サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
TGS2024
morningrain.hatenablog.com
東京大学出版会から刊行されている「UP plus」シリーズの1冊で、形式としてはムックに近い形になります。 このシリーズでは川島真・森聡編『アフターコロナ時代の米中関係と世界秩序』を読んだことがありますが、『アフターコロナ時代の米中関係と世界秩序』ではけっこう長めの対談が2つはいっていましたが、本書は個人の論考が7本並ぶという形になっています。 ここではそれぞれの内容を簡単に紹介していきます。 鈴木一人「戦争と相互依存」 サブタイトルは「経済制裁は武力行使の代わりとなるか」。ここからもわかるように対ロシアの経済制裁について検討しています。 まずは経済制裁の基本を確認しつつ、経済制裁はやられる方もやる方も双方にダメージがあることを指摘しています。現在、欧州がガス価格の高騰などに苦しんでいるように、経済制裁をかける方も返り血を浴びる可能性が高いのです。 今回の経済制裁の特徴はG7が結句して迅速
「75年間、1文字も変わらなかった世界的に稀有な憲法典」 これは、本書の帯に書かれている言葉ですが、今まで存在した成文憲法中、改正されないままに使われている長さにおいて、日本国憲法は1861年に制定されイタリア憲法に続いて歴代第2位です。日本国憲法は「特異」な憲法と言えます。 しかし、一度も改正せずに済んでいるということは、実は日本国憲法の内容が「普遍」的だったからとも言えます。 この「特異」と「普遍」について論じたのが本書です。 「日本国憲法は非常に短い」「統治機構について書かれた部分が少ないが改正の必要性の薄さにつながっている」といった主張については、著者がこれまで発表した論考などで知っている人もいるかとは思いますが、本書にはそれ以外にもさまざまな興味深い論点が盛り込まれており、非常に面白い内容になっています。 目次は以下の通り。 第1章 憲法の形と軌跡 第2章 憲法が変わるとき 第3
2019年に出版された青木栄一編著『文部科学省の解剖』は、過去に村松岐夫が中心となって行った官僚サーベイ(村松サーベイ)を参考に、文部科学省の官僚に対して行ったサーベイによって文部科学省の官僚の実態を明らかにしようとしたものでした。 本書は、それを受ける形で文部科学省以外の省庁(財務省、経済産業省、国土交通省、厚生労働省、文部科学省)にも対象を広げて行われたサーヴェイ・2019年調査(本書はヴェイ表記)をもとにして分析を行っています。 執筆者では、北村亘、青木栄一、曽我謙悟、伊藤正次といったところが『文部科学省の解剖』とかぶっています。 現代において完了に対してサーヴェイを行う難しさというものはあるのですが(松村サーベイは「行政エリート調査」と題されていましたが、現在ではこのタイトルではいろいろ警戒されてしまうでしょう)、やはり実際に調査をして見えてくるものはありますし、現代の日本の官僚が
タイトルからして面白そうだなと思っていた本ですが、今年になって11年ぶりに重版されたのを機に読んでみました。 「人権」というのは、今生きている人間にとって欠かせないものだと認識されていながら、ある時代になるまでは影も形もなかったという不思議なものです。 中学の公民や高校の政治経済の授業では、社会契約説の思想家たちの、「たとえ国家がなかったとしても、すべての人間には一定の権利・自然権があるはずでしょ」という考えが、「人権」という考えに発展し、アメリカ独立革命やフランス革命で政府設立の目的の基礎として吸えられた、といった形で説明していますが、そもそも社会契約説が登場する前には「すべての人間には一定の権利があるはずでしょ」という議論は受け入れられなかったと思うのです。 こうした謎に1つの答えを与えてくれるのが本書です。 人権というと、どうしても法的な議論が思い起こされますが、本書が注目するのは「
