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赤瀬川原平の検索結果1 - 40 件 / 62件

  • 赤瀬川原平さん死去 「老人力」「超芸術トマソン」:朝日新聞デジタル

    知的なひねりに満ちた前衛美術作品を手がけ、「老人力」「超芸術トマソン」などの著作、芥川賞受賞でも知られた画家・作家の赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい、本名赤瀬川克彦〈かつひこ〉)さんが、26日午前6時33分、敗血症のため東京都内の病院で死去した。77歳だった。通夜、葬儀は近親者のみで行う。喪主は妻尚子さん。作家の赤瀬川隼(しゅん)さんは実兄。 横浜市に生まれ、子供時代は大分や名古屋で過ごした。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大)は中退したが、20歳ごろから無審査の読売アンデパンダン展などに絵画やゴムチューブを使った「反芸術」的な作品を出展。1960年に故・荒川修作らと前衛美術集団「ネオ・ダダイズム・オルガナイザー」の結成に参加した。 63年に故・高松次郎、中西夏之氏と「ハイレッド・センター」を作り、東京五輪のさなかに白衣姿で銀座の路上を清掃するパフォーマンスなどを実施した。

      赤瀬川原平さん死去 「老人力」「超芸術トマソン」:朝日新聞デジタル
    • 「Free&Easy」6月号が赤瀬川原平氏らの文章を「ねつ造」した問題について - ロック詩人・辻元よしふみのブログ

      ハードロック詩人・辻元佳史(よしふみ)が、日常の些事から時事問題、政治経済・軍事・漫画やゲームまで好き放題に書き流すブログ。 私が所属している日本文藝家協会から「文藝家協会ニュース」最新号が届きました。その6~7ページには、「著作権管理部より・先月の相談から」というコーナーがあり、同協会が対応した5件の著作権侵害事件の実例が掲載されています。 その5件目、「相談5」というものを見て驚きました。 タイトルは「勝手に執筆原稿を創作して掲載・・・。とんでもない事件発生」とあります。 以下、本文を長いですがそのまま引用します。 ◆ ◆ ◆ 相談5:執筆した覚えもなく、インタビューも受けていないのに、自分の名前の文章が雑誌に掲載されていた、というとんでもない事件が発生しました。 男性向けのファッション誌「Free & Easy」6月号に赤瀬川原平さんのコラムがあります。安西水丸さんの追悼特集ですが、

        「Free&Easy」6月号が赤瀬川原平氏らの文章を「ねつ造」した問題について - ロック詩人・辻元よしふみのブログ
      • 赤瀬川原平さん死去:並外れた面白がり方 - 毎日新聞

        • 訃報:赤瀬川原平さん77歳=美術家、作家「老人力」 - 毎日新聞

          • 前衛芸術家の赤瀬川原平さん死去 NHKニュース

            前衛の芸術家で、作家としても芥川賞を受賞した赤瀬川原平さんが、26日、敗血症のため、東京都内の病院で亡くなりました。77歳でした。 赤瀬川原平さんは横浜市で生まれ、美術学校で油絵などを学びながら公募美術展に芸術作品を出品し、芸術家として活動を始めました。 さまざまなものを包装紙で包むなどして「梱包」するなど、前衛的な芸術作品の制作やパフォーマンスで活躍し、昭和40年には千円札を題材にした作品が通貨模造に当たるとして起訴され注目を集めました。 その後、漫画や文学作品の執筆にも活動の幅を広げ、昭和56年には尾辻克彦名義の短編「父が消えた」で芥川賞を受賞しました。 赤瀬川さんは街中にある役に立たないものを「トマソン」と名付けてその意義を考えるなど、身の回りに着目した活動や、カメラの愛好家としてスナップ写真を発表したりといった活動でも知られています。 また、物忘れなど年を取ることに伴う現象を「老人

              前衛芸術家の赤瀬川原平さん死去 NHKニュース
            • 赤瀬川原平氏の著作から盗作を発見~佐野眞一氏の「パクリ疑惑」に迫る(第12回) | ガジェット通信 GetNews

              【特別取材班より:この連載のすべてのリンクと画像をご覧になりたい方は、ガジェット通信サーバー上の記事をご覧ください。】 赤瀬川原平氏の読者を驚愕させた佐野氏の原稿 ガジェット通信特別取材班のもとに、読者X氏から情報が寄せられた。X氏は作家・赤瀬川原平氏の熱心な読者だ。以前たまたま目にした佐野眞一氏の原稿に、赤瀬川氏の著作とソックリの記述を発見したという。当時、驚いて何度も読み比べたことが印象深いそうだ。 佐野氏の著作『紙の中の黙示録 三行広告は語る』(文藝春秋、1990年6月刊行)の冒頭部分では、赤瀬川原平氏の著作を参考にした三行広告についての記述がある。同書では赤瀬川原平氏のクレジットがきちんと明記されており、三行広告の記述については盗用・剽窃には当たらない。X氏の記憶に色濃く残る盗作原稿とは、いったいどこに掲載されているのだろう。 調べを進めていくと、どうやら平凡社が 1984年12月

