saleemのブックマーク (986)

  • 動画「ジュジュワールド (1時間59分26秒)」 - saleem’s blog

    https://youtu.be/7cJQF_NONAQ?si=JOCjr9KiC7WSj-jF

    動画「ジュジュワールド (1時間59分26秒)」 - saleem’s blog
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    saleem 2024/06/27
    人生劇場…人の数だけ ドラマが在る。
  • 動画「OSHO: There Is No Tomorrow」(4分45秒) - saleemのブログ

    https://youtu.be/Tf8PUAG2aYU?si=i0k_X2oQaKTEgTe3 (日語字幕を選択できます)

    動画「OSHO: There Is No Tomorrow」(4分45秒) - saleemのブログ
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    saleem 2024/04/25
    「 いま ここ 」
  • 動画「OSHO: Tears Are the Most Valuable Treasure」(質疑応答)13:55 - saleemのブログ

    https://youtu.be/syzPGC8i3nI?si=nHFq6AtMrZ07UNAl (13分55秒) 日語字幕 選択可能です。

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    saleem 2024/04/24
    愛に触れると いつも涙が溢れてしまうのは なぜでしょう ?
  • 動画「OSHO: Meditation Is the Opposite of Concentration」9分13秒 - saleemのブログ

    語字幕を 選択できます。 (9:13)

    動画「OSHO: Meditation Is the Opposite of Concentration」9分13秒 - saleemのブログ
    saleem
    saleem 2024/04/03
    瞑想は 集中ではない……たくさんの人たちが 誤解している。
  • 「信心銘」第二章  道は完全だ (11) - saleem’s blog

    Pp74ー77 第二章  道は完全だ (11) 『 外側の物事のもつれの中にも、 内側の空無の中にも、住んではいけない。 穏やかに、何を求めるでもなく、 大いなる一体性の中にとどまるがいい。 そうすれば、誤った物の見方は自ずから消えよう。 』 外側と 内側を 分けてはならない。 僧璨は、「自分は外側に関心がある」と 言ってはならない、と 言う。 二種類の人々がいる。 そして そのどちらも惨めになる。 C・G・ユングは 人間性を 二つのタイプに分けた。 その ひとつを彼は 外向的と呼び、もうひとつを 内向的と呼ぶ。 外向的人間は 外の世界に関心がある。 行動的な 世間的な人々だ。 こういう人たちは、富、名声、地位、権力を 追い求める。 彼らは 政治家になり、社会改革家になる。 偉大な指導者、大実業家になる。 物に、外側の世界に関心がある。 彼らは 自分自身には関心がない。 他方、内向的な人々

    「信心銘」第二章  道は完全だ (11) - saleem’s blog
    saleem
    saleem 2024/02/17
    「 極端を 避けなさい。 外側の世界と 内側の世界を 区別してはいけない。 そして ユングのタイプのひとつにならないことだ。 外交的にも 内向的にも なってはいけない 」OSHO
  • 「信心銘」第二章  道は完全だ (10) - saleem’s blog

    Pp72ー74 第二章  道は完全だ (10) 『 道は大いなる虚空のように完全だ。 足りないものも、余計なものもない。 しかり、いいとかいけないとか選り好みをするばかりに、 当の姿が見えないだけだ。』 私たちが 当の姿を見ることができないのは、そのためだ。 受け容れたり、拒否したりするためなのだ。 人は 自分の考え、意見 偏見を持ち込む。 そして あらゆるものを色づけしてしまう。 そうでなければ、すべては完全だ。 人は、 ただ 見ればいいだけだ。 濁りのない目で、どんな考えも持たずに ただ見る。 どんな拒否も、あるいは 受容もなしに、ただ 純粋に見る。 まるで、自分の目の背後には 思考(マインド)などないかのように、あたかも 自分の目が ただの鏡に過ぎないかのようにだ。 鏡は「美しい」「醜い」を 言わない。 鏡は、前に来たものを何でも ただ映すだけだ。 そこには どんな判断もない。

    「信心銘」第二章  道は完全だ (10) - saleem’s blog
    saleem
    saleem 2024/02/16
    「 もしそれが 一人の人間に起こり得るのなら、それは すべての人に 起こり得る 」OSHO
  • 「信心銘」第二章  道は完全だ (09) - saleem’s blog