2019年10月にピーターソン国債経済研究所で格差をテーマとして開かれた大規模なカンファレンスをもとにした本。目次を見ていただければわかりますが、とにかく豪華な執筆陣でして、編者以外にも、マンキュー、サマーズ、アセモグルといった有名どころに、ピケティと共同研究を行ってきたサエズやズックマンといった人々もいます。 そして、時代が変わったなと思うのは、「格差は是か非か」「政府の介入は是か非か」という原則論が戦わされているわけではなく、格差の是正の必要性重、政府の介入の必要性を認識を共有しつつ、「では、どのような原因があり、どのような政策対応が可能なのか?」といった点で議論が進んでいる点です。 例えば、サマーズとサエズの論説は対立していますが、それは資産税という方法の是非をめぐるもので、政府の介入の是非をめぐるものではありません。 「格差の是正策として、労働市場の規制緩和と社会福祉の削減によって
公共事業では、それを施工する業者を入札で決めることが一般的です。多くの業者が参加して、その中で最安を提示した業者がその工事を落札するわけです。 ところが、日本の公共事業では指名競争入札という形で、発注側が入札できる業者をあらかじめ指定したり、地方自治体では最低制限価格制度という形で一定以下の価格を示した業者を失格にするしくみもあります。 なぜ、このような制度があるのでしょうか? すぐに思いつくのは「利権」の存在です。一般競争入札よりもメンバーが限られている指名競争入札の方が談合などはしやすいでしょうし、最低制限価格制度もそれを教えて業者から賄賂を得るといったことが考えられます。 実際、90年代にはいわゆる「ゼネコンの汚職」が明るみに出て、入札制度の改革が行われたわけですが、それでも指名競争入札や最低制限価格制度はいまだに残っています。 本書は、こうした考えに対して、指名競争入札や最低制限価
近年、日本でも格差の拡大が問題となっていますが、その格差をエリートたちはどのように捉えているのでしょうか? 本書は、そんな疑問をエリートに対するサーベイ調査を通じて明らかにしようとしたものになります。 このエリートに対する調査に関しては、1980年に三宅一郎・綿貫譲治・嶋澄元の3人が実施し、分析から蒲島郁夫が加わった「エリートの平等観」調査という先行する調査があり、今回の調査(2018−19年調査)はそれを引き継ぎながら比較も試みています。 1980年と現在では個人情報に対する意識が違いますし、また当人の「エリートとしての自負」のようなものも違うはずで、調査票の回収にはかなり苦労したようですが、現在に日本の平等観を考える上で興味深い知見がいくつも示されています。 目次は以下の通り 序[竹中佳彦] 第Ⅰ部 平等をめぐる理論と文脈 第1章 平等をめぐる理論と文脈[竹中佳彦・近藤康史・濱本真輔]
ここ最近、ガソリンだけではなく小麦、食用油などさまざまなものの価格が上がっています。ただし、スーパーなどに行けば米や白菜や大根といった冬野菜は例年よりも安い価格になっていることにも気づくでしょう。 このようなさまざまな商品の価格を平均化したものが本書のテーマである物価です。 著者はまず、物価を蚊柱、個々の商品の価格を個別の蚊に例えています。個別の蚊はさまざまな動きをしますが、離れてみると一定のまとまった動きが観測できるというのです。 本書は「個別の蚊の動きを追っても蚊柱の動きはわからない」という前提を受け入れつつ、同時にスーパーなどの商品のスキャナーデータなどミクロのデータも使いながら、「物価とは何か?」、さらには「日本の物価はなぜ上がらないのか?」という謎に挑んでいます。 ジャンルとしては経済エッセイということになるのでしょうが、理論と実証を行き来する内容は非常に刺激的で面白いですね。
