天皇が陸軍の直隷組織に対して発する命令を「大陸命」と言いますが、その第一号は1937年12月で、それ以前の満州事変(1931年)の頃は「参命」「臨参命」と呼ばれていました。 満州事変において関東軍に対する「臨参命」は合計4回出されています。ただし正確に言うと「臨参命」ではなく「臨参委命」です。「臨参委命」とは参謀総長が天皇からの委任をうけて発する命令のことを言います。 満州事変勃発時、政府は諸外国からの批判を予期していち早く不拡大方針を発し、軍中央(陸軍省、参謀本部)も関東軍司令部へ不拡大の方針を伝えます。しかし、関東軍司令部は天皇の直隷であるため、関東軍へ命令を発せられるのは天皇だけであり、軍中央は関東軍に対し命令する権利を持ちません。 政府の方針を無視し、事変を拡大し続ける関東軍に業を煮やした参謀本部は、天皇から委任を受けて発することの出来る「臨参委命」に踏み切ります。あなたがお聞きに
先日子供たちが金婚式を祝ってくれました。 『お父さんは皆さんと歴史を勉強してください』 『お母さんは皆さんと合唱してください』 子供たちも皆さんにご支援いただいていることを喜んでいます。 満州事変・日本はどう受け止めたか 戦争へと突き進んでいった背景を検証してゆくと なし崩しに軍部が暴走し、それを止められなかった政府と 真実が報道されずマスコミにより戦争が煽られたのでした。 ◆翌日の新聞 東京日々新聞の翌日の記事。 両軍衝突の原因に?マークがついているのが記者の良心。 ◆花谷忠「満州事変はこうして計画された」 「知性」56年12月号 (図書館に頼んで熊本の図書館から取り寄せ) 「島本大隊川島中隊の河本未守中尉は鉄道線路巡察の任務で 部下数名を連れて柳条溝(柳条湖ではない)へ向かった。 北大営の兵営を横に見ながら約800メートルばかり南下した。 地点を選んで河本は自らレールに騎兵用の小型爆薬
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く