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「社長が訊く」シリーズをお読みのみなさま、こんにちは。 この記事を編集している「ほぼ日刊イトイ新聞」の永田と申します。 (※ほぼ日刊イトイ新聞とは、糸井重里が主催するホームページです) 以前、Wiiが発売されたときの「社長が訊く」に引き続き、 番外篇のインタビューをやらせていただくことになりました。 もちろんお相手は、任天堂の社長、岩田聡さんです。 前回同様、この特殊な場の特殊な雰囲気を利用して、 通常のインタビューでも、日常の雑談でも訊けないような質問を、 いくつか、正面からぶつけてみました。 緊張の一方で、「どう答えてくださるんだろう?」とわくわくしながら。 最後まで、どうぞよろしくお願いします。 岩田 じゃ、はじめましょうか。 ── どうぞよろしくお願いします。 岩田 よろしくお願いします。 ── 前回の番外篇同様、率直に、あまり脈絡を気にせず、 質問させていた
岩田 いま、仕上がった「DSiブラウザー」と、 以前の「ニンテンドーDSブラウザー」をくらべると、 どこがどう変わったと感じますか? 古川 手触りです。 「DSブラウザー」とくらべると、 より「あ、任天堂っぽい」と思っていただけるような 手触りに仕上がったと思います。 岩田 古川さんが定義する 「任天堂っぽさ」ってなんですか? 押したらすぐに反応するということですか? 古川 うーん、言葉で言うと そういう単純なことに なってしまうのかもしれませんけど、 本当は、その裏にある、言葉で表しきれない、 ボタンを押したときの反応が どのくらい気持ちいいかとか、 スクロールするときの適度な速度とか、 そういった、目に見えないこだわりの 積み重ねなんじゃないかと思います。 岩田 それは、よくわかります。 しかし、それは、どうやったら伝わりますかね。 さわってるところ
岩田 ニンテンドーDSiは 本体保存メモリを内蔵していて、 ゲームソフトやアプリケーションを そこにダウンロードすることができます。 今回はニンテンドーDSi発売直後から 利用可能になる「DSiブラウザー」について 訊いていきます。 それでは、自己紹介をお願いします。 高橋 環境制作部の高橋です。 私は現在、ソフトの開発環境を作るチームと、 「脳トレ」「えいご漬け」「バンブラ」など ソフトを作るチームを見ることを主にしているのですが、 今回は、ニンテンドーDSiに関する、 「DSiメニュー」や「DSiカメラ」、 そして今回紹介する「DSiブラウザー」や、 これからつくっていくダウンロードソフトに関して、 わりと大きなスタンスで 全体を見るようなことをしています。 岩田 では、白川さん。 白川 白川です。 今回、ニンテンドーDSiの 「DSiブラウザー」の
岩田 それでは順番に自己紹介からお願いします。 下村 ネットワーク開発部の下村です。 わたしはもともと、ハードウェアとソフトウェア、 両方の開発経験をしてきたこともあって、 今回の『歩いてわかる 生活リズムDS』では、 ハードである「生活リズム計」とDSソフトどちらも見ながら、 全体のとりまとめを担当しました。 水木 ネットワーク開発部・ネットワーク企画グループの水木です。 今回のプロジェクトでは開発途中から プロデューサー的にサポートする形で参加しました。 森村 水木さんと同じネットワーク企画グループに所属する森村です。 『生活リズムDS』ではディレクターを担当しました。 以前はプログラマーの仕事をしていたのですが、 部署が異動になって初めて担当したのがこのソフトです。 秋田 ネットワーク開発部・機構デザイングループの秋田です。 わたしは「生活リズム計」の機構設計(
岩田 それでは、ニンテンドーDSiの 本体機能について訊いていきたいと思います。 まずは、作業全体にかかわった方に 自己紹介してもらいましょう。 黒梅 環境制作部UIデザイン制作グループの黒梅です。 Wiiに引き続き、本体機能に関わりました。 今回は、Wiiのときにくらべると 広く全体を見るような立ち位置で、 チームの進捗とか、デザインの統一性とか、 そういったことを調整するような役目でした。 岩田 松島さんもWiiに引き続き、ですよね? 松島 はい。今回は「ニンテンドーDSiメニュー」と 呼ばれているものをつくりました。 岩田 そして、宮本(茂)さんですけど、 宮本さんは自己紹介しなくていいです(笑)。 宮本茂さんです。 宮本 (笑) 岩田 あの、それぞれの人に訊いていきますので、 宮本さんは自由に口をはさんでくださいね。 宮本 わかりました。 岩田 じゃあ、黒梅