現代中国を代表する作家の1人である閻連科。今まで読んだことがなかったので、今回、この『年月日』が白水Uブックに入ったのを機に読んでみました。 最後に置かれた「もう一人の閻連科 ー 日本の読者へ」で、閻連科本人が、自分は「論争を引き起こす作家、凶暴な作家」と見られているが、本作は違うといったことを述べていますが、その通りなんでしょうし、普通の小説とはちょっと違います。 舞台は千年に一度の日照りに襲われた山深い農村で、村人たちが逃げ出す中で、たった一本だけ残ったとうもろこしを守るために、老人の「先じい」と盲目の老犬「メナシ」が残るというものです。 途中でネズミやオオカミは出てきますが、出てくる人間は先じいただ一人と言っていいです。ですから、基本的に本書には会話がなく、描写と先じいのモノローグで構成されています。 帯には「現代の神話」とありますが、呼んでいる印象は神話とか説話に近いです。 日照り
満州事変から日中戦争、太平洋戦争という流れを「十五年戦争」というまとまったものとして捉える見方がありますが、本書は中国における1911年の清朝崩壊から1949年の中華人民共和国の成立までを一連の戦争として捉えるというダイナミックな見方を提示しています。 一連の戦争と書きましたが、著者はこの時期の中国において、「内戦」、日本との「地域戦争」、そして太平洋戦争を含む「世界戦争」という3つの戦争が重なり合う形で進行していたとしています。 内戦下の中国において経済的な権益を求めた日本は地域戦争を引き起こし、日中戦争という地域戦争の処理をめぐって日本は世界戦争に突入して敗北します。そして日本の引き起こした戦争が、共産党に内戦の勝利をもたらしたのです(逆に言うと国民党に敗北をもたらした)。 本書の面白さはこの流れを重層的に描いている点です。副題は「日本・中国・ロシア」となっていますが、これにさらにアメ
なんとも興味を引くタイトルの本ですが、実際に非常に面白いです。 2010年前後、日本では大学の「2018年問題」が新聞や雑誌を賑わせていました。これは2018年頃から日本の18歳人口が大きく減少し始め、それに伴って多くの私立大学が潰れるだろうという予想です。 ところが、2022年になっても意外に私立大学は潰れていません。もちろん、経営的に厳しいところは多いでしょうが、なんとか生き残っているのです。 この謎にオーストラリア・モナッシュ大のブレーデンと、イギリス・オックスフォード大のグッドマンが迫ったのが本書です。 ふたりは社会人類学者であり、「異文化」として日本の中小私立大学を観察し、その特徴を明らかにするとともに、「同族経営」という日本では見過ごされることが多い部分にレジリエンス(強靭さ)を見ています。 特にグッドマンが2003年度に大阪のメイケイ学院大学(大阪学院大学と思われる)で研究し
先日紹介した松林哲也『政治学と因果推論』に続く、岩波の「シリーズ ソーシャル・サイエンス」の1冊。 社会科学の中でも「サイエンス」とみなされにくい社会学について、「社会学もサイエンスである」と主張するのではなく、「社会を知るには非サイエンス的なものも必要なのである」という主張によって社会学の意義付けをはかっています。 著者は以前にも筒井淳也『社会を知るためには』(ちくまプリマー新書)でも、社会学のあり方について論じていましたが、(一応)中高生向けのプリマーより1歩も2歩も3歩も踏み込んだ議論がなされています。 社会学に限らず、社会科学に興味がある人の幅広くお薦めできる本ですね。 目次は以下の通り。 はじめに 第1章 社会学における理論――演繹的ではない理論の効能 第2章 因果推論と要約――記述のための計量モデル 第3章 「質と量」の問題 第4章 知識の妥当性・実用性 終 章 「満員電車を避