    Pp66ー72 第二章  道は完全だ (09) (…一度 理解したら、全世界を変えようとすることなど、あなたの 役割ではない。 あなたにできるのは、唯一 自分自身を変えることだけだ ) スーフィーの神秘家、バヤジットは自伝に書いている。 「若かった時、私は考え、そして神に願った。 その私の祈り全体の基調は、『全世界を変えることができるように、私に力を与えたまえ』というものだった。 誰もが私には間違って見えた。 私は、革命家だった。 地球の様相を一変しようと望んだ」 「もう少し成熟した時、私は 次のように祈り始めた。『少し欲ばり過ぎたようです。 人生は私の手から こぼれて行きます。 ほとんど人生の半分が過ぎてしまったのに、私は たった一人の人間も変えられませんでした。 全世界というのは大きすぎます』。 そして神に こう言った『家族だけで結構です。 私に家族を変えさせてください』」 「そして老

    「信心銘」第二章  道は完全だ (09) - saleem’s blog
    saleem
    saleem 2024/02/13
    「……あなたが僧璨を理解できるなら、それ以上に素晴らしいものはない。 だが、理解できなければ、その時は パタンジャリが唯一の道だ 」OSHO
  • 「信心銘」第二章  道は完全だ (06) - saleem’s blog

    Pp58ー59 第二章 道は完全だ (06) その過程は 同じだ。 愛を 意志することはできない。 意志すれば、美しさは すべて失われる。 すべては 機械的になってしまう。 おきまりの儀式を 全部終えても、何も起こらない。 そこに 歓喜はなく、それは 何かしなければならないこと、片づけなければならないことになる。 けっして自分の中心に達することはない。 けっして自分を根底から揺るがすことはない。 けっして自分の内なる踊りになることはない。 それは 自分の 実存の脈動ではない。 単なる 表面上の行為に過ぎない。 いいかね、愛は意志できない。 そして 瞑想も意志できないのだ。 知識は すべて 投げ出しなさい。 知識は、何かをしなければならない時にしか 必要ないからだ。 何もする必要がないのに、何の知識が要るのか。 どんな知識もいらない。 ただ ある感じ(フィーリング)を、いかに落とすか、いかに

    「信心銘」第二章  道は完全だ (06) - saleem’s blog
    saleem
    saleem 2024/02/01
    「 愛を 意志することはできない。 意志すれば、美しさは すべて失われる。 すべては 機械的になってしまう 」OSHO
  • 「信心銘」第二章 道は完全だ (05) - saleem’s blog

    Pp56ー58 第二章  道は完全だ (05) (…操作してはいけない。 物事が起こるにまかせなさい) クンダリーニ瞑想をしているのなら、身体が揺れて来るのにまかせなさい。 それを  や   っ   て  は いけない。 静かに立って、それが来るのを 感じなさい。 そして身体が かすかに震え始めたら、それを手伝いなさい。 だが、 それを  や   っ   て  は いけない。 楽しみなさい。 至福を 感じるといい。 それを許し、受け容れ、歓迎しなさい。 だが 意志してはいけない。 それを 強いたら、それは 実技に、体操になってしまう。 そうなれば 震動はするだろうが、ほんの表面のことに過ぎない。 あなたを 貫きはしない。 あなたは 内側が堅いまま、石みたいに、岩みたいに堅いままでいるだろう。 あなたは 操作する者、行為者として、そのまま残り、肉体が ただそれに従っているだけになる。 肉体が

    「信心銘」第二章 道は完全だ (05) - saleem’s blog
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    saleem 2024/01/31
    「…その一瞥が 得られた時、勇敢な魂は、この一瞥がやって来た 源を求めて冒険を続けたのだ 」OSHO
  • 「信心銘」 第二章 道は完全だ (04) - saleem’s blog

    P56 第二章  道は完全だ (04) 眠りは 自分がいない時に やってくる。 〈光明〉も また同じ規則に従う。 それは 自分がいない時にくる。 しかし、自分が 何かをしていたら、どうやって、同時に そこにいないことなどできるかね。 何かを していれば、自分は そこにいる。 行為が 自我(エゴ)を養うのだ。 自分が 何も していなければ、自我は養われ得ない。 それは ただ消える。 死んで、 いなくなる。 そして 自我が そこにいない時、光が 降りてくる。 だから 自分が 意志してやることは どんなものでも、すべて障害になるのだ。 ここでの 私の瞑想法も、意志的にではなくやりなさい。 強制しないで、むしろ それを起こさせなさい。 その中に 漂い、身を委ねるのだ。 吸いこまれてごらん。 ただし 意志的にではなくだ。 操作してはいけない。 操作すれば 分割されて、操作する者と操作される者の 二人

