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やる気の出し方
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2002年4月に大学で研究室を設立して、ちょうど5年がたった。 5年間の確かな成果と言えるのは、博士号取得者をようやく一人出すことができたことぐらいだろうか。 研究に関しては、結局、満足のいく成果を出すことができなかった。 もちろん、学生が学位を取るためには研究成果を出して論文を書かなければならないのであるが、僕にとっては、学生たちがどんなに論文を書いても、実装されたものがちゃんと研究室で引き継げる形で共有可能になっていないものは、研究室の成果として認めることができない。 僕のいる研究室では、主に次の4つの研究を行ってきた。 1.コンテンツへのアノテーションの枠組みに関する主に基礎的な研究 2.特にビデオを対象としたアノテーションとその応用の研究 3.特に対面式の会議を対象とした実世界コンテンツの制作と利用の研究 4.個人用の知的な乗り物とその応用、またそれを取り巻くインフラに関する研究
最近、月刊アスキーという雑誌の取材を受けた。 実際は取材というより、僕がアスキーの本社に行って、雑談とデモをしてきただけなのであるが。 月刊アスキーという雑誌は、ついこの間、かなり大規模な路線変更を行って、僕を含む多くの読者を驚かせている。 僕も最初、新装丁となったこの雑誌を見て、思わず目を疑ってしまった。 なんだか、日経トレンディとかDIMEみたいな、大衆に迎合しまくりなハイテク情報誌に成り下がってしまったという印象を受けた(ワイアード日本語版とかbitとか、好きな雑誌がなくなってしまって、数少ない楽しみな雑誌の一つだったのに)。 あまりにひどい変わりようなので、大学での定期購読を中止してしまった。 でも、知り合いの清水さんに頼まれたこともあって取材を受けることにした。 この清水さんというのは、ドワンゴという会社の元社員で、現在は独立してユビキタスエンターテインメントという会社の社長であ
大変ご無沙汰しております。 昨年の11月にブログ用のサーバーが故障して、データの復旧等に時間がかかってしまい、今日までブログの更新ができませんでした。 また、よろしくお願いします。 これまで、僕のいる研究室では、ずっとミーティング(メンバー全員の参加するゼミ)の記録を取り続けてきた。 それは、ミーティングにおけるコミュニケーション、特に議論を、再利用可能なコンテンツとするためである。 その考えがようやく実現されるようになった。 一部のコンテンツを公開しているので、興味のある人はここから入って見てください。 この実現のためには、ずいぶんと紆余曲折があった。 まず、ミーティングを詳細に記録するということの意義を学生たちが理解するのに時間がかかった。 確かに、いつもレベルの高い充実した内容を話し合っているのなら後で見直してみても役に立ちそうだけど、たいていの場合、学生たちの発表や議論はぐだぐだで
ビデオブログによるIPA未踏ソフトウェア創造事業の成果の紹介の(とりあえず)最終回です。 僕が採択した他のプロジェクトのビデオがSynvieに投稿されたら、また再開するつもりです。 ここで紹介するプロジェクトは、僕個人の問題意識とも密接に関連していて、とても面白くなりそうだと思ったのですが、結局不発に終わってしまったものです。 うまくいかなかった理由は、やはり僕のマネージメントのせいだと思います。 この開発者も以前に紹介したyosemiteの開発者と同様に、僕の言うことを聞こうとしませんでした。 そのため、肝心のコミュニケーションのための新しい仕組みが適切に実装されませんでした。 僕は、文の言語構造や意味構造を直感的に分かるようにする、うまい見せ方はないものかと長い間考えてきました。 語や文というものは、たいてい1次元的に並んでいるものですが、本来グラフ的に表現しないと正しく意味の伝わりに