著者の博論をもとにした本で副題は「内閣府構想の展開と転回」。興味深い現象を分析しているのですが、なかなか紹介するのは難しい本ですね。 タイトルの「分散化時代」と言っても「そんな言葉は聞いたことがないし、何が分散したんだ?」となりますし、「政策調整」と言ってもピンとこない人が多いでしょう。 そこでまずは第2次以降の安倍政権時に言われた「官邸一強」の話から入りたいと思います。 90年代後半の橋本行革によって1府12省庁制となり、首相と内閣府の権限が大きく強化されました。それまで日本では各省庁からボトムアップの形で政策形成がなされており、首相のリーダーシップは弱いままにとどまっていましたが、この改革によって「政治主導」の実現が目指されたのです。 このしくみをうまく利用したのが小泉政権や第2次安倍政権でした。特に安倍政権では内閣人事局の発足も相まって、省庁の官僚を首相や官房長官、あるいは官邸官僚と
あけましておめでとうございます。 今年もまずは去年の紅白の振り返りから始まるわけですが、去年の紅白の表のテーマが「カラフル」だったとすれば、裏のテーマは「反逆」あるいは「レジスタンス」と言ってもいいもので、非常に政治的な紅白だったと思います。 では、何に対する「反逆」なのか? まずは東京オリンピックに対する反逆です。 オリンピックの開催年、しかも自国開催であったにもかかわらずオリンピック、パラリンピックの扱いは非常に小さく、選手ではゲスト審査員の石川佳純と谷真海がいただけでした。 いつも通りであれば、メダリスト大集合みたいなコーナーがあったはずですし、ゆずの歌唱曲は「栄光の架橋」で体操の橋本大輝を前にして熱唱するステージだったはずです。 そして、アンチ・東京オリンピックがもっとも明確に示されていたのが、マツケンサンバ。Twitter上での五輪の開会式や閉会式に「マツケンサンバを出せ!」との
なんだかあっという間にクリスマスも終わってしまったわけですが、ここで例年のように2021年に読んで面白かった本を小説以外と小説でそれぞれあげてみたいと思います。 小説以外の本は、社会科学系の本がほとんどになりますが、新刊から7冊と文庫化されたものから1冊紹介します。 小説は、振り返ると中国・韓国・台湾といった東アジアのものとSFばかり読んでいた気もしますが、そうした中から5冊あげたいと思います。 なお、新書に関しては別ブログで今年のベストを紹介しています。 blog.livedoor.jp 小説以外の本(読んだ順) 蒲島郁夫/境家史郎『政治参加論』 政治学者で現在は熊本県知事となっている蒲島郁夫の1988年の著作『政治参加』を、蒲島の講座の後任でもある境家史郎が改定したもの。基本的には有権者がどのように政治に参加し、そこにどのような問題があるのかを明らかにした教科書になります。 教科書とい
2014年の雨傘運動、2019年の「逃亡犯条例」改正反対の巨大デモ、そして2020年の香港国家安全維持法(国安法)の制定による民主と自由の蒸発という大きな変化を経験した香港。その香港の大きな変動を政治学者でもある著者が分析した本。 香港返還からの中国と香港のそれぞれの動きを見ながら、さまざまな世論調査なども引用しつつ、いかに香港が「政治化」したか、そして香港を取り巻く情勢がいかに変わっていたのかを論じています。 目次は以下の通り。 序 章 香港政治危機はなぜ起きたか 第一章 中央政府の対香港政策――鄧小平の香港から,習近平の香港へ 第二章 香港市民の政治的覚醒――経済都市の変貌 第三章 「中港矛盾」の出現と激化――経済融合の効果と限界 第四章 民主化問題の展開――制度設計の意図と誤算 第五章 自由への脅威――多元的市民社会と一党支配の相克 第六章 加速する香港問題の「新冷戦化」――巻き込み
今年10月の総選挙で躍進を遂げた維新の会、特に大阪では候補者を立てた選挙区を全勝するなど圧倒的な強さを見せました。結成された当初は「稀代のポピュリスト」橋下徹の人気に引っ張られた政党という見方もあったと思いますが、橋下徹が政界を引退してもその勢力は衰えていません。 しかし、その維新の会も大阪都構想をめぐる住民投票では2015年、2020年と2回続けて敗北しました。維新の人気が下り坂になっているわけではないのに、看板政策で2度にわたって躓いたのです。 この1回目の住民投票を中心に分析したのがサントリー学芸賞も受賞した著者の前著の『維新支持の分析』でした。 前著では維新への支持は「弱い支持」であると位置づけた上で、住民投票の否決に関して、「すなわち態度変容を生じさせやすい維新を支持していた大阪市民が、特別区設置住民投票の特異な情報環境下で、自らの批判的な志向性に基づき熟慮した結果、賛成への投票
