アニメとゲームに関するshinaminaのブックマーク (2)

  • とてもすごくよくわかる「任天堂チェック」の歴史|初心カイ

    2023年は任天堂がファミリーコンピュータを世に出してから40周年にあたります。おめでとうございます。 まだ動く個体のファミコンが存在することに驚きます。私はファミコンと同世代なのですが、最近は体にガタがくるようになりました。どれだけ耐久力あるんでしょうね、ファミコン。 それほど長い歴史を有しているファミコンなのですが、おかげで少しばかり誤解の種が存在しているようです。それは「ファミコンは厳しい任天堂チェックを行っていたので、クソゲーは発売できなかった」というものです。これが誤解であることは、当時のファミコンソフトをランダムにいくつか触ってみればわかることなんですが(私リアルタイムでエルナークの財宝をプレイしたことがあるんですが、当にどう遊んで良いのかわからなかったです)、たまにそういったシステムを敷いていたと思い込んでいる人の言説に出会うことがあります。 しかし「そう思ってしまいかねな

    とてもすごくよくわかる「任天堂チェック」の歴史|初心カイ
    shinamina
    shinamina 2023/02/25
    クオリティチェックはあって良かったと思う。まぁ発売中止に追い込まれたりしたのはしょうがない気がする。ゲーフリのヨッシーのたまごみたいに個人開発から全国発売して売れるという例もあるし過度な同情はしない。
  • 二大企業大激突! ナムコvs任天堂 後編 -戦いの先にあるものへ-|初心カイ

    進まぬ海外展開と、関係悪化 1988年頃の国内市場はファミコンブームが冷めたわけではないのだが、一時のような熱狂的な加熱はなくなってきた。成長が鈍化しつつあったのだ。任天堂はかわりにアメリカに注力する。海外展開に成功し、アタリショック後のアメリカ市場を切り開き、大きな利益を得るようになったのだ。 コナミはこのビッグウェーブに乗り遅れないよう、すぐさまNintendo Of America(NOA)と契約し、NES向け用ゲームソフトを発売し、売上を伸ばした。 コナミと比較して、ナムコの海外展開は遅れていた。今まではアタリと協調し海外展開を進めていたのではあるが、アタリは経営悪化の影響でワーナーの傘下に入っていた。しかもアタリショック後、経営的に決定的に大きなダメージを受けてしまい、家庭用ゲーム機部門がアタリコープとして体のアタリゲームズと分裂してしまっていた。 1985年にナムコは親会社で

    二大企業大激突! ナムコvs任天堂 後編 -戦いの先にあるものへ-|初心カイ
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