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第五章「物語は「神なるもの」をどう描いて来たか」 ①「SF小説に見る宗教性と反宗教性」 ②「科学合理性の魅惑と限界」 ③「後期クイーン問題と神」 ④「酸鼻と陰惨のゴシック・ホラー」 ⑤「ナルニアへ続く箪笥」 第六章「性と聖」 ①「推し活は「性的消費」なのか」 ②「エロティシズムと聖なるもの」 ③「泣けるゲームやアニメの神聖な構造」 ④「愛という言葉すら忘れ去られて」 ⑤「詩人が見た夢」 ⑥「性と聖を統合し昇華する」 第七章「推し文化のスピリチュアルなかたち」 ①「ふたつの殺人事件」 ②「共食いの匣」 ③「悪の華、咲きそめる」 ④「尊くもグロテスク」 ⑤「その都市の名はオメラス」 ⑥「実存的空虚の解」 第八章「朝」 ①「供犠の処女」 ②「新人類は遠く」 ③「この心臓をきみに」 ④「わたしたちの完璧な世界」 ⑤「神の指さきに触れるとき」 ⑥「朝」 終章「夢の論理」 第五章「物語は「神なるもの」
それは、どこかで「聖なるもの」と繋がっているのか? それともまったく無関係な「俗なる文化」に過ぎないのか? 考えてみよう。 序文 序章 第一章「オタク・スピリチュアリティとは何か?」 ①「オタク文化と宗教のアフィニティ」 ②「アイロニカルに没入する」 ③「オタク・スピリチュアリティ」 ④「ありとあらゆる善きものの象徴にして集合」 ⑤「世界の秘密と始原の暗号」 ⑥「推しを通して聖なるものを垣間見る」 第二章「非合理性の誘惑」 ①「スピリチュアル文化の歴史と現状」 ②「オタク文化のなかのスピリチュアルな表象」 ③「人はなぜ非合理的なものを求めるのか」 ④「人類は宗教を離脱するのか」 ⑤「この世に不思議は残されているのか」 ⑥「聖なるもののデカダンス」 第三章「異教を信じる人々」 ①「世界境界とオタクの絶対倫理」 ②「復活を遂げるペイガニズム」 ③「くらやみから飛び出た魔女たち」 ④「妖精郷グラ
どこか「気持ち悪い」ことこそが「気持ち良い」のはなぜなのだろう? 『進撃の巨人』や『推しの子』を題材に考えてみた。 【ハイパーポルノの時代】 【いつか動画は「個人用」になる】 【だれもが王さまになれるときが来る?】 【AIは「決定的な意外性」を演出することができるか?】 【「傷つけてほしい」という需要】 【万能のAIが描くことを許されないもの】 【AIもまた「他者性」を感じさせなければならない】 【『進撃の巨人』のグロテスク】 【『推しの子』はなぜ「気持ち悪い」のか】 【配信サイトリスト】 【お願い】 【電子書籍などの情報】 【おまけ】 【ハイパーポルノの時代】 「ハイパーポルノ」という言葉をご存知でしょうか? ネットの記事によると以下のように説明されるコンテンツです。 非常に高度なレベルで文章を生成できる対話型AIのChatGPTや、画像生成モデルのDALL・Eなどを始めとした画像生成A
もちろんあなたもそうだろうと思うが、『ドラえもん』が好きだ。 映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ) ドラえもん/水田わさび Amazon 未来からやって来たネコ型ロボットのドラえもんと「ダメ人間」の野比のび太少年を中心に全1300話を超えるというこの物語には、不世出の天才作家・藤子・F・不二雄の無二の創造力が最高の形で充溢している。 そこにあるものはクールでシニカルな人間観察であり、数知れないSF的奇想であり、それぞれに欠点を抱えた登場人物の辛辣な描写であり、そして何より人間と人間性に対する底知れない優しさである。 だれもがいつ欠点を暴き立てられ攻撃と追求の火のなかへ追いやられるかわからない、この「裁きの時代」に『ドラえもん』の「赦し」はひときわ印象的だ。 あたかもときに弱く、ときに愚かな人間存在の本質的な不完全性そのものを赦し、認め、慰めてくれるかのよう。 その寛容の