ミュデ+カルトワッセル『ポピュリズム』やエリカ・フランツ『権威主義』と同じくオックスフォード大学出版会のA Very Short Introductionsシリーズの一冊で、同じ白水社からの出版になります(『ポピュリズム』はハードカバーで『権威主義』と本書はソフトカバー)。 著者は、スコットランドに生まれ現在はアメリカのニューヨーク大学で教えている犯罪や刑罰の歴史を研究する社会学者です。 「なぜ、そのような人が福祉国家について論じるのか?」と思う人も多いでしょうが、本書を読むと、著者が福祉国家をかなり広いもの、現代の社会を安定させる上で必要不可欠なものだと考えていることがわかり、その疑問もとけてくると思います。 目次は以下の通り。 第1章 福祉国家とは何か 第2章 福祉国家以前 第3章 福祉国家の誕生 第4章 福祉国家1.0 第5章 多様性 第6章 問題点 第7章 新自由主義と福祉国家2.
日本でも先日、衆議院議員の総選挙が行われ、その結果に満足した人も不満を覚えた人もいるでしょうが、冒頭の「日本語版によせて」の中で、著者は「選挙の最大の価値は、社会のあらゆる対立を暴力に頼ることなく、自由と平和のうちに処理する点にあるというものだ」(7p)と述べています。 日本に住んでいると、この言葉にピンとこないかもしれませんが、著者は選挙の歴史や国際比較を通じて、この言葉に説得力を与えていきます。本書の帯にある「選挙とは「紙でできた石つぶて」である」との言葉も本書を最後まで読むと納得できるでしょう。 著者は1940年にポーランドで生まれた比較政治学者で、1960年代にアメリカに留学して以来、主にアメリカの大学で教鞭をとっています。 このポーランド生まれというところが、ありきたりな民主主義論とは違う、一風変わった民主主義と選挙についての考えのバックボーンにあるのかもしれません。 目次は以下
副題は「ナッジからはじまる自由論と幸福論」。著者はノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーらとともに「ナッジ」を利用した政策を推し進めようとしている人物であり、オバマ政権では行政管理予算局の情報政策及び規制政策担当官も務めています。 サンスティーンの本は1回読んでおかなければと前々から思っていたのですが、非常に多作な人物であり、「一体どれから読もうか?」などと考えているうちに今に至っていました。 そんな中で手にとったのがこの本。コンパクトな入門書のシリーズであるCambrige Elementsの公共経済学シリーズの1冊であり、本文140ページほどの中にサンスティーンの考えがコンパクトにまとまっています。 サンスティーンによる、自らの考えへの入門書と言えるでしょう。 目次は以下の通り。 第1章 イントロダクション 第2章 行動科学革命 第3章 自分で選べば幸せになれるのか? 第4章
岸田内閣が成立し、衆議院の総選挙が10月31日に決まりました。政治好きとしては「総選挙」と聞くだけでなんとなく盛り上がってしまうのですが、ここ数回の国政選挙に関してはその結果に不満を持っている野党支持者、あるいは無党派の人も少なくないと思います。 「なぜ自民が勝ってしまうのか?」、「毎回野党に勝ち目がなさそうなのはなぜなのか?」と思う人もいるでしょうが、その理由を何冊かの本と考えてみたいというのがこのエントリーの狙いです。 まず、出発点となるのは谷口将紀『現代日本の代表制民主政治』(東京大学出版会)の2pに載っているこのグラフです。 グラフのちょうど真ん中の山が有権者の左右イデオロギーの分布、少し右にある山が衆議院議員の分布、そしてその頂点より右に引かれた縦の点線が安倍首相のイデオロギー的な位置です。 有権者のイデオロギーよりも、衆議院議員のイデオロギーが右側にずれており、さらに安倍元首相