                赤瀬川原平氏の著作から盗作を発見~佐野眞一氏の「パクリ疑惑」に迫る(第12回) | ガジェット通信 GetNews
              • 46:象徴としてのわいせつ — ろくでなし子と赤瀬川原平 - ART iT(アートイット)

                ※本連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。 連載目次 「まんボート」とろくでなし子 画像提供:新宿眼科画廊 美術家のろくでなし子が再逮捕された。今年7月のときと同様、みずからの女性器をモチーフとする作品が、警視庁保安課より「わいせつ」に当たると疑われたことによる。もっとも、これはかなり異例の事態だ。というのも、彼女が先に逮捕された際に容疑をかけられたのも、今回と同様の内容だからだ。そのときは勾留決定に対する弁護人の準抗告が認められ、当人はそのまま釈放に至っている。つまり、逃亡や証拠隠滅の恐れがないということだ。それがなぜ同じ容疑で再逮捕なのか、辻褄が合わない。 もっとも、先に「同様の内容」と書いたが、厳密にはまったく同じではない。7月にろくでなし子が逮捕されたのは、「自らの女性器の3DデータがアップロードされているURLをメールで送信した(わいせつ電磁的記

                  46:象徴としてのわいせつ — ろくでなし子と赤瀬川原平 - ART iT(アートイット)
                • 赤瀬川原平 - Wikipedia

                  赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あかせがわ かつひこ)、1937年3月27日 - 2014年10月26日)は、日本の前衛美術家、随筆家、作家。 純文学作家としては尾辻 克彦(おつじ かつひこ)というペンネームがある。「尾辻」は父方の親戚の苗字に由来する[1][要ページ番号]。 人物[編集] 神奈川県横浜市中区本牧町生まれ。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵学科中退。 兄は直木賞作家の赤瀬川隼。姉の赤瀬川晴子は帽子作家。また、外交官の西春彦は父のいとこにあたる。姪(隼の長女)は『人麻呂の暗号』の著者である藤村由加の一人[2]。 2006年4月より、武蔵野美術大学日本画学科の客員教授を務めていた。 経歴[編集] 生い立ち[編集] 父親は鹿児島県出身で倉庫会社勤務のサラリーマン。「赤瀬川骨茶」という俳号で俳句も詠んだ。母親は東京府出身。

                    赤瀬川原平 - Wikipedia
                  • Amazon.co.jp: 超芸術トマソン (ちくま文庫 あ 10-1): 赤瀬川原平: 本

                      Amazon.co.jp: 超芸術トマソン (ちくま文庫 あ 10-1): 赤瀬川原平: 本
                    • 赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで|2014年度 展覧会スケジュール|千葉市美術館

                      赤瀬川原平(1937−)は、前衛美術家、漫画家・イラストレーター、小説家・エッセイスト、写真家といった複数の顔を持つ芸術家です。 前衛美術家としてその経歴をスタートした赤瀬川は、1960年、篠原有司男、吉村益信、荒川修作らとともに「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の結成に参加。1963年には中西夏之、高松次郎と「ハイレッド・センター」の活動を開始し、「反芸術」を代表する作家となりました。またこのころ制作した一連の《模型千円札》が「通貨及証券模造取締法」違反に問われてしまい、1965年より「千円札裁判」を闘うことで、その名は現代美術界の外にも広まって行きました。同裁判の控訴審が終了した1968年頃からは、漫画家・イラストレーターの領域に活動の場を移し、『櫻画報』の成功によって一躍パロディ漫画の旗手となります。さらに70年代末より文学の世界にも本格的に足を踏み入れ、1981年には芥川賞を受

                        赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで|2014年度 展覧会スケジュール|千葉市美術館
                      • Seiichi Hayashi Art world - 赤瀬川原平の芸術原論展、開催

                        期間 10月28日~12月23日 会場 千葉市美術館 先日、亡くなりました原平さんの回顧展です。 昨年、ニューョーク近代美術館で開かれ、反響を呼びました『ハイレッド・センター回顧展』の後を受け、今回の赤瀬川原平個展です。 間違えたのではありません。表紙が逆さまです。 個展の前日に亡くなりました原平さんの通夜が、北鎌倉のお寺さんで行われました。 関係者のみのささやかな葬儀ですが、それ故にお別れの言葉が届いた葬儀でした。 不謹慎な感想かもしれませんが、御寺の庭を抜けて本堂に入る。何処かNHKのテレビ番組『ゆく年、くる年』を思い起こさせる通夜の晩でした。 まだ誰も死が身近に感じられなかった若い頃、誰言うとはなしに、この中で一番、長生きするのは原平さんだよねと、話していた事を思い出しました。 遺影に目を向けると、あのはにかんだ笑顔と共に、低く落ち着いた声で語りかけて来るようにも思えました。 原平さ

                          Seiichi Hayashi Art world - 赤瀬川原平の芸術原論展、開催
                        • 10月18日(土曜日)から12月21日(日曜日)まで「尾辻克彦×赤瀬川原平-文学と美術の多面体-」/町田市ホームページ