岩田 企画が立ち上がってから ニンテンドーDSiが完成するまで、 紆余曲折があったと思いますが、 振り返ってみて、なにがたいへんでした? 桑原 そうですね・・・・・・ やはり、途中で本体のサイズが 大きく変わったことですね。 もう、設計が終わって、 金型をつくろうかという時期でしたから。 岩田 そのときのことを説明してもらえますか。 桑原 はい。 2007年10月のことになりますが、 金型をつくるまえに、 ほぼできあがったデザインを 情報開発部のプロデューサーの人たちを集めて 内部的なお披露目をしたんですね。 そこでの反応が、あまりよくなかったんですが、 じつは、それはぼくらも予想してたんです。 つまり、決定した仕様でつくると、 どうしてもこうなってしまうんだけど、 「これで大丈夫なのかな」って思いながら、 ほかの人たちにお披露目してたんです。 岩田 で
岩田 さて、「ニンテンドーDSi」の開発が どういうふうにはじまったか、 という話からしましょうか。 いちばん最初に動いていたのは桑原さんですよね。 桑原 はい。開発技術部の桑原です。 2006年の末に、上司から、 「新しいDS」というテーマをもらって、 まずは、12月末の会議で 「こういうものをつくる」とプレゼンするための 企画案をまとめることからはじめました。 岩田 かなり、猶予のないスケジュールだったんですね。 桑原 そうですね。しかも、翌年の2月までに 内部のチップのだいたいの仕様を固める、 というような状態でしたから、 かなりの急ピッチでした。 企画から仕様を決めるところまで、 一気に決めていく感じで、 その時期の密度はそうとう濃かったですね。 岩田 そのころ、悩んでいたこと、 こだわっていたことはなんでしたか? 桑原 難しかったのは、 「どういう
岩田 今回は、ちょっと珍しいパターンになります。 ひとつは、参加者の1人が海の向こうにいるということ。 もうひとつは、これまで「社長が訊く」の対象となったのは、 社内で開発したタイトルがほとんどでしたが、 社外の開発会社さんと任天堂がいっしょに つくったものを取り上げるということです。 この形でできた『わがままファッション ガールズモード』は、 まったくの新作ですが、 長い時間と、いろんな紆余曲折があって、 不思議な形で商品に仕上がった課程は、 世の中の人たちにお伝えするべきじゃないかと思い、 みなさんに集まってもらいました。 では最初に、関わった人たちに、どんなことをしたのか、 自己紹介をしてもらおうと思います。 山上 企画開発本部の山上です。 今回はプロデューサーとして関わりました。 海の向こうにいる田島さんと、企画の初期から関わっています。 わたしは立
岩田 さて、今回は『バンブラDX』発売後の反響を ぜひとも読者のみなさんにご紹介したいと思い、 発売後に再び「社長が訊く」を収録するという 初めての試みとして、2人に来てもらいました。 それではまず、西田さん、お願いします。 西田 はい。企画開発本部 環境制作部の西田です。 今回わたしはゲームづくりの現場からはちょっと距離を置いていました。 『バンブラDX』では、好きな曲を100曲までダウンロードできますが、 任天堂が用意した楽曲だけでなく、 お客さんが自分で制作して投稿してくれた楽譜の中から 審査に合格した楽曲も選べることが特徴の一つになっています。 その楽譜の投稿や楽曲をダウンロードするシステムを JASRAC(※1)さんやニッポン放送さんと協力しながら、 円滑に運営するための仕事を担当しました。 岩田 西田さんは初代『バンブラ』(※2)のときは 現場でゲーム