エスカレーターに乗るとき、東京では左側に立って右側を空け、大阪では右側に立って左側を空けます。別にどちらを空けてもいいようなものですが、なぜかこのようになっています。 この「なぜ?」を説明するのがゲーム理論と均衡の考え方です。一度「右側空け」が成立すれば、みながそうしたほうがスムーズになり、「左側空け」を選ぶインセンティブはなくなります。 そして、このエスカレーターの例が面白いのは、鉄道会社などから「片側空けはやめましょう」とアナウンスされているにもかかわらず、少なくとも2021年8月現在、この慣習が続いている点です。 一度成立した「制度」は外からのはたらきかけで簡単に変わるものではなく、また、公的なルールが「制度」を保証しているわけでもないのです。 ここで「制度」という言葉の使い方に違和感を覚えた人もいるかもしれません。「制度」というのはフォーマルなものであり、エスカレーターの乗り方など
中学で公民を教えるときに、教えにくい部分の1つが被差別部落の問題です。 問題を一通り教えた後、だいたい生徒から「なんで差別されているの?」という疑問が出てくるのですが、歴史的な経緯を説明できても、現代でも差別が続いている理由をうまく説明することはできないわけです。 もちろん、地域によっては子どもであって差別を身近に感じることもあるかもしれませんが、東京の新興住宅街などに住んでいると、差別が行われている理由というものがわからないのです。 本書はそのような疑問に答えてくれる本です。 本書の「はじめに」の部分に、結婚において差別を受けた部落出身の女性が、差別する理由を重ねて尋ねると、相手の母親が「すみません、なんで今でも差別があるんでしょうか?」と、差別をしているにもかかわらず、その理由を差別している相手(女性の母親)に訊くというエピソードが紹介されているのですが、差別している本人が差別している
世界の不平等について論じた『不平等について』や、「エレファント・カーブ」を示して先進国の中間層の没落を示した『大不平等』などの著作で知られる経済学者による資本主義論。 現在の世界を「リベラル能力資本主義」(アメリカ)と「政治的資本主義」(中国)の2つの資本主義の争いと見た上で、その問題点と今後について論じ、さらに「資本主義だけ残った」世界の今後について考察しています。 著者のミラノヴィッチはユーゴスラビア出身なのですが(ベオグラード大学の卒業で、アメリカ国籍を取得)、そのせいもあって社会主義とそこから発展した中国の政治的資本主義の分析は冴えており、「社会主義が資本主義を準備した」という、挑戦的なテーゼを掲げています。 アセモグル&ロビンソンは『国家はなぜ衰退するのか』や『自由の命運』の中で、中国の発展はあくまでも一時的なものであり、民主化や法の支配の確立がなされないかぎり行き詰まると見てい
歴史を見ていくと、日本が戦争へと突き進んでいく中で、1938年に厚生省が誕生し、同年に農家・自営業者向けの国民健康保険法が創設され、42年に労働者年金保険が誕生するなど、福祉政策が進展していたのがわかります(1940年の国民学校の創設と義務教育の延長をこれに含めてもいいのかもしれない)。 なぜ、戦争と同時に「福祉国家」の建設が目指されたのか? そして、この「福祉国家」とは現在の「福祉国家」と同じものと考えていいのか? ということが本書の取り扱うテーマになります。 役所の文書の引用が多いために、「面白がって読める」というような本ではないかもしれませんが、読み進めるに従って現れてくる戦争下の「福祉国家」の姿は間違いなく面白いものです。 今回、「書物復権」で復刊されたのを機に読んでみましたが、戦争が日本の社会に与えたインパクトを考える上で外せない本ではないでしょうか。 目次は以下の通り。 序章