『萌えの研究』を書いた大泉実成(id:oizumi-m)はそれに続く『オタクとは何か?』の第12回で次のように書いている。 オタクとは何か? 作者:大泉 実成 草思社 Amazon 僕は前作の『萌えの研究』の中で、どうしても理解できない作品として『マリア様がみてる』をあげた。自分の目の前に立ちはだかる最大の壁、といった言い方もした。 なぜかといえば、このミッション系お嬢様学校の、「姉妹(スール)」と呼ばれる女子高生同士の恋愛の姿の、その何をどう楽しんでいいかがさっぱりわからなかったからである。そこには僕の入り込む余地がまるでないのだ。なぜなら、そこには自分の自我を託せるような男性主体が出てこないからである。 マリア様がみてる1 (集英社コバルト文庫) 作者:今野緒雪 集英社 Amazon 今日は、ここらへんの話をすることにしよう。題して「オタクは女の子になりたがっている?」。 大泉は、上記
先日、世界的大ヒットの映画『バービー』が少し遅れて日本でも公開されました。 これが賛否両論の大問題作で、漫画家の奥浩哉さんの感想ツイートを巡って早くも炎上事件が起きたりしています。 映画、バービー観た。最初の方はお洒落だし可愛いし笑いながら観てたけど後半になるにつれてだんだん冷めていった。なんか強烈なフェミニズム映画だった。男性を必要としない自立した女性のための映画。こんなの大ヒットするアメリカ大丈夫なの? pic.twitter.com/hNqkOQy0By — 奥 浩哉 (@hiroya_oku) 2023年8月11日 この件に関してはいろいろな立場がありえると思うのですが、ぼくとしてはまあ、こんなことを書いたら批判が相次ぐのは当然かなと。 どう読んでも「男性を必要としない自立した女性」を否定的に捉えているとしか思えない文章であるわけで、「は? 女性が自立しようとすることを邪魔するつも
「セカイ系」とは何なのか、たとえば「SF小説」とはどう違っているのか? その問いから始めて、『エヴァ』や『ガンダム』から『攻殻機動隊』、あるいは『進撃の巨人』といった傑作アニメに共通する「ワールドビルディング」という方法論を見ていきたい。 【「セカイ系」は「SF」の一種なのか?】 【セカイ系と「SF的リアリティ」の欠落。】 【SF小説は「ミクロ」が弱い。】 【ここが違う! 「SF小説」と「セカイ系」の落差。】 【ライトノベルも文学も。】 【「キャラ」と「キャラクター」の両立。】 【ライトノベルは「キャラ」中心。】 【『天冥の標』のキャラクター描写。】 【「世界の秘密」を探る物語が流行する?】 【物語への興味が「個人の内面」から「世界の秘密」へ移っている?】 【『ガンダム』の魅力は「世界」にあり。】 【「小世界」と「大世界」は補い合う。】 【「世界」とは「生きたひとりのキャラクター」。】 【
以前、映画『劇場版SHIROBAKO』について「女性描写の多様性が欠けている」ことを批判的に指摘するツイートが話題になったことがありました。 ある意味で一面的、あるいは表面的な指摘とも見え、非難囂々だったのですが、ぼくは、じつはこれはなかなか面白いところをついているな、と思っています。 もちろん、このワンカットだけを取って「女性はある種の規格に収まらなければ存在自体がないことにされるというのが、業界の空気をむしろリアルに映し出している」というのはあまりにも暴論とも思えるわけですが、まあ、たしかに男性描写の多様性に比べ、女性たちは一様に若く、可愛らしく描かれているとはいえそうです(もっとも、本編にはもう少し多様な女性も登場しているのですが)。 この指摘そのものを納得はしないにせよ、ひとつの着眼点として、なかなか面白い。 ただ、そういう描写になっている理由はあきらかで、まさにこの物語が女性たち