先日、トヨタ自動車本社近くのトヨタ会館というところでコンセプトカー(しかしちゃんと動く)のi-unitに乗せていただきました。 僕たちの研究を知る人が担当者の方に紹介してくれたのです。 おかげでとても面白い体験ができましたので、このビデオブログでご紹介します。 Segwayの新型が日本でも発売されるようになったこともあり、個人用の電動の乗り物はこれから徐々にあたりまえのものになっていくのではないかと思っています。 このビデオとは直接関係がありませんが、僕たちの開発した知的移動体ATの一般向けデモを今週の金曜日(10/27)に名古屋大学で行います。 このデモは、テクノフェア名大2006というイベントの中で行われます。 是非、ATを体験しにいらしてください。 さて、これから「i-unitに乗って」というビデオをご紹介します。 ちなみに、このタイトルは、往年の名曲「カローラIIに乗って」にかけて
ちょっと間があいてしまいましたが、IPA未踏ソフトウェア創造事業の成果の紹介の続きです。 今回は(おそらく次回も)「なんでこれを採択したのか?」あるいは「これのどこが未踏ソフト?」といったクレームがたくさんあるのではないかと思います(真摯に受け止めたいと思いますので、好きなようにコメントしてください)。 僕の判断では、プロジェクトの企画そのものは悪くなかったのですが、開発者が本質的な部分を見誤ってしまい、やるべきことをやらなかったためにろくな成果が出なかったということです。 Wikipediaのような、オンラインで不特定多数の人間が協同執筆できる事典が現れたこともあって、コミュニティによる協同コンテンツ制作という考えは一般的なものになりつつあると思います(そもそもWikiはそういう思想で設計されたツールですし)。 ただし、事典のようなそれぞれの項目がある程度独立しているものならともかく、テ
前回に引き続き、今回もIPA未踏ソフトウェア創造事業で僕が採択したプロジェクトの成果をご紹介します。 以前にもこのブログで触れましたが、Mac OS X Tiger/LeopardのDashboardは、デスクトップをフォアグラウンドとバックグラウンドに明確に分け、仕事のやり方にメリハリをつけることができるものです。 たとえば、何か調べものをしたりアクセサリソフトを動かしたりするときはバックグラウンドで、文章やプログラムを書いたりプレゼンテーションの準備をするときはフォアグラウンドで行うのがよいだろうということです。 バックグラウンドの機能の一つとして、フォアグラウンドの作業内容を暗黙的に記録し再現可能にするというものが考えられます。 また、バックグラウンドでの作業はフォアグラウンドの仕事の内容に関する属性としても機能します。 たとえば、文書作成中に何らかの調べもの(辞書等の検索)を行った
僕は、IPA未踏ソフトウェア創造事業のプロジェクトマネージャを2年間やりました。 僕が採択したプロジェクトの成果の一部をこれからビデオブログで紹介していきたいと思います。 Web上で絵を共有するこれまでの仕組みは、あくまで画像としての絵を共有するものでした。 しかし、もし絵を書く過程や絵の構成要素なども共有できれば、その絵をよく知り利用するためには非常に有益でしょう。 つまり、完成形(プログラムの場合は実行形式)だけでなく作成手順や構成要素(プログラムの場合はソースコード)を共有する仕組みがあるととても便利だと思われます。 このような仕組みによって絵に関わるデータを共有することを「絵のオープンソース化」と言います。 この「絵のオープンソース化」を提唱した開発者が、そのアイディアを具体化したものが、ここで紹介するWillustratorです。 このシステムの基本は、名前からも推察できるように
長いのに読んでいただきどうもありがとうございます。 それから、ringoさん、トラックバックどうもありがとう。 今回で一応完結です。 でも、いつかこの続きを書いてみたいと思います。 3.テキストコンテンツの復活 私はテキストコンテンツの衰退は、人間の賢さの停滞でもあると考えている。 人間は、ビデオや漫画や音楽などに比べて、テキストコンテンツにより多く頭を使うだろう。 よい文章を読み書きすることで人はより賢くなっていくのである。 脳トレなんてくだらないことをやっていないで、他人に読んでもらえるようなよい文章を書く練習をすればよいだろう。 よい文章を書くためにはそれなりによく考えたり他人の書いたものを参考にしなければならないからトレーニングとしては最適である。 だからテキストコンテンツが衰退して、その消費がほとんど時間の浪費にしかならないような状況は非常にまずい。 何とかしてテキストコンテンツ