社会保障に関する政府のさまざまな会議の委員を務め、民主党政権では内閣参与になるなど、近年の日本の社会保障政策の形成にも携わってきた著者が、ここ30年ほどの日本の社会保障の歴史を振り返り、「なぜこうなっているのか?」ということを読み解き、今後目指すべき新たな方向性を模索した本。 なんと言っても本書で面白いのは日本の福祉政治についての現状分析。基本的に自民党が強い中で、その体制が揺らぐ事態が生じると「例外状況の社会民主主義」とも言える方向性が打ち出されます。これに増税を目指す財務省(大蔵省)が乗っかることが介護保険などの新しい社会保障制度が生まれます。 ところが、財務省の目的は財政再建ということもあって、「磁力としての新自由主義」ともいうべき考えが制度の発展を制約します。なるべく公費の投入を抑え、民間企業を参入させるような福祉が目指されるのです。 さらに地域では「日常的現実としての保守主義」が
中国が発生源の未知の病「シェン熱」が世界を襲い、感染者はゾンビ化し、死に至る。無人のニューヨークから最後に脱出した中国移民のキャンディスは、生存者のグループに拾われる……生存をかけたその旅路の果ては? 中国系米国作家が放つ、震撼のパンデミック小説! 6歳のとき中国からアメリカに移民したキャンディスは、大学卒業後にニューヨークへとやってくる。出版製作会社に職を得るも、やりがいは見出せない。だがそんな日常は、2011年に「シェン熱」が中国で発生したことで一変する。感染するとゾンビ化し、生活習慣のひとつを繰り返しながら死に至るという奇病で、有効な治療法はない。熱病はニューヨークへも押し寄せる。恋人や同僚をはじめ、人々が脱出していくなか、故郷のない彼女は、社員の去ったオフィスに残る。機能不全に陥った街には、もはや正気を失い息絶えた熱病感染者と自分しかいない―ある日、彼女はついにニューヨークを去る決
副題は「資本主義を生んだ17世紀の消費行動」。タイトルと副題を聞くと、「勤勉革命なのに消費行動?」となるかもしれません。 「勤勉革命」という概念は、日本の歴史人口学者の速水融が提唱したものです。速水は、江戸時代の末期に、家畜ではなく人力を投入することで収穫を増やす労働集約的な農業が発展したことを、資本集約的なイギリスの産業革命と対照的なものとして「勤勉革命」と名付けました。 本書によると、この労働時間の増大は17世紀後半のオランダにも見られるといいます。著者は、およそ1650〜1850年の時期を「長い18世紀」と呼んでいますが、この時期、世帯単位の労働時間は増えていきました。 この時期のオランダで「勤勉革命」などと言うと、マックス・ウェーバーを読んだ人であれば「プロテスタンティズムの影響?」と思うかもしれませんが、著者が本書で指摘する要因はずばり「消費」です。 この時期のオランダでは、陶器
タイトルからは何の本かわからないかもしれませんが、副題の「世論調査と計量テキスト分析からみるイラクの国家と国民の再編」を見れば、ISの台頭など、紛争が続いたイラクの状況について計量的なアプローチをしている本なのだと想像がつきます。 近年の政治学では、こうした計量的なアプローチがさかんに行われており、イラクのような紛争地域に対してもそうした研究が行われることに不思議はないのですが、実は著者は計量分析を専門にしている人ではなく、本書は紛争の激しいイラクでなかなか現地調査を行えないことから生まれた苦肉のアプローチなのです。 しかし、その苦肉の策から見えてくるのは、イラクの意外な姿です。 「イラクでは国家が信用を失い、代わって宗教指導者や部族長が人びとを導いている」、あるいは、「宗派対立が激しく、イラクという国はシーア派とスンニ派とクルド人の住む地域で分割したほうが良い」といったイメージを持つ人も
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『西東京日記 IN はてな』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く