「上の世代のオタク差別意識が異常に感じる」という匿名記事が以前、話題になった。 上の世代と言っても私も今年30歳になったばかりなんだけど、はてなとかツイッター見てると40~60代と思しき人のオタク差別意識見るとビックリする。 オタクを人間扱いしてなかったり、どういう罵倒をしてもいいと思ってたり、最近はオタクが統一協会と関わりがあると言い出したり・・・・・正気になって、オタクってただの趣味だよ?世の中のオタクはただ同じ趣味なだけの他人だよ? https://anond.hatelabo.jp/20211003125552 ぼくは「差別される側」であるわけだが、この気持ちはよくわかる。 かつて、「オタク差別」は「あたりまえ」の感情だった。 オタクとは異常者であり、犯罪者予備軍である。そのような「異常」な偏見に満ちた意見が、ごくふつうに語られていたのだ。 ぼくはその時代をじっさいに生きて来たから
フリージャーナリストである佐々木俊尚さんの「「不快なもの」をなぜ社会から除外してはならないのか」と題するnoteが面白かった。 タイトルの通り、だれかが不快に感じるものであっても社会から排除してはならないとする論旨の記事。 ネットの情報を「プル(自ら引っ張ってくるもの)」とプッシュ(向こうからこちらにやってくるもの)に分け、かつてプルであったものがいまはソーシャルメディアの発達によってプッシュになって来ていると語っています。 その結果、人々の「不快なもの」との遭遇率は劇的に向上し、「不快なもの」を排除しようとする世論も高まっていると。 非常に良く納得できる話です。しかし、それではなぜ「不快なもの」を排除してはならないのでしょうか? 「不快なもの」などないほうが快適な社会になって良いのでは? もちろん、それはひとつには、何を「不快」と感じるかが人によって違っているからでしょう。 俗に「萌え絵
思い出します。その昔、「ファンタジー」という言葉は、それはそれは趣深い神秘と、魔法と、幻想とを意味していました。遥かな遠い異郷への想いを乗せた幻想。 しかし、時が過ぎ、かつては霧深い森の奥に隠されていたこの言葉はあたりまえに使われるようになり、人びとの目に晒され、しだいに陳腐化していきました。 いまでは、神秘も、魔法も、幻想もすべては失われ、それらは単なるありふれた「記号」としての意味しか持っていないかのようです。 そう、クラシックスタイルのファンタジーの黄金時代はあっさりと過ぎ去り、いまはもう「ゲームファンタジー」ばかりが流行しています。 とはいえ、失われたものを嘆くことはやめておきましょう。いまの作品には、いまのバリューがある。 はるかな黄金の魔法時代は過ぎ去ってしまったけれど、ロード・ダンセイニもトールキンももう過去の作家ではあるけれど、いまにはいまの作家があり、作品がある。それはそ
「少女漫画」は「女性の恋愛」を支配するのでしょうか? いくつかの記事を元に考えてみましょう。 『カレカノ』、『フルバ』は「有罪」か? 女神なんてなれないまま、わたしは生きる。 女性の恋愛とモラルハラスメント。 ドS男子に媚びる恋愛。 「真実の愛」という幻想。 お仕事のお願い 電子書籍の宣伝 おまけ 『カレカノ』、『フルバ』は「有罪」か? まず、少し昔の内容になりますが「『彼氏彼女の事情』『フルーツバスケット』がアラサー女子の恋愛観にもたらした闇」という記事を引用したいと思います。 タイトルの通り、少女漫画往年の名作『彼氏彼女の事情』と『フルーツバスケット』を扱った記事です。この記事によると、両作品には以下のような共通点があるとされています。 ・女子(主人公)が努力家、優等生、いい子 ・男子(恋の相手)が特別な存在(人気者、特殊能力あり) ・でも男子は「過去のトラウマ」を抱え、心の闇を持って