    「信心銘」 第二章 道は完全だ (04) - saleem’s blog
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    saleem 2024/01/30
    「 自分が 何も していなければ、自我は養われ得ない。 それは ただ消える。 死んで、 いなくなる。 そして 自我が そこにいない時、光が 降りてくる 」OSHO
  • 「信心銘」 第二章 道は完全だ (03) - saleem’s blog

    Pp54ー56 第二章  道は完全だ (03) ほとんど 九十パーセントの子供が、昼ではなく 夜生まれているということを 知っているかね。 どうしてだろう。 半々の はずだ。 子供は なぜ夜のほうを多く選ぶのか。 しかも 九十パーセントとは! それは 母親が無意識に、手放しになるからだ。 母親は 眠っており、子供は容易に外に出て来られる 意識が あれば、母親は努力をすることになる。 すると 逆効果の法則が働く。 母親が 目覚めていれば、苦痛が過ぎ去るように、早く終わるように、子供が生まれてくるようにと、いろいろ努力をする。 ところが 努力はすべて障害になる。 妨害していることになる。 努力すれば するほど、通路は それだけ狭くなる。 子供は 出てこられない。 原始的な社会では、母親は 子供を産む時に痛みを 感じない。 まったく 何の痛みも感じない。 これは 奇跡だ。 西洋の医学が 初めてこ

    「信心銘」 第二章 道は完全だ (03) - saleem’s blog
    saleem
    saleem 2024/01/30
    「 それは やり方の問題ではなく、自分という存在に 寛ぐということ、何もしない ということだからだ。 最も偉大なこと というのは、自分がいない時にしか 起こらない 」OSHO
  • 「信心銘」 第二章 道は完全だ (02) - saleem’s blog

    Pp52ー54 第二章 道は完全だ (02) よく こんなことがある。 人の名前や顔を 思い出そうとしているのだが、どうも思い出せない。 だが どうしても、それが喉元まで 出かかっている気がしてならない。 その感じが、あまり強くて、 今にも 出て来るに違いないと思って、何とか 思い出そうとする。 だが 努力すれば努力するほど、ますます 出て来ない。 しまいには、この感じは 当なのかと 疑わしくさえなって来る。 だが、確かに、ある感じがあって、自分の全存在が、それがそこにある と、喉まで出かかっている と 教えている。 だが、喉元まで来ているものなら、なぜ出て来ないのか。 それは 出て来ない。 どんなことを してみても、決して 出て来ない。 ついに失望して、とても 駄目だと思う。 何もかも 投げ出して、庭に出て 散歩し始めたり、新聞を 読み始める。 あるいは ラジオのスイッチを入れて 音楽

    「信心銘」 第二章 道は完全だ (02) - saleem’s blog
    saleem
    saleem 2024/01/29
    「老子、 荘子、 ボーディダルマ、 僧璨、こういう人たちは この逆効果の法則の精通者だ。 そして これが ヨガと禅との違いだ。 ヨガは あらゆる努力をする。 禅は 努力をしない」OSHO
  • 「信心銘」 第二章 道は完全だ (01) - saleem’s blog

    Pp47ー52 第二章  道は 完全だ  (01) 『物事の深い意味が分からぬうちは、 心の平安はいたずらに乱される。 道は大いなる虚空のように完全だ。 足りないものも、 余計なものもない。 しかり、いいとかいけないとか選り好みをするばかりに、 当の姿が見えないだけだ。 外側の物事のもつれの中にも、 内側の空無の中にも、 住んではいけない。 穏やかに、 何を求めるでもなく、 大いなる 一体性の中にとどまるがいい。 そうすれば、 誤った物の見方は自ずから消えよう。 静寂を得ようとして、 行動を抑えてみても、 まさにその努力が、 かえって人を行動で満たす。 どちらか一方の極端にいるかぎり、 決して 一体性を知ることはできない。 このただひとつの道に住まぬかぎり、 行動することにも、 静寂を得ることにも、 断定することにも、 否定することにも失敗しよう』。 僧璨の この経文に入る前に、二、 三

    「信心銘」 第二章 道は完全だ (01) - saleem’s blog
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    saleem 2024/01/26
    「…エミール・クーエという フランス人の催眠術師がいた。 彼は 人間の思考作用(マインド)についての基本的法則のひとつを 再発見した。 彼はこれを『逆効果の法則』と 呼んだ」OSHO
  • 「信心銘」第1章   大いなる道 (15) - saleem’s blog