                          赤瀬川原平自画像(スケッチブックより)2002 お札、缶詰、壊れたポット、家具、ペット・・・果ては自邸「ニラハウス」に至るまで、日常生活を構成するあらゆるものを独自の視点と観察行為によって、〈梱包〉や〈トマソン〉に代表される「作品」へと昇華させてきた美術家・赤瀬川原平。 自身と娘の生活をテーマにした『肌ざわり』や、父の死により墓所を見学する様子を描いた『父が消えた』によって、私小説作家として文壇に登場した作家・尾辻克彦。 実は同一人物である美術家・赤瀬川原平と作家・尾辻克彦の創作の根底には、冷静な観察者としての姿勢と、「価値の転換」「日常の異化」への共通した意識があります。それらは、辞書の用例の中に個性を見出し、愛すべき人格を与えた『新解さんの謎』や、もの忘れや脱力を積極的に肯定する「老人力」シリーズなどのエッセイを通じて顕在化し、常に新しいユニークな「ものの見方」を我々に提示してきました

                            10月18日(土曜日)から12月21日(日曜日)まで「尾辻克彦×赤瀬川原平-文学と美術の多面体-」/町田市ホームページ
                          • Yahoo!ニュース - <赤瀬川原平さん死去>並外れた面白がり方 (毎日新聞)

                            美術家・作家の赤瀬川原平さん(77)が26日亡くなった。異能の人、天才肌と称されたが、作品では人間から小動物、物品まで等しく優しい視線で見つめ、家族の前でも決して声を荒らげない温厚な人柄が広く愛された。常にユーモアを絶やさず、2011年に胃がんと脳卒中をわずらった後は、それぞれの病気から回復した王貞治、長嶋茂雄両氏にたとえ「いやあ、ON(王、長嶋氏)両方やっちゃいました」と周囲を笑わせた。 【ニュースの一報】赤瀬川原平さん死去 77歳  多彩な創作活動で知られる赤瀬川さんは「ある程度やると飽きちゃうんです」とも語っていたが、対象への執着、集中力、面白がり方が並外れていた。作品は肩の力が抜け緩そうに見えるが、2Bのシャープペンで書きつづる執筆では一字一句にこだわり、小さな修正も厳しく抵抗した。 昨年夏、入院先で妻の尚子さんに「赤瀬川原平をやめようかな」と漏らした。脳卒中の後、友人には「言葉

                              Yahoo!ニュース - <赤瀬川原平さん死去>並外れた面白がり方 (毎日新聞)
                            • Amazon.co.jp: 新解さんの謎 (文春文庫 あ 36-1): 赤瀬川原平: 本

                                Amazon.co.jp: 新解さんの謎 (文春文庫 あ 36-1): 赤瀬川原平: 本
                              • Amazon.co.jp: 三位一体モデル TRINITY: 中沢新一 (著), 赤瀬川原平 (イラスト), ほぼ日刊イトイ新聞 (編集): 本

                                  Amazon.co.jp: 三位一体モデル TRINITY: 中沢新一 (著), 赤瀬川原平 (イラスト), ほぼ日刊イトイ新聞 (編集): 本
                                • 赤瀬川原平『四角形の歴史』という不思議な本 - mmpoloの日記

                                  赤瀬川原平『四角形の歴史』(毎日新聞社)を読む。毎日新聞の書評欄のコラム「この3冊」で、美術評論家の山下裕二がこの本を「あまり知られていないけれど、極めつきの名著だ」と絶賛していた(2月1日)。 自筆のイラストとごく短い文章による絵本という体裁だが、本書で示された思索は、驚くほど深い。「目玉は頭の入口だから、物も風景も何でも通過する。でも見るというのは、目玉を通ったものを頭がつかむことだ。つまり見るのは、ちゃんと意識する力があってのことだ」−−そう、赤瀬川さんは「見る」という行為を思想にまで高めた人なのだ。 赤瀬川は四角形はいつ生まれたのか考える。犬は風景を見ていない。自分の興味のあるもの、食べ物とかご主人とかだけを見ている。その点は人間も似ている。今の人間は風景を見ているが、昔は見ていなかった。人間も物しか見なかった。それは人間の絵の歴史をみるとよくわかるという。 昔は風景画を描かないで

                                    赤瀬川原平『四角形の歴史』という不思議な本 - mmpoloの日記
                                  • 千葉市美術館の「赤瀬川原平の芸術原論展」がおもしろい - mmpoloの日記

                                    千葉市美術館で「赤瀬川原平の芸術原論展」が開かれている(12月23日まで)。赤瀬川は展覧会の始まる直前の10月26日に77歳で亡くなってしまった。 赤瀬川と言えば、偽千円札事件、ハイレッドセンター、トマソンと路上観察、それに芥川賞受賞などが思い出される。また『朝日ジャーナル』に「櫻画報」というパロディを連載していたことや、ライカ同盟の活躍、山下裕二との日本美術応援団も思い出される。 初め、読売アンデパンダン展にゴム製の「ヴァギナのシーツ」などを出品する。ネオ・ダダに参加。ついで東京オリンピックの頃、高松次郎、中西夏之らとハイレッドセンターを結成し、銀座の並木通りを掃除するなどのパフォーマンスを行う。また扇風機や椅子をクラフト紙で包むオブジェの制作、これは建物を包むクリストの仕事より早かった。開いた缶詰の内側にラベルを貼った宇宙の缶詰というオブジェ。そして千円札を版画で作って起訴される。この