はたして若い男性を主要なターゲットとする「少年漫画」は「女性読者」を励まし勇気づけることが可能なのでしょうか? 『少年ジャンプ』の「ジェンダー描写」について、『鬼滅の刃』を中心に語りたいと思います。 鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックスDIGITAL) 作者:吾峠呼世晴 集英社 Amazon 『少年ジャンプ』とジェンダー。 『鬼滅の刃』と『バガボンド』。 「強さへのフェティシズム」の魅力と限界。 『鬼滅の刃』の「ガールズエンパワーメント」。 甘露寺蜜璃の過剰なガーリッシュ。 「欧米型のフェミニズム」とは異質な方法論。 『ONE PIECE FILM RED』という「女の子の物語」。 配信サイト一覧 お仕事のお願い 自作の宣伝 『少年ジャンプ』とジェンダー。 『ジャンプ』はしばしば特にフェミニズムの視点から、「ジェンダーの描写に問題がある」と指摘されてきました。 その指摘の成否については意見が
非モテについて考えるとき、ぼくはいつもひとつの疑問に向き合わざるを得なくなる。 非モテを自認する人たちは、なぜ自分がモテない理由を容姿に求めるのかということだ。 かれらは一様に口々にいう印象である。「自分はこんなキモメンだからモテない。女は顔しか見ない」と。 なるほど、と思う。たしかに顔がふた目と見れないほど醜いからモテないということはありえるだろう。 容姿は恋愛ごとにおける重要なファクターである。一般的にいって、イケメンや美女はそうでない人よりより異性や同性に好かれやすい。 ぼくのようなハゲのおっさんの何倍も好意を得やすいのではないかと思うくらい。 しかし、その一方で、その非モテ(を自認する人)がモテないほんとうの理由が容姿にあるのかということは疑問符が付く。 単純な話、容姿に問題があることが自明だとしても、その他の点に問題がないということにはならないではないか。 「容姿が醜い」ことと「
つるまいかだ『メダリスト』が面白いです。今度、アニメ化するそうだけれど、そりゃそうだろという破格の面白さ。 メダリスト(1) (アフタヌーンコミックス) 作者:つるまいかだ 講談社 Amazon 現在、連載されているスポーツマンガのなかでは、ぼく的に『アオアシ』と並んでツートップですね。 アオアシ(1) (ビッグコミックス) 作者:小林有吾 小学館 Amazon このマンガ、とにかく非常に現代的な印象を受ける。 おそらく完結したら歴史的な傑作と呼ばれるようになると思うんだけれど、「メダリスト」という直球のタイトルからもわかる通り、「現代という時代で傑出するのはどういう人間なのか? どうすれば傑出することができるのか?」というテーマを扱っているように見えます。 そこがリアルタイムで連載を読んでいて、何とも痺れるポイントですね。 紛れもないスポーツマンガではあるのだけれど、ひとつスポーツマンガ
アルベール・カミュの実存主義文学の傑作といわれる『異邦人』は、「今日、ママンが死んだ。もしかしすると昨日かもしれないが、私にはわからない。」というショッキングな文章で始まる。 異邦人(新潮文庫) 作者:カミュ 新潮社 Amazon トルストイの『アンナ・カレーニナ』などと並んで、文学史上でも指折りの「印象的な最初の一文(正確には二文だけれど)」だろう。 しかし、この文章が読者の心に一瞬でつよく刻み込まれるのはなぜだろうか。 それは、「母親が死んだ日をわからない」ということが、単なる親不孝を超えて、異常なまでの虚無と荒廃を感じさせるからだろう。 母親が死んだ。今日だと思うが、昨日かもしれない。たったこれだけのことなのだが、主人公ムルソーの内面の荒涼とした光景を想起させるものがある。 この人物の心理はいわゆる「人間的」な心の形からかけ離れているのではないかと感じさせるのである。 しかし、よくよ
今日も今日とてTwitterを見ていたら(何、X? 知らないな)、なぜか水野良の『ロードス島戦記』がトレンド入りしていました。どうやらブックウォーカーでセールをやっているおかげらしい。 あるいはこのツイートが原因なのかもしれないけれど、よくわからない。 このキャラの名前と、登場するアニメの名前を知っている方いるかなぁ。 pic.twitter.com/eQTGYdLa1G — 賢龍帝 (@koutei007) 2023年8月2日 いまとなってはファンタジー小説の古典というか、「過去の名作」の位置づけで、あらたに読もうという人もそれほど多くはないと思うけれど、ぼくにとっては青春の一作です。 ぼくがこのシリーズを追いかけていたのはじつに30年以上前、小学生(!)の頃ですが、いまでもパーン、ディードリット、ギム、エト、スレイン、ウッド・チャックらのことは良く記憶していますね。 まあ、それだけ印象