岩田 みなさん、こんにちは、任天堂の岩田です。 DSで初めての『ファイアーエムブレム』が発売されることになり、 その魅力をみなさんに紹介したいと考えていたのですが、 ちょうど、私はロサンゼルスで開催されたE3での発表のために アメリカに発たねばならない時期と重なり、 「今回は時間的に無理かなぁ」とあきらめかけていたとき、 ひとつ突拍子もないことを思い立ちました。 それは、「スマブラ」でみなさんにもおなじみの 有限会社ソラの桜井政博さんにお願いして、 『ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣』の魅力について シリーズで長年プロデューサーを務めておられる インテリジェントシステムズの成広さんに 話を訊いてもらおうというものでした。 桜井さんにお願いすることを思い立ったのは、 桜井さんがファイアーエムブレムの世界に精通していることを スマブラの制作を通じて、強く感
岩田 つんく♂さん、はじめまして。 今日は、ご足労いただいてありがとうございます。 任天堂は、社長が製品の開発スタッフにインタビューをするという、 「社長が訊く」というちょっと変わった企画を展開しているんですが、 『リズム天国ゴールド』の開発スタッフから話を訊いてみて、 やはり、つんく♂さんから直接お話を訊かないと、 開発の背景は本当には見えてこないのではないかと感じ、 無理をお願いして、お付き合いいただくことになりました。 本日はよろしくお願いします。 つんく♂ こちらこそ、よろしくお願いします。 岩田 今回、つんく♂さんと任天堂が いっしょにゲームをつくるという 不思議なご縁ができたわけですが、 まず、そもそものはじまりのところから お聞かせいただけないでしょうか。 つんく♂ わかりました。 ま、ぼくも、けっこうゲームが好きで、 いろんなゲームをやらせていた
岩田 ニンテンドーDS版ならではの楽しさを求めて 悶々としていた大澤さんが、 そこから抜けるきっかけってなんだったんですか。 大澤 ・・・・・・・・・・・・うーん。 岩田 やっぱり「はじく」という入力が 完成したときがポイント? 大澤 ・・・・・・「完成した」とは、思えなくて。 岩田 ああ、そうでしたね(笑)。 ええと、「完成した」ではなく・・・・・・。 大澤 ・・・・・・「完成した」とは、いまでも思えなくて。 岩田 こらこらこら(笑)。 大澤 ・・・・・・いえ、あの、完成するというよりも、 少しずつ、少しずつ、よくなっていく。 ずっと、少しずつよくなっていく。 ・・・・・・そういう感じなんです。 岩田 ああ、なるほど。うん。 大澤 そんなふうにして・・・・・・ある程度できたときに、 つんく♂さんに見てもらうことになって。 直接、ご本人にお会いできないまま、 サンプルを
岩田 さて、まずは、前作の話から始めましょうか。 2006年の夏にリリースされた ゲームボーイアドバンス版の『リズム天国』は、 正直、発売前の段階では あまり注目されていなかったにも関わらず、 たいへん多くの方に受け入れられました。 このシリーズの中心的存在である大澤さんは、 発売当時、どのように感じましたか? 『リズム天国』(ゲームボーイアドバンス用ソフト) 2006年8月3日発売 大澤 (企画、ディレクション、プログラム担当) みんなに楽しんでもらえるのかな・・・・・・と。 そこが、すごく不安だったんです。 譜面的なガイドが画面に出てこない、 新しいタイプのリズムゲームでしたから、 わかる人にしかわからないんじゃないかなと。 もちろん、そうならないように 気をつけてつくったつもりだったんですが、 世に出てみるまではわからなくて・・・・・・。 ドキドキし
岩田 今作に関しては、楽曲の追加ダウンロードや歌診断など いろいろな機能が新たに追加されました。 先ほど、北村さんは「うれしい」と言いましたけど、 開発をするときは普通、大変なことも多いですよね? 北村 それが、苦労という言葉とは無縁なくらい、 開発すること自体がとても楽しかったんです。 久馬 僕は楽曲データをつくるのがメインの仕事で、 それ自体はとても大変な作業だったのですが、 つくったそばから、スタッフのみんなが新曲に飛びついてくれたんです。 しかもすぐに演奏をはじめてくれて、 そういう光景を見ると、大変だったことがすごく報われましたね。 北村 新しい楽曲ができてくると、 「みんなでテストプレイしよう」と言っては合奏してましたし。 テストプレイというのは“名目上”だったりするんですけど(苦笑)。 久馬 しかも、新曲が誰かスタッフのお気に入りだったりすると すごくテ
北村 最初にお訊きしたいことがあるのですが・・・。 岩田 はい、どうぞ。 北村 『大合奏! バンドブラザーズDX』はニンテンドーDSソフトなのに、 どうして「社長が訊く」で取り上げられるのかなあと思いまして。