                                      千葉市美術館の「赤瀬川原平の芸術原論展」がおもしろい - mmpoloの日記
                                    • 東京オトナの修学旅行 赤瀬川原平×山下裕二:日経ビジネスオンライン

                                      記事一覧 2014年10月27日 東京駅に「お掃除の魔女たち」を見た! 日本全国津々浦々、日本美術を応援しながら旅して回った赤瀬川原平氏と山下裕二氏が「やっぱり面白いのは東京だ! よくよく見れば驚異の連続。オトナだけが楽しめる、いや子供だってオトナに先回りして面白がれるの... 2009年11月13日 「どうだ」と言わないオトナの美術館 品川編・その2 原美術館 ゼイタク、趣味がいい、品の良さ。オトナになったら分かってくる価値を形にして見せてくれるのが、品川・原美術館。まず見所はロケーションと建物。銀座の和光や上野の東京国立博物館本館を手がけた建築家が、こんな... 2009年11月6日 700系がゴロゴロ! 夢の車両基地で「交番検査」を見学 品川編・その1 JR東海・大井車両基地 今回からの大人の修学旅行は、品川編。第一回は新幹線が山ほど見られる大井車両基地へやってきた。厳しい検査とそれ

                                        東京オトナの修学旅行 赤瀬川原平×山下裕二:日経ビジネスオンライン
                                      • 追悼・赤瀬川原平 40年前に遺したマッピング作品「論壇地図」のタブーとは? - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

                                        美術家・作家の赤瀬川原平が10月26日に死去した。赤瀬川といえば、千円札を模した美術作品が通貨及証券模造取締法違反に問われた「千円札裁判」や、パロディイラスト「櫻画報」の掲載誌回収騒動、あるいは街なかにある無用物に着目した路上観察、ベストセラーとなった著書『老人力』(筑摩書房)など、1960年代から近年にいたるまで、とにかく話題には事欠かなかった。 それだけに今回、追悼記事を依頼されて、何をとりあげようか非常に迷ったのだが、ここでは赤瀬川が70年代に仲間たちとともに手がけた「論壇地図」という一連の作品を紹介したい。これは、その時々の言論状況をイラストによって表現したものだ。 70年末に発表されたその最初の作品「現代論壇考」では、海に浮かぶ島などに著名人や組織が配置された。そのなかではたとえば、夫婦岩のごとく大しめ縄で結ばれた大小2つの国会議事堂が並び、それぞれの頂点に時の首相・佐藤栄作と共

                                          追悼・赤瀬川原平 40年前に遺したマッピング作品「論壇地図」のタブーとは? - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ
                                        • 赤瀬川原平はなぜ贋札をつくったのか。危険な天才を追悼1■お金への復讐 - エキサイトニュース

                                          美術家で作家の赤瀬川原平さんの姿はその生前、3度ほど目にしたことがある。ただし、いずれもトークイベントの一観客としてだが。 そのうち一つは、2000年2月に、美術評論家の山下裕二氏との共著『日本美術応援団』の刊行を記念して開かれたイベントで、私はこのとき、友人とつくっていたミニコミ誌を渡そうと意気込んで出かけた。赤瀬川さんに見てほしかったのは、ミニコミの中身というよりもその表紙だった。というのも、そこには、当時発行を間近にひかえていた二千円札を、新聞に載った写真から私が模写した絵を入れていたからだ。だが、赤瀬川さんはイベントのあとにも予定が入っていたため、イベントが終わってから観客と話をすることはできませんと開演前にあらかじめアナウンスがあり、ついにミニコミを渡すことはかなわなかった。 なぜ私は紙幣の模写を赤瀬川さんに見せようと思ったのか。すでにピンときた読者もいるだろうが、もちろん、彼が

                                            赤瀬川原平はなぜ贋札をつくったのか。危険な天才を追悼1■お金への復讐 - エキサイトニュース
                                          • 赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで | レポート | アイエム[インターネットミュージアム]

                                            展覧会開幕の前々日に飛び込んできた訃報。2014年10月26日(日)、近年体調を崩していた赤瀬川原平さんが、敗血症のため77歳で死去しました。 赤瀬川さんの大規模展は、1995年に名古屋市美術館で開催された展覧会以来19年ぶりで、東京圏に限れば初開催。全くの偶然ながら、突然の"回顧展"になってしまいました。 千葉市美術館での展覧会は、全室を使った大型企画。全11章で本名の赤瀬川克彦時代の作品から晩年の活動まで、半世紀余の歩みを網羅します。 会場入口から第1章「赤瀬川克彦の頃」、第2章「ネオ・ダダと読売アンデパンダン」 赤瀬川さんは1937年生まれ。1960年に吉村益信らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の結成に参加、1963年には中西夏之、高松次郎と「ハイレッド・センター」を結成し、前衛芸術家として活躍しました。 結果として、赤瀬川さんの名が一躍知られるようになった事件が「千円札裁判