先ほど、たまたま母が見ていたYouTubeをいっしょに見たのだが、壮絶な内容で衝撃を受けた。 それは「社会的ひきこもり」の人物を外に連れ出すことを目的としたある団体の宣伝動画で、どうやらその人物の親から連絡を受けてかれを自分たちに施設に連れ出すことを目的にやって来たらしい。 かれらは「30分で決めてください」といって、その男性に家を出て自分たちの施設にやって来ることを迫るのである。 一見すると「ひきこもりの息子に苦しむ親を助ける正義の行為」に見えるかもしれないが、あきらかな人権侵害であり、いい歳をしてほぼひきこもりのような生活をしているぼくには身につまされる内容だった。見ていて息苦しくなるくらい。 たしかに、ひきこもりの問題は重大だろう。そのまま放っておいても解決しないことも事実ではあるだろう。 しかし、だからといってこのような人間の尊厳を無視したやり口で解決できるとはとうてい思えない。
昔から思うことがある。海原雄山の生き方はしあわせなのだろうか、と。 いや、『美味しんぼ』最新巻あたりの海原雄山は孫までできてなかなかしあわせそうに見えるのだが、ここで取り上げたいのはそういう話ではない。 美味しんぼ(100) (ビッグコミックス) 作者:花咲アキラ,雁屋哲 小学館 Amazon 「きびしい評論家」としての海原雄山のあり方は矛盾していないだろうか、ということである。 いうまでもなく、でもないかもしれないが、海原雄山は作中で最高の陶芸家にして料理研究家である。 かれは日本料理に精通し、「至高のメニュー」という一連の料理を創案するほどその実力は際立っているということになっている。 しかし、雄山は一方できわめてきびしい料理評論家でもあり、しばしば他人の料理を酷評してその人物を窮地に追い込む。 ぼくは、このような雄山のあり方に疑問があるのだ。そのようなきびしさは、だれよりも雄山自身を
【「真の弱者」の地位を狙って繰り広げられるバトルロイヤル。】 【「真の弱者」は実在するのだろうか?】 【お願い】 【電子書籍の情報】 【「真の弱者」の地位を狙って繰り広げられるバトルロイヤル。】 べつに目新しい発想でも何でもないが、ひとつ思うことがあるので書いておく。 いま、ネットで起こっていることは、つまりは「弱者」の立場の取り合いだなあという話である。 この場合の「弱者」とは、もちろん体力とか精神力が弱いということではなく、「立場の弱い人」ということだ。 今日、ネットで語られている政治的な論争は、そのほとんどが「だれが弱者であるか」、「だれが弱い立場にいるか」を巡って展開しているようにすら思える。 あたかも、ほとんどだれもが「自分と自分たちの属するグループこそが「弱者」だ」と「弱者の立場」を奪い合っているかのよう。 これではまるで、「弱者の立場」はドラゴンボールかワンピース(ひとつなぎ
◆無料で読める「ピッコマ」のマンガを楽しもう。 「ピッコマ」をご存知でしょうか。 あなたがマンガ好きならきっと名前くらいは知っていることでしょう。何百万人も会員がいる大手マンガアプリです。 日本のマンガも読めるのですが、ぼくのオススメは韓国のマンガ。 あまり大きく作者の名前が書かれていないし、題材も異世界ファンタジーだったりするので、うっかり「これ、日本のマンガなのかな?」と思いかねないところなのですが、掲載作品の多くは韓国のマンガを翻訳したものであるようです。 そのクオリティはおおむね高く、内容も統一感があるので(悪くいえばマンネリですが)、その系統のものを好きな人は安心して読めます。 また、「待てば0円」というシステムがあり、1話につき23時間待つと無料で続きを読むことができます。 つまり、毎日更新されるブログを読むような感覚で読み進められるわけで、おそらくいくつものマンガを並行して無