2.バイナリーコンテンツとライフログ バイナリーコンテンツとは、テキストデータを含まず、本来アナログ情報であるものをコンピュータで扱えるように無理矢理デジタル化したものである。 そのおかげで、Web上のコンテンツはさらに多様になり、格段に面白いものになっていった。 バイナリーコンテンツの処理は当然ながらテキストコンテンツの処理とはまったく異なる。 バイナリーコンテンツそのものから日常的な検索の対象となる情報を抽出するのは非常に困難だからだ。 画像の色やテクスチャで類似のものを検索するとか、音声波形の類似するものを検索するとか、コンテンツそのものを自動解析して検索の手がかりにするという研究は山のように存在するが、特殊な状況を除いて、日常的にはそんな検索はほとんどやらないだろう。 やはり、人間にとって日常的な検索は、適当に思いついたあるいはどこかで見聞きした言葉による検索である。 「検索という
大変ご無沙汰しています。 最近、InterCommunicationという雑誌に記事を書きました(11月発売号に掲載されるそうです)。 この雑誌が、このたびWebの未来に関する特集を組むのだそうです。 担当者は最初Web X.0という特集タイトルを考えていたそうなのですが、Web 2.0が明確な意味を持たないバズワードだと言われ始めてきたこともあり(僕も一時期はそれが重要なキーワードだと錯覚していましたが)、このタイトルは変えた方がよいと思います、と担当の人に言いました。 このブログでは3回に分けてこの記事の草稿を掲載します。 何かコメントをいただけましたら、できるだけ反映させたいと思います(原稿の締め切りは10月15日です)。 かなり長いですが、読んでいただけると幸いです。 どうぞよろしくお願いいたします。 ちなみに、内容の構成は以下の通りです。 Webの望ましい進化 前編(今回分) 1
僕のいる研究室の学生が中心になって作ったSynvie(シンビィ)という名前のシステムがようやく公開可能になりましたので、ビデオの共有とビデオブログのサービスを開始しました。 この名前は、syn* of movieに由来します。 syn*にはsyndicationやsynthesis(動画の配信や合成)などが当てはまります。 また、日本語の審美(美しいものを見分けること)にもかけているそうです。 このシステムを試してみたい方はここからお入りください。 大学の一研究室がやっているので、多分に実験的な要素が強いですが、もしかしてたくさんのユーザーが参加してくれるようになったら、どこかの会社と提携してサービスを続けていきたいと思います。 ビデオブログ、というかビデオ共有サービスはすでにいろいろ存在します。 たとえば、YouTubeのようにいつのまにかメジャーになったサービスもありますから、いまさら
僕のブログによく出てくる言葉にアノテーションというものがある。 アノテーションという言葉は、注釈とか補足情報などと言い換えられることもあるが、僕はより広い意味で用いている。 コンテンツ(の要素あるいは全体)に構造(および属性)や解釈や評価を関連付けること、あるいは関連付けられた情報一般(メタコンテンツとも呼ばれる)である。 メタデータという言葉の方が一般的であるが、アノテーションには人間がその作成に積極的に関与するというニュアンスを込めている(ゆえに、全自動アノテーションというのはあり得ない)。 アノテーションをこのように定義したのは僕が最初だったと思う(たぶん)。 それ以前は、アノテーションは割と狭い意味で捉えられていた。 もちろん、Webコンテンツへのアノテーション付与という話はかなり以前からあり、主にテキストコンテンツにコメントやリンクや属性情報を追加するものだった。 Webコンテン
僕は、1996年の9月から1年間、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校に客員研究員として滞在していた。 この大学は、NetscapeやIEの基になったMosaicと呼ばれるWebブラウザが開発された場所である。 Mosaicを開発した学生たち(代表者は、Netscape社の創業者の一人であるマーク・アンドリーセン)が所属していたNCSAという組織(厳密には、その一部門)のある建物(Beckman Institute)の中に僕のいたオフィスがあった。 NCSAの学生ではないが、僕が知り合ったコンピュータサイエンス専攻の学生たちは、よく「Webはいずれ破綻するだろう」と言っていた。 その当時からゴミのような情報であふれていて、質の高い情報を自動的に選び出す手段がなかったからである。 そして、「Webに代わる新しい仕組みを開発しなければならない」と彼らは言っていたけれど、僕は、Webが破綻するこ