                                              赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで | レポート | アイエム[インターネットミュージアム]
                                            • 赤瀬川原平の「個人美術館の愉しみ」がおもしろかった - mmpoloの日記

                                              赤瀬川原平「個人美術館の愉しみ」(光文社新書)がおもしろかった。類書の少なくない分野だが、それらのガイドブックとは、ブタと真珠、猫と小判ほども違う。芥川賞を受賞した人だから文章がうまい。本業が美術家だから絵に対する見どころが違う。東海道新幹線のグリーン車に備え付けてある「ひととき」に連載したものだという。 個人美術館とは、「一人の作家だけの美術館と、一人のコレクターによる美術館の二通りの意味がある」として、どちらかに当てはまるものを取り上げている。 島根県の足立美術館は大観を中心に集めているが、庭園がすばらしく「アメリカ人の目で見た日本庭園第1位」なんだそうだ。行ってみたいという気になる。 愛知県小牧市のメナード美術館はメナード化粧品の創業者野々宮大介と美寿子夫人が中心となって収集した。 絵画の展示室に入る。最初の2,3点目でいきなり長谷川利行の絵が飛び込んできて、びっくりした。初めて見る

                                              • すれすれとぎりぎり<br />赤瀬川さんや新解さんのこと(前編) 『新解さんの謎』 (赤瀬川原平 著) | 特集 - 文藝春秋BOOKS

                                                2014.12.23 特集 すれすれとぎりぎり 赤瀬川さんや新解さんのこと(前編) 文: 鈴木 眞紀子 (「新明解国語辞典の謎」(「文藝春秋」連載)担当編集者・新解さん友の会会長) 『新解さんの謎』 (赤瀬川原平 著) 平成四年四月、わたしは「週刊文春」編集部から「文藝春秋」編集部に異動してきました。最初の企画会議に出したのが、以前から存じ上げていた赤瀬川原平さんに、三省堂の新明解国語辞典(当時四版)の面白さについて、ご執筆いただく、というものでした。 わたしが最初にお名前を知ったのは、昭和五十六年二月、千葉県立小金高校の二年生の時でした。担任の吉野孝雄先生が、「尾辻克彦」と黒板にお名前を大きくお書きになり、 「今度芥川賞を取ったこの人は、ぼくの知り合いで、ぼくの伯父さんを研究しているの。芥川賞を取ると電話が鳴ってね、花が届いてなんだかもう、大変らしいよ」 と、おっしゃいました。 山伏とい

                                                  すれすれとぎりぎり<br />赤瀬川さんや新解さんのこと(前編) 『新解さんの謎』 (赤瀬川原平 著) | 特集 - 文藝春秋BOOKS
                                                • 『赤瀬川原平の芸術原論』展に作品や資料500点超、約50年におよぶ創作活動を辿る | CINRA

                                                  『赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで』が、10月28日から千葉市美術館で開催される。 1937年生まれの赤瀬川は、1960年に篠原有司男、吉村益信、荒川修作らの結成した「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」に参加し、1963年には中西夏之、高松次郎と「ハイレッド・センター」の活動を開始。同時期に制作していた作品『模型千円札』が通貨及証券模造取締法違反に問われたことによる裁判「千円札裁判」などで、現代美術の枠を越えて注目を集めた。さらに漫画家、イラストレーター、小説家、エッセイストとしても知られるほか、街中で発見した奇妙な物件を写真で記録する「超芸術トマソン」「路上観察学会」「ライカ同盟」といった活動を展開している。 同展は、多岐に渡る創作活動の中で、観察眼や思考力を駆使して日常を新鮮な作品に変化させる赤瀬川の、約50年におよぶ表現を振り返る回顧展。「ハイレッド・センター」での活

                                                    『赤瀬川原平の芸術原論』展に作品や資料500点超、約50年におよぶ創作活動を辿る | CINRA
                                                  • 赤瀬川原平氏は「遊びの達人」だったと思う。「路上観察学会」成立話が面白かった(これも読売「時代の証言者」) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                                                    自分のtwitter再録、すこし増補。 “「老人力」という流行語を生むなど幅広く活躍した美術家・作家の赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい<本名・克彦=かつひこ>)さんが26日午前6時33分、敗血症のため東京都内の病院で亡くなった。77歳。” / “訃報:赤瀬川原平さん77…” http://htn.to/GFz8N5 gryphonjapan @gryphonjapan アート面では、いろんな前衛的な功績があるんだろうが、ごく一部の好事家の遊びだった、辞書の語釈へのツッコミを「新解さんの謎」としてはやらせたり、街で改造などにより残った意味の無い物体を「路上芸術トマソン」と称したり……、世界を見方一つで面白くする法を教えてくれた人だった。@gryphonjapan posted at 03:31:02 新解さんの謎 (文春文庫) 作者: 赤瀬川原平出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2012