    Pp41ー45 第1章   大いなる道 (15) 『だから、真実を見たいと願うなら、 いいとか、駄目だとかの意見を持たぬことだ。 好きと嫌いの葛藤、 これが 心の病いだ』 賛成と反対、何が好きで、 何が嫌い。 これこそが 心(マインド)の病いだ。 なぜ人間(マインド)は 分割されるのだろうか。 どうして 一体(ひとつ)では いられないのか。 あなたたちは そうでありたい と望む、一体でありたいと願う。 だが あなたたちは、その分割に、選り好みに、好き嫌いに、水を やり続ける。 つい先日も、ある女性が来て 「祝福してください。 あなたの祝福が いただきたいのです」と 言った。 が、私には、彼女が不安そうで、心配しているのが 分かったので、「どうしたのかね」と 尋ねた。 すると その女性は 「実は、私は 既に他の方の 得度を受けているものですから」と言う。 葛藤が あるのだ・・・人は 私の祝

    「信心銘」第1章   大いなる道 (15) - saleem’s blog
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    saleem 2024/01/22
    「…ただ 理解しなさい。 そうすれば、まさに その理解そのものが 脱落になる。 けっして自分が 落とすのではない。 あなたは ただ笑って、一杯のお茶を 求めるだけだ」OSHO
  • 「信心銘」第1章   大いなる道 (14) - saleem’s blog

    Pp40ー41 第1章   大いなる道 (14) 『だから、真実を見たいと願うなら、 いいとか、駄目だとかの意見を持たぬことだ』 当に真理の何たるかを 知りたければ、有神論者であってはいけない、無神論者であってはいけない。 「神はいる」と 言ってはならない、「神はいない」と 言ってはならない。 どんなことでも 自分が言ったことは 深い欲望になってしまうからだ。 そして、人は その欲望の 影に隠れているものを 何でも投影することになる。 唇に横笛を当てた クリシュナの姿をした神を見たい と 思っていたら、いつかその姿を 見ることになる。 それは、 クリシュナが そこにいるからではなく、自分が持っていた欲望の種を この世のスクリーンに投影したからに過ぎない。 十字架上のイエスを見たい と 思っていれば、いつかは それを見ることになる。 何でも 自分の望むものが投影される。 だがそれは、夢の世

    「信心銘」第1章   大いなる道 (14) - saleem’s blog
    saleem
    saleem 2024/01/22
    「 何でも 自分の望むものが投影される。 だがそれは、夢の世界に過ぎない、真理に近づいて行ってるわけではない 」OSHO
  • 「信心銘」 第1章   大いなる道 (13) - saleem’s blog

    Pp37ー40 第1章   大いなる道 (13) 『愛も憎しみもなければ、 すべては明瞭で、隠されたものとてない』 心(マインド)は 愛したり、憎んだりせずにはいられない。 心(マインド)は たえずこの二つの間で 闘っていなければならない。 もし 好きでも嫌いでもなかったら、人は 思い(マインド)を 超える。 そうなったら どこに思い(マインド)があるか。 自分の中で 思考(マインド)は 消え去る。 選択があれば、たとえ「私は静かでいたい」と 言っても、けっして静かでは いられない。 そこに 好みがあるからだ。 これこそが 問題なのだ。 人々は、私の所にやって来て言う。 「静かになりたいのです。 もうこれ以上、こんな緊張をしていたくありません」。 私は、この人たちを 気の毒に思う、気の毒なのは、彼らの 言っていることが 馬鹿げているからだ。 これ以上緊張したくない と 思えば、新しい緊張を

    「信心銘」 第1章   大いなる道 (13) - saleem’s blog
    saleem
    saleem 2024/01/19
    「 本当に真理の何たるかを 知りたければ、有神論者であってはいけない、無神論者であってはいけない 」OSHO
  • 「信心銘」 第1章   大いなる道 (12) - saleem’s blog

    (…意識の明晰さが ある時、全存在は、その実体を顕わす 。 その実体が神、その実体が真理だ…) Pp36ー37 第1章   大いなる道 (12) それは何を 意味するか。 僧璨(そうさん)のような人は 愛さない ということだ。 その愛は まったく異なった質を 持つことになる。 それは、あなたたちの愛と 同じにはならない。 彼も愛しはするが、その愛は 選択にはならない。 彼も愛しはするが、その愛は 投影にはならない。 彼も愛しはするが、その愛は 自分の夢のための愛ではない ということだ。 彼は 実在を 愛する。 その実在への愛が 慈愛だ。 彼は あれこれと 投影しない。 彼は 人の中に 神も見なければ 悪魔も 見ない。 彼は ただその人を見、自ら溢れるほどに持つがゆえに それを分かち合う・・・すると 分かてば分かつほど それは 大きくなる。 彼は 自らの歓喜を 人に分かつことになるのだ。 人

