべきことではない。誤解を恐れずに言えば、そこには端から「意味」などないからである。 分数の割り算や、負の数によるかけ算は、何か既

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    ocs 2016/07/08
  • 第50回 人工知能について語る時に羽生の語ること|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    2016.05.13更新 「人工知能と対戦してみたい思いはありますか?」 いつもの質問だ。 私は思った。 何度も繰り返された問いは、どこにも行き着かずに彷徨うことになるだろう。今までと同じように。 ところが、壇上の羽生善治は、照れ笑いと苦笑いを足して2で割ったような微笑を浮かべ、言った。 「えーっとですね。ちょっとタイミング的な問題が少しありまして、番組が放送されるのが5月15日なんですけど、その段階ではちょっとそのことについてはまだ何も言えないということなんです。まあ、あの...近々のうちに何かしらのアナウンスはあると思います。申し訳ありませんが、それ以上はまだ言えないんです」 解釈に幅はあるが、含みを持たせる言葉であることは間違いなかった。 羽生と人工知能(あるいはコンピュータ)の勝負という将棋界にとって極めて大きなテーマが動き始めていた。 5月9日、NHKスペシャル「天使か悪魔か 羽

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    ocs 2016/05/13
  • 第39回 表現者|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    乾杯を交わした後で、3日前の挑戦者決定戦での戦型選択の意表について行方尚史に尋ねた。 なぜ相振り飛車を選んだのか。大一番こそ普段通り戦うというのが勝負事の常識と言われているのでは、と。 彼は柔らかな口調で言った。 「今ひとつしっくり来ていなかったので、全てを変えなくちゃいけないと思ったんです。ちょっと飛びたいな、と。うん。飛びたいなと思った。僕の将棋は地味なので、飛びたいと思ったんです」 ちょっと飛びたい――。 ゾクゾクして、思わずニヤついてしまった。行方が選ぶ言葉は時々、鮮やかに生きることへの憧憬を漂わせている。 行方尚史は表現者である。もちろん盤上技術で、勝つことへあらゆる死力を尽くすことで表現する者。さらには生きる姿勢や流儀によって、自分とは何者かを伝え続けている存在だと思っている。棋士としての在り方、佇まいだけではない。彼の書いた文章を初めて読んだ時、心底そう思った。

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    ocs 2015/04/08
  • 第34回 羽生の一分、鳴り響く歌|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    あの時、羽生は何を見ていたのだろう。何を思っていたのだろう。 一分将棋の死線の上で。 秒読みの焦燥、確信した勝利、敗北の恐怖、恍惚、不安。 何も分からない。分からない。誰にも分からない。 午後10時29分、134手目。劣勢の豊島は△8二銀を着手する。終盤のセオリーをかなぐり捨てる執念の受けだ。揺らめき、くぐもっていた控室の熱は突然、大きな声になって発露された。 一分後、羽生の右手の指先は8二の地点へと伸び、豊島の銀を奪い上げる。9三にいた竜を切る驚愕の手順で踏み込んでいったのだ。 「うわああああ」 一目見て危険すぎる一手の出現に、検討陣は再び歓声とも悲鳴ともつかない声を上げた。 継ぎ盤を囲む棋士、報道陣、関係者の多くは口元を緩ませている。もちろん嘲笑ではない。苦笑でもない。ゾクゾクする高揚を得た時に人が見せる笑みだった。 まだ羽生の駒台には飛、銀2枚、香、歩5枚が乗っている