                                                      赤瀬川原平氏は「遊びの達人」だったと思う。「路上観察学会」成立話が面白かった(これも読売「時代の証言者」) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                                                    • 「Free&Easy」6月号が赤瀬川原平氏らの文章を「ねつ造」した問題について - ロック詩人・辻元よしふみのブログ

                                                      ハードロック詩人・辻元佳史(よしふみ)が、日常の些事から時事問題、政治経済・軍事・漫画やゲームまで好き放題に書き流すブログ。 私が所属している日本文藝家協会から「文藝家協会ニュース」最新号が届きました。その6~7ページには、「著作権管理部より・先月の相談から」というコーナーがあり、同協会が対応した5件の著作権侵害事件の実例が掲載されています。 その5件目、「相談5」というものを見て驚きました。 タイトルは「勝手に執筆原稿を創作して掲載・・・。とんでもない事件発生」とあります。 以下、本文を長いですがそのまま引用します。 ◆ ◆ ◆ 相談5:執筆した覚えもなく、インタビューも受けていないのに、自分の名前の文章が雑誌に掲載されていた、というとんでもない事件が発生しました。 男性向けのファッション誌「Free & Easy」6月号に赤瀬川原平さんのコラムがあります。安西水丸さんの追悼特集ですが、

                                                        「Free&Easy」6月号が赤瀬川原平氏らの文章を「ねつ造」した問題について - ロック詩人・辻元よしふみのブログ
                                                      • 「パロディ」の時代を振り返る展覧会に約300点、赤瀬川原平、横尾忠則ら | CINRA

                                                        展覧会『パロディ、二重の声―日本の1970年代前後左右』が、2月18日から東京・東京ステーションギャラリーで開催される。 「パロディ」を取り入れた日本国内の作品に焦点を当てる同展。1970年代の作品を中心に、絵画、漫画、グラフィック、テレビ映像、裁判記録といった作品や資料など約300点を展示する。出品作家には赤瀬川原平、横尾忠則、篠原有司男、河北秀也らが名を連ねている。 期間中には南伸坊、夏目房之介、会田誠らによるトークイベントも開催予定。詳細は東京ステーションギャラリーのオフィシャルサイトで後日発表される。

                                                          「パロディ」の時代を振り返る展覧会に約300点、赤瀬川原平、横尾忠則ら | CINRA
                                                        • 激しかった「前衛芸術」赤瀬川原平を再び

                                                          オークションで作品に高値がつくなど、今、海外でも1960年代の日本の前衛美術が注目されている。その中心人物の一人、赤瀬川原平さん(1937~2014年)の回顧展「赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで」が、12月23日まで千葉市美術館で開かれている。 赤瀬川さんは、絵画、オブジェ、マンガ、小説、エッセイ、路上観察など、次々にジャンルを変えながら、常識とは違うモノの見方を提示してきた。笑いを誘うユーモラスなものも多く、物忘れなどの老化現象をポジティブにとらえ直した『老人力』(1998年)はベストセラーになった。会田誠、山口晃ら、現代のアーティストからも敬愛されている赤瀬川さんについて、展覧会を企画した水沼啓和主任学芸員に話をきいた。 廃品タイヤの肉感 赤瀬川さんの出世作は、24歳のとき読売アンデパンダン展に出品した『ヴァギナのシーツ(二番目のプレゼント)』だった。肉体を思わせる赤い部

                                                            激しかった「前衛芸術」赤瀬川原平を再び
                                                          • 赤瀬川原平写真展 散歩の収獲 + 横浜市所蔵カメラ・写真コレクション展  | 横浜市民ギャラリーあざみ野

                                                            2010年10月22日(金)~11月7日(日) 10:00~18:00 ※10月25日(月)休館 横浜市民ギャラリーあざみ野 入場料:一般300円 ※高校生以下、障がい者手帳をお持ちの方および同伴者1名は無料 ※10月31日(日)アートフォーラムフェスティバルの日は入場無料 主催:横浜市民ギャラリーあざみ野(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団) 助成:芸術文化振興基金 後援:横浜市市民局、神奈川新聞社、tvk、RFラジオ日本、FMヨコハマ、横浜市ケーブルテレビ協議会 協力:株式会社イーストウエスト 赤瀬川原平写真展 散歩の収獲 横浜市民ギャラリーあざみ野は、赤瀬川原平の最新写真シリーズをご紹介する展覧会を開催します。 本展では、毎日新聞に4年間連載された《散歩の言い訳》で執筆を担当していた赤瀬川原平が、散歩中に撮りためてきた中から選りすぐりの写真を、初めて一堂に展示します。 前

                                                            • Amazon.co.jp: 東京ミキサー計画:ハイレッド・センター直接行動の記録 (ちくま文庫): 赤瀬川原平: 本

                                                                Amazon.co.jp: 東京ミキサー計画:ハイレッド・センター直接行動の記録 (ちくま文庫): 赤瀬川原平: 本
                                                              • すれすれとぎりぎり<br />赤瀬川さんや新解さんのこと(後編) 『新解さんの謎』 (赤瀬川原平 著) | 特集 - 文藝春秋BOOKS