    「信心銘」 第1章   大いなる道 (12) - saleem’s blog
    saleem
    saleem 2024/01/19
    「あらゆる夫が これをしている、あらゆる妻が これをしている、あらゆる友人が これをしている。 相手を、実在を変えようと し続ける。 が、実在が 変わることは あり得ない…あなたたちは 失望するだけだ」OSHO
  • 「信心銘」 第1章   大いなる道 (11) - saleem’s blog

    Pp35ー36 第1章   大いなる道 (11) 誰も あなたのために 永久に映写幕の役など 演ずることはできない。 それでは 居心地が 悪すぎる。 人が どうやってあなたの夢になど 合わせられよう。 その人には その人の実体があり、その実体が現われずにはいない。 人を 愛していれば、あなたは そこにないものを 投影する。 人を 憎めば、またしても あなたはそこにないものを 投影する。 愛されて、その人は神になる。 憎まれて、その人は 悪魔になる。 そしてその人は 神でもなければ、悪魔でもない。 その人は ただ 彼自身、あるいは、彼女自身であるに過ぎない。 その 悪魔や神が 投影だ。 好きだったら、 平明には 見られない。 嫌いだったら、 平明には 見られない。 好きも 嫌いも ない時、人は 目が澄み、明晰性を持っている。 その時 初めて 相手を、 彼あるいは彼女の あるがままの姿を見る。

    「信心銘」 第1章   大いなる道 (11) - saleem’s blog
    saleem
    saleem 2024/01/19
    「 人を 愛していれば、あなたは そこにないものを 投影する。 人を 憎めば、またしても あなたはそこにないものを 投影する 」OSHO
  • 「信心銘」 第1章   大いなる道 (10) - saleem’s blog

    Pp31ー35 第1章   大いなる道 (10) …文明は 便秘によって 測ることができる。 より便秘している国が より文明化されている ということだ。 それだけ 論理的だからだ。 なぜ息を吐くのか、吸い込み続ければいい、物はエネルギーだ、どうして捨てるのか、と。 人は 気づいていないかもしれないが、これこそは、論理的に、つまりアリストテレス的に なりつつある無意識の仕業なのだ。 だが〈生〉とは、外に投げ出すことと、内に招くことの平衡だ。 人は 通路に過ぎない。 分かちなさい、与えるのだ。 そうすれば もっと多くのものが 与えられる。 ケチになって、与えないでいてみなさい、あなたに与えられるものは だんだん減って来る。 それは、あなたが必要としていないからだ。 覚えておきなさい、そして 自分の〈生〉の過程を 見守るのだ。 あなたが 究極の理解を、光明を得たいと 当に思うなら、もっと多く

    「信心銘」 第1章   大いなる道 (10) - saleem’s blog
    saleem
    saleem 2024/01/18
    恋をしたら、人はそこにないものを見始める。どんな女性も、恋するあなたが思うその女性ほどに美しくはない。なぜならあなたは投影しているからだ。 マインドの中に夢の少女を持っていて その夢の少女が投影される。
  • 「信心銘」 第1章   大いなる道 (09) - saleem’s blog

    『 大いなる道は難しくない、 選り好みをしなければよいだけだ。 愛も憎しみもなければ、 すべては明瞭で、隠されたものとてない。 だが、ほんの僅かな区別でもすれば、 天と地は無限に離れる。 だから、真実を見たいと願うなら、 いいとか、駄目だとかの意見を持たぬことだ。 好きと嫌いの葛藤、 これが 心の病いだ。 』 Pp25ー31 第1章   大いなる道 (09) まさに荘子と同じように、 「易しいことは正しい」。 「大いなる道は 難しくない」。 もしそれが難しく見えるようなら、それを難しくしているのは、あなただ。 大いなる道は 易しい。 どうしてそれが難しいものであり得よう。 樹でさえ それに従っている。 川も 従い、岩も 従っている。 どうしてそれが 難しいものであり得よう。 鳥さえも その中を飛び、魚も その中を泳いでいる。 どうしてそれが 難しいものであり得よう。 人が それを難しくする

    「信心銘」 第1章   大いなる道 (09) - saleem’s blog
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    saleem 2024/01/16
    …人は 愛情生活を なるべく長く続けた方が 長生きすると 言う。 八十歳に なっても愛を交わすことが出来れば その方が長生きする。 なぜだろう。