前回のエントリーの件で学んだことは、何歳になっても自分の愚かさというものはなくならないということだ。 こういう失敗は、これまでの人生において何度もやってしまった気がする。 「お前はいつも一言多いのだから、それによって足をすくわれることがあるだろう」というのは、かつて僕の父が僕に言った予言の一つである。 「後悔後をたたず」という現代のことわざ(参考)があるみたいだけど、なかなか学習できない自分に腹が立ってくる。 でも、このブログは主に自分のために書いているのだから、めげずに続けていこうと思う。 いつも一言多い人間がブログを書いたら、いずれはまずいことになるというのは容易に想像できることでしたけどね。 それにしても、ブログは熱くなって書いてはいけませんね。 数年前に自分史(autobiography)というのがちょっとブームになった。 その作成と閲覧のためのWebサイトもあった。 これはブログ
前回のエントリーにも書いたが、「ウェブ進化論」(梅田望夫著 ちくま新書 2006)という本を読んだ。 そして、世の中をダメにするものの正体が少しわかったような気がした。 僕は基本的に、話題になっているからとかベストセラーだからという理由で本を手に取ることはない。 たとえば、ちょっと古いけど、「バカの壁」なんていうふざけた本は天地がひっくり返っても手に取ることはないだろう。 こんな本を書いているあんたの方がバカだよ、と思ってしまう(基本的に僕は脳科学者と呼ばれる連中はたいてい詐欺師だと思っている)。 「ウェブ進化論」に対しても初めからよい印象を持っていなかった。 著者が「ネットはコストゼロ空間だ」とかテレビで言っていたのに対しても「そんなわけないだろ」と突っ込みを入れていた。 どんな情報だって物質がなければ存在できないのだから、物質を維持していくためのコストがかかるにきまっているじゃないか。
最近、研究成果報告書(研究費をもらったら必ず提出しなければらない)を立て続けにいくつも書いていたら、報告書以外の文章を書きたくなった。 まったく、こんな書類ばかり書いていたら、さぞつまらない人間になってしまうだろう。 それで、久しぶりにブログを書いてみることにした(4月のエントリーがあれ一つだけなのはあんまりだし)。 今さらだけど、「国家の品格」(藤原正彦著 新潮新書 2005)という本を読んだ。 ついでに、「ウェブ進化論」(梅田望夫著 ちくま新書 2006)も読んだ。 後者に関しては、突っ込みどころがいくつもあるのだけど、それはまた別の機会にしようと思う。 「国家の品格」を読んで、大学生の頃のことをちょっと思い出した。 僕は父親からよく「お前には教養が足りないから、古典をたくさん読め」と言われていた。 「古典ってどんな?」って聞くと、「とりあえず平家物語。夏目漱石や森鴎外もいいな。お前が
今週の金曜日に名古屋大学で以下の講演会を行います。 僕は前座なので僕の話はあまり重要ではありませんが、その次のグーグルの高林さんの講演は聞く価値が大いにあると思います。 彼はすごくセンスのいい技術者で、テキスト検索のNamazuやソースコード検索のGonzuiなど、僕には絶対に思いつかない名前のシステムを続々と作り出し、その筋の人には一目置かれている人物です。 彼は、僕が以前に所属していたソニーコンピュータサイエンス研究所というところの研究員をしていたこともあります。 この研究所は少なくとも僕が入社した頃はとても活気があって、わくわくする場所でした。 研究所の一般公開では「ついさっきプロトタイプができました。実はまだデバッグ中です」なんていうシステムをデモしたりしていました。 僕なんか、直前に何日も徹夜してぎりぎりで人に見せられる状態にした、なんてことがよくありました。 研究員のみんなが「
しかし、出現頻度順に並べた語彙列によって明確になったエントリーの特徴に違和感を感じることもあるでしょう。 ブログの内容を一番よくわかっているのはその書き手だと思いますが、書き手からみて、そのエントリーにおいて間違いなく重要だと思われる語の頻度があまり高くない場合があり得ます。 それは、同じ言葉を何度も使わないことがあるからです。 たとえば、「ワードローグは画期的である。なぜなら、それは単純な頻度以上の情報に基づいているからである。いちいち説明しなくても、使ってみればよくわかる。」という文章を考えてみましょう。 ここで「ワードローグ」は重要な語ですが、1度しか現れません。 しかし、2文目の「それ」は「ワードローグ」を指しますし、3文目の「使ってみれば」の省略された目的語は、やはり「ワードローグ」です。 つまり、この文章では、この言葉(あるいは、この言葉が指す概念)が少なくとも3回出現している