                                                                2014.12.24 特集 すれすれとぎりぎり 赤瀬川さんや新解さんのこと(後編) 文: 鈴木 眞紀子 (「新明解国語辞典の謎」(「文藝春秋」連載)担当編集者・新解さん友の会会長) 『新解さんの謎』 (赤瀬川原平 著) →前編はこちら 赤瀬川さんの魅力、楽しさ、面白さは、不謹慎ぎりぎり、不真面目すれすれの真剣さではないかと思います。一番いい例が、一番新しいことなのですが、赤瀬川さんの最後のご本は『「墓活」論』(PHP研究所)です。奥付を見ると二〇一二年三月十九日発行になっている。本の帯には「逝くまえに、入るお墓をつくりたい」と、ある。 墓活 墓地や墓石の選定から購入、墓参りにいたるまで、誰もが入ることになるお墓をめぐる諸活動。©赤瀬川原平 と、本のカバーにある。 このご本をいただいた時、 「逝くまえって、これ、ご病気なのにいいの?」 と思いましたし、 「え、大丈夫なの?」 とも思いました。

                                                                  すれすれとぎりぎり<br />赤瀬川さんや新解さんのこと(後編) 『新解さんの謎』 (赤瀬川原平 著) | 特集 - 文藝春秋BOOKS
                                                                • Who is Akasegawa, Genpei?(赤瀬川原平基礎講座)

                                                                  最近また赤瀬川原平がマイブーム。勝手にいろいろまとめてみました。 ※文中紹介する書籍について、特にことわりのないものの著者はすべて赤瀬川原平です。また、はamazon.co.jpで、はbk1でその本を購入できるマークです。 略歴|トマソン|路上観察學会|千円札裁判|小説・エッセイ|ネオ・ダダとハイレッドセンター 略歴 本名、赤瀬川克彦。1937年3月27日生まれ。武蔵野美術学校中退。芸術家(画家、作家)。ネオ・ダダ、ハイレッドセンター、トマソン観測センター、路上観察學会、ライカ同盟などの活動を経て今に至る。千円札裁判被告。 トマソン 「建築物に付着して美しく保存されている無用の長物」のこと。建物の入口へ上がる階段が、何らかの事情で入口が封鎖されたあともそのまま保存されているようなものがある。階段としての実用的機能を失いつつ、壊れた手すりが補修されるなどして存続し、無用的機能を発揮している。

                                                                  • 70年代の「パロディ」扱う企画展、赤瀬川原平や長谷邦夫のマンガ原稿も

                                                                    この展覧会は1970年代、テレビや雑誌などを通じて流行したパロディを、当時の視覚文化を通じて振り返り、その技術や形式を改めて検討するもの。あえて特定の時代に焦点を絞ることで、具体的な表現と社会との関わりをあぶり出していく試みだ。 会場には赤瀬川原平や横尾忠則らによる、約300点もの資料や作品を展示。絵画、グラフィック、テレビ映像、裁判記録のほか、マンガ分野からは月刊漫画ガロ(青林堂)で発表された赤瀬川の「おざ式」、長谷邦夫がCOM(虫プロ商事)に執筆した「バカ式」「ゲゲゲの星」「おそろち」「色ゲバ」といった作品の原稿が並ぶ。 会期中には南伸坊、夏目房之介、会田誠らによるトークイベントも実施される。詳細は今後、東京ステーションギャラリーのイベントページにて告知予定。

                                                                      70年代の「パロディ」扱う企画展、赤瀬川原平や長谷邦夫のマンガ原稿も
                                                                    • 貴重なクラシックカメラのイラストがたくさん!『赤瀬川原平 カメライラスト原画コレクション』発売 | CAPA CAMERA WEB

                                                                      玄光社は、2018年10月31日(水)に『赤瀬川原平 カメライラスト原画コレクション』を発売した。 本書は、画家・作家の赤瀬川原平氏が1992年〜2007年の16年間に月刊雑誌やメーカー機関誌の連載などで描いた貴重なカメライラスト246点をまとめた原画集。イラストはすべて鉛筆画によるもので、赤瀬川氏のカメラ愛が感じられる丁寧な質感描写が特徴。赤瀬川氏のファンはもちろんのこと、フィルムカメラ好きにとっても大変価値のある完全保存版の作品集だ。 赤瀬川原平(あかせがわ げんぺい) 1937年横浜市生まれ。本名・赤瀬川克彦。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業、武蔵野美術学校油絵学科中退。画家・作家。60年代はネオ・ダダ、ハイ・レッド・センターに参加、前衛芸術家として活躍する。70年代は、『櫻画報』などでパロディー・漫画作品を発表。1979年作家・尾辻克彦として執筆した『肌ざわり』で中央公論新人賞、81

                                                                        貴重なクラシックカメラのイラストがたくさん!『赤瀬川原平 カメライラスト原画コレクション』発売 | CAPA CAMERA WEB
                                                                      • SUNDAY LIBRARY:南 伸坊・評『赤瀬川原平が選ぶ 広重ベスト百景』『赤瀬川原平の名画読本』 - 毎日新聞