赤坂アカ&横槍めんごのマンガ『推しの子』が面白いです。 【推しの子】 12 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) 作者:赤坂アカ,横槍メンゴ 集英社 Amazon ぼくは常時、雑誌で最新話を追っているのですが、あいかわらずの予想を超える展開に目が離せません。 いったいこの物語はどこに行くのでしょうか? アクアの復讐は果たされるのか? ルビーの夢は叶うのか? たぶんハッピーエンドだろうと見ているのだけれど、いまの段階ではまだ何ともいえませんね。 最終回でアクアが刺されて終わってもおかしくないような作品だけに、ドキドキハラハラが続いています。 それにしても、ぼくはこのマンガ、連載開始時点からずっと追いかけているのだけれど、どうもうまくその面白さを言語化できない。 いったいなぜここまで面白く、また人気が出たのか、精緻に言語化できない気がするのですね。 たしかにアイドル、転生、復讐、ミステリ
こんな記事を読んだ。 AAAの與真司郎氏のカミングアウトに関する記事であり、ほとんど全面的に同意できる。なかでも、非常に興味深いと感じたのが以下の箇所だ。 最初の右派アカウントのツイートのリプ欄の「ゲイ差別のない日本」と書いてる人いて、すごい認知だなと思うけど(マツコ・デラックス氏などがテレビに出ていることや、江戸時代以前の男色文化などを証拠として「ほら受け入れられてるじゃん」という認識らしい)、現実には「当たり前のようにスルーされる」からはほど遠い。例えば「眼鏡をかけてる人」をいちいち珍しがらないのと同じくらいには全くなってない。 それな! この頃、「日本に同性愛者差別はない/なかった」という主張をいろいろなところで見かけるようになった。 ぼくは個人的には当然ながら「あるし、あっただろう」という立場に立つのだが、まあ、「なかった」という(非当事者の)意見も鎧袖一触で否定することはしない。
誰だってちょっと落ちこぼれ スヌーピーたちに学ぶ知恵 作者:河合隼雄 講談社 Amazon この本はタイトルからわかるように、スヌーピーの登場する漫画『ピーナッツ』を通じて人生の知恵を学ぼう、という趣旨です。 『ピーナッツ』は実に奥深い漫画で、そこで見られる悩みの深さはちょっとアメリカ人が書いているとは信じがたいくらい(偏見)。 アポロ10号が建造されたとき、司令船と月面着陸船が「チャーリー・ブラウン」および「スヌーピー」と名づけられたことをご存知の方も多いでしょう。アメリカ人にとってはそれくらいメジャーな作品なのです。 さて、この作品にはライナスという有名な少年が登場します。非常に頭がいい少年で、たぶん『ピーナッツ』の全登場人物中、いちばん聡明かもしれない。聖書をすらすらと暗唱したり、哲学的な警句を吐いたりと、その非凡な知性は行動にあらわれます。 ところが、その反面、幼い頃からもっている
いったいいつからこうなったのだろう、と思うことがあります。 何の話かというと、「ボケ」と「ツッコミ」の話。あるいは「ベタ」と「メタ」の話です。 最近――でもないでしょうが、多くの人が「批判される側」に回ることをいやがって、「批判する側」に回るため、「とにかく先に批判しよう」としているような雰囲気を感じます。 そのことが社会前提にある種の閉塞感をもたらしている。 こう書くと「そんなものを感じているのはおまえだけだ」といわれるかもしれないので急いで説明しておくと、こういうふうに考えているのはぼくだけではありません。 この「ボケ」と「ツッコミ」という表現の出典はマキタスポーツ(槙田雄司)の『一億総ツッコミ時代』なのです。 決定版 一億総ツッコミ時代 (講談社文庫) 作者:マキタスポーツ 講談社 Amazon この本では、日本国民のだれもが「ボケ」ることを恐れて「ツッコミ」に回るようになったかと見