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2002年にJapan Prizeという賞(みんな知らないでしょう)の受賞記念懇談会とかいうのに呼ばれたときに、受賞者のティム・バーナーズ=リーに会った。 これを読んでいる人で、この人を知らない人はいないと思うけど、一応説明すると、彼はWorld Wide Webの発明者であり、Semantic Webの提唱者である。 そのとき、僕は彼にこう言った(向こうは覚えていないだろうけど)。 「あなたが(Semantic Webで)やろうとしていることは、かつてAI(人工知能)がやろうとしたこととまったく同じだ。結局AIの試みは成功していない。なぜ今回は成功すると思えるのか」 彼の返事はつまらないものだった。 「Semantic WebはAIではない。論理的に整合な知識表現を作ろうというのではない。もっと単純な話で、Webを今より機械が扱いやすいものにするのが目的だ。それに、かつてできなかったこと
12月に入って面倒なことばかりあって、このブログの更新がかなり遅れてしまいました。 毎週更新するという当初の計画も狂いまくりです。 来年こそは、週に1回書くというセルフルールを遵守したいと思ってますが、どうなることやら。。。 それにしても最近リアクションがなくて寂しいので、細かいツッコミでも何でもいいので何か欲しいです。 文部科学省が選定する21世紀COEプログラムは、現在、国内91大学の273箇所で実施されているそうである。 多過ぎると思うかも知れないが、そうではない。 せめてこれくらいはないと日本の将来がやばいからである。 もちろん、これらは一部を除いて本来の意味でのCOEではない。 世界に誇る最精鋭の研究教育機関が日本に273もあるはずがない。 しかし、そんなことは十分に承知した上で、日本にはまともな教育機関としてのCOEができるだけ多く必要なのである。 前回のエントリーで日本の大学
最近「コンテンツ消滅」(小林雅一著 光文社ペーパーバックス 2004)というアイキャッチなタイトルの本を読んだ。 このタイトルには、「日本沈没」とか「首都消失」みたいなインパクトがある。 似たようなタイトルの本に「科学の終焉(おわり)」というのがある。 思わず手に取ってしまうタイトルである。 この本には、コンテンツ業界の苦悩が切々とつづられている。 1年前に出た本だから、このブログを見ている人の中にもこの本を読んだ人がいるかも知れない。 僕なんかには涙が出るほど懐かしいスペースインベーダの開発者の話などが出てくる。 スペースインベーダ(という名のテレビゲーム)がヒットしたのは1978年である。 僕は当時高校生だった。 そのとき付き合っていた女の子と学校の帰りに喫茶店に寄って遊んでいたのを思い出す。 あまりうまくないけど、いいところを見せようと思ってがんばったりしていた。 このゲームは日本の
このエッセイもどきの当初のタイトルは「Googleの功罪」というものだった。 Googleを代表とする検索エンジンにひどく危険なものを感じはじめているからである。 でも、ある理由で変えてしまった。 先日「インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?」(森健著 アスペクト 2005)という本を書店で偶然見かけて何気なく目次を見たらまったく同じタイトルの章があったのだ。 驚いて、つい買って読んでしまった。 この本にはいくつかの誤りが見受けられるが、一貫してこのネット社会(さらに言うと、監視社会だそうである)に自らの意思に関わらず埋没してしまっている人たちに警鐘を鳴らしている。 僕はこれまでどちらかというと技術を提供する側が考えるべき点についてばかり論じてきており、技術を使う側が心しなければならない点についてはあまりちゃんと言ってこなかったような気がする。 今回はその点を反省しながら、少し論じてみた
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