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    ocs 2014/10/30
  • 第27回 奪還 震える夜|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    極限の一刻に震えたのは指先ではなかった。 夜、8時2分。控室のモニターは対局室の2人を映している。自らの手番で考慮に入り、ゆらゆらと前後に揺れていた羽生の体が突然ビクッと震えた。続いて右手で頭を掻くと、前後への揺れはピタリと止まった。大きく息を吸い込むスゥーッという音が響く。そして、盤上を走らせていた視線はある一点から動かなくなった。 あの瞬間、羽生は発見したのかもしれない。名人を奪還する一手を。 21日、成田山新勝寺奥殿で指し継がれた第72期名人戦7番勝負第4局は形勢不明のまま最終盤に突入した。開幕から3連勝している挑戦者・羽生善治三冠、もう後のない森内俊之名人・竜王が盤を挟んでいる。両者が2階の対局室で放つ決戦の空気が下階まで流れ来たかのように、控室は奇妙な静寂に包まれていた。 羽生の放った勝負手▲4一金により、局面はさらに難解を極めた。部屋の中央では立会人の佐藤康光九段、木村一基

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    ocs 2014/05/24
  • 第26回 先駆者の訪問|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    前夜遅くまで続いた高熱のせいで、私の意識は朦朧としていた。 早朝、マスクを二重にして現場に向かう。無事に明治記念館まで辿り着いたが、頭はボーッとしたままだ。足元はふらついている。そんな状態だったから、羽生善治の姿が視界に入ったときは冗談抜きで幻覚ではなかろうかと思った。 いるはずのない人が目の前にいる不思議、そして緊張が私の感覚を少しずつ現実の世界へと呼び戻していった。 3月24日、第40期女流名人位戦の就位式が行われた。報知新聞主催の女流タイトル戦で5連覇を飾った里見香奈女流名人の戴冠を祝うパーティーである。主催社の担当記者としては、さすがに病欠というわけにはいかない一大行事だ。 棋戦ごとに開催される就位式は、将棋界で最も幸福なイベントと言っていい。棋士、女流棋士、関係者、報道陣らが集い、壇上のタイトル獲得者を祝福する。乾杯の声、女流棋士の華やかな和服姿、久しぶりの再会と談笑・・・

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    ocs 2014/05/01
  • 第21回 闘志について語るときに渡辺の語ること|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    年季が入りすぎて暖房が故障してしまったのか、喫茶店の店内はヒンヤリと底冷えがした。外にいるときとほとんど変わらないくらいだった。スラックスにドレス・シャツ一枚の渡辺明は「ちょっと寒いですね。着ていいですか?」と言って、例のウィンドブレーカーに袖をとおした。 ブルーマウンテンの香りに満ちていたはずのコーヒーカップは必然的に2つともカラになっている。「お代わり頼みます?」と提案すると、彼は「大丈夫です」と小さく言った。正直、遠慮は無用だった。私は熱いコーヒーを胃に流し込む欲求に駆られたが、忍耐の局面だ。話の続きを聞こう。 「ちょっと伺いにくいんですけど、やっぱり竜王位というのは特別なものだったんでしょうか」 過去9年間、彼が最も多く耳にした単語のひとつだろう。「竜王」という言葉の勇壮な響きを聞いて、渡辺は少し淋しそうな顔をした。私の問いかけが「・・・だった」と過去形だったせいかもしれない。迂

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    ocs 2014/03/30
  • 第25回 羽生について語るときに森内の語ること|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    あの日、森内俊之は思っていた。 勝負の熱の中で、誰にも知られず、1人きりで。 「対戦相手と戦いながら自分とも戦っていました。非常に重いものを背負いながら...。自分が先になってしまっていいものなのかと」 2007年6月29日。第65期名人戦7番勝負最終局。挑戦者・郷田真隆九段との最後の戦いの終盤、勝利を確信した。勝てば名人通算5期となり永世名人の資格を得る。通算4期で並ぶ羽生善治より先に将棋歴史に自らの名を刻むことになるのだ。「木村(義雄14世名人)、大山(康晴15世名人)、中原(誠16世名人)、谷川(浩司17世名人)と来て、次の永世名人は羽生さんがなるんだろうなーと誰もが思っていて、私も思っていたんですけど、自分が先に5期目を取りそうになった時、なんて言うんでしょうか...葛藤がありました」  将棋界について知らない人に「将棋界にはとんでもないものがある」と声を大にして伝えたくな

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    ocs 2014/03/30
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