このブログを読むような人にはいまさら説明をする必要もないかもしれないが、『Fate』シリーズに登場する剣の英霊セイバーことアルトリア・ペンドラゴンはとても人気のあるキャラクターだ。 Fate/Grand Order セイバー/アルトリア・ペンドラゴン[第二再臨] 1/4スケール PVC製 塗装済み完成品フィギュア フリーイング(FREEing) Amazon 彼女の正体は少女でありながら男性としてアーサー王と呼ばれた人物であり、『Fate/Zero』、『Fate/Grand Order』などの姉妹編にもくり返し登場すること、また、彼女からさまざまな「アルトリア顔」のキャラクターが派生していったことからもその人気の高さはわかることだろう。 劇場版 Fate/Grand Order -神聖円卓領域キャメロット- 前編 Wandering; Agateram 宮野真守 Amazon Fate/Z
わたしもそうだし、あなたもそうだろうと思うが、人はだれでもいつも冷静かつ客観的に現実を把握しているわけではない。 むしろ、そのようなことはめったにないといったほうが良い。自分ではどれほど精緻にものごとを認知しているつもりでも、そこにはある種の「歪み」がともなっている。 心理学ではそういった歪みを総称して「認知バイアス」と呼ぶ。現在、心理学で認められている認知バイアスの数は優に百を超える。 わたしたちはそのくらいさまざまな偏見を抱えながら日常を生きているわけである。つまりはほとんどだれもが皆、客観的に現実を見ていると信じながらその実、自分にとって都合が良い方向に世界をねじ曲げて認識していることになる。 たとえば、認知心理学では「確証バイアス」と呼ばれる認知のクセが確認されている。 ターリ・シャーロットの著書『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』にはこのようなエピソードが記載されている。 事
「セクシュアリティ」について考えています。 といっても、ぼくのばあい、べつに自分の性自認やら性的指向やらに疑問があるというわけではなく、あくまでフィクションの話。 いまの世の中、BLやら百合やら、あるいはもう少しリアルでシリアスなテーマの作品にしても、色々なセクシュアリティを描いた作品があって、ぼくも好きで読んでいるのですが、同時に「何か違うなあ」という違和感があるんです。 「そうじゃない、これはぼくの求めているものじゃない」と。 どう表現すれば良いか良いかなあ。いや、BLも百合も好きは好きなんだけれど、それが「ジャンル」として固定され、「そうでなければならない」となった瞬間に非常に窮屈なものになる気がするんですよね。 だって、現実はもっと複雑で混沌としていて「何でもあり」なんだから。 それに比べて「ジャンル」に縛られるフィクションは何というか「狭苦しい」ものに思える。 もちろん、そういう
アンデルセンの『人魚姫』についてはだれでもご存知なことだろう。賛否両論を呼んだディズニー映画『リトル・マーメイド』の原作である。 しかし、その『人魚姫』に世間では知られた悲劇的な結末の「続き」があることまで知っている人はどのくらいいるものだろうか。 完訳 アンデルセン童話集 1 (小学館ファンタジー文庫) 作者:いたやさとし 小学館 Amazon べつだん、「続編」という意味ではない。そうではなく、そもそも世間的に認知されている『人魚姫』の物語は終盤の描写がカットされたシロモノなのだ。 原典のクライマックスでは、人魚姫はあわとなって消え去ったかと思われたそのとき、空気の精ともいうべき不死の存在と化す。 その時、お日様が海からのぼりました。その光は、死のように冷たい海のあわを、おだやかに暖かく照らしました。人魚姫はすこしも死んだような気がしませんでした。キラキラ光るお日様の方を仰ぎますと、な
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