                                                                        • 都市鑑賞者と片手袋研究家が語る、路上観察の今昔~赤瀬川原平を振り返る~|さんたつ by 散歩の達人

                                                                          石井 そもそも路上観察は今和次郎(こんわじろう)の考現学の影響を受けています。考現学は都市の生活・風俗を細かく記録する学問ですが、カメラ付きケータイの普及以降は「路上で面白いものを記録すること」が生活の一部になりましたよね。だから路上観察をごく普通にする人が増えたのかなと思います。 内海 昔は写真での記録にはフィルムカメラと現像が必要でしたからね。その手間が消えたうえ、近年はスマートフォンとSNSの普及によって、共有のコストも格段に下がりました。今はハッシュタグで各々の路上観察のジャンルを一望できますし、タグを付けて投稿すれば参加もできますから。 石井 記録法がスケッチだった考現学の時代からは、すごい進化ですよね。赤瀬川さんはカメラのスケッチもしてましたけど(笑)。でも、その行動は赤瀬川さんの面白さの象徴だと思います。赤瀬川さんには「見ている自分を見る」視点があるし、観察する路上の対象を偏

                                                                            都市鑑賞者と片手袋研究家が語る、路上観察の今昔~赤瀬川原平を振り返る~|さんたつ by 散歩の達人
                                                                          • 宇川直宏「DOMMUNE」名称の元ネタは赤瀬川原平の櫻画報か? - マウスパッドの上の戦争。

                                                                            最近流行りの宇川直宏プロデュース「DOMMUNE(ドミューン)」の名称は赤瀬川原平が関わった1972年12月7日号の読書新聞に掲載された「櫻画報」の「DOMMUNICATION」からのぱくりか?友人からは「COMMUNICATION」のCの次はDだからつけたらしいと聞いたのだが。ちなみにその赤瀬川版「DOMMUNICATION」は櫻画報大全で今でも見れるのだが、宇川直宏好みのブっとんだ内容だ。ちょっと紹介しよう。ま、コアすぎて知ってる人しか笑えないのだが・・・ >大野田、騙されるな!今の日本は君の帰る所ではないぞ!救出隊はアカの手先だ!呼びかけの親族は人質だ!皇国の神民はアカの奴隷になっている!奴等はジャングルに毒饅頭をばら撒いているぞ!諜略電単に騙されるな!それは毒インキだ!まだ聖戦は終わっていないぞ!第二次大東亜戦争はこれからだ!                    国体護持愛国青年

                                                                            • 赤瀬川原平の貴重な未発表コラージュが公開へ。国分寺・丘の上APT/兒嶋画廊で赤瀬川の展覧会が開催

                                                                              赤瀬川原平の貴重な未発表コラージュが公開へ。国分寺・丘の上APT/兒嶋画廊で赤瀬川の展覧会が開催戦後の前衛芸術を牽引し、マンガ、文筆、写真など様々な分野で活動した赤瀬川原平。その未発表コラージュが集まる展覧会が東京・国分寺の丘の上APT/兒嶋画廊で開催される。会期は10月24日〜12月9日。 赤瀬川原平は1937年神奈川県生まれ。58年に読売アンデパンダン展に初出品し、60年に吉村益信らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成。63年には高松次郎、中西夏之と共に、「ハイレッド・センター」を結成し、「ミキサー計画」として《模型千円札》や梱包作品を発表したほか、屋上から物を落とす「ドロッピング・イベント」や、「首都圏清掃整理促進運動」などのパフォーマンスを行った。 70年代からはマンガや小説、80年代からはカメラを手にし、町中にある奇妙な物件などを撮影する「超芸術トマソン」「路上観察学会

                                                                                赤瀬川原平の貴重な未発表コラージュが公開へ。国分寺・丘の上APT/兒嶋画廊で赤瀬川の展覧会が開催
                                                                              • 赤瀬川原平 (@akasegawagenpei) | Twitter

                                                                                画家・作家/ 元気な時にだけ少し……。

                                                                                  赤瀬川原平 (@akasegawagenpei) | Twitter
                                                                                • 【訃報】赤瀬川原平氏 | Art Annual online

                                                                                  戦後の日本現代美術史に大きな足跡 前衛美術家、漫画家・イラストレーター、小説家・エッセイスト、写真家といった複数の顔を持ち、日本の戦後美術界で大きな存在感を示した赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい<本名・克彦=かつひこ>)氏が26日午前6時33分、敗血症のため東京都内の病院で亡くなった。享年77歳。千葉市美術館での個展を間近に控えての事だった。 赤瀬川氏は1937年神奈川県横浜市生まれ。1958年に第10回読売アンデパンダン展に初出品を果たし、1960年に篠原有司男、吉村益信、荒川修作らとともに「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の結成に参加。1963年には中西夏之、高松次郎と「ハイレッド・センター」の活動を開始し、「反芸術」を代表する作家となった。またこのころ制作した一連の《模型千円札》が「通貨及証券模造取締法」違反に問われ、1965年より「千円札裁判」を闘うことで、その名は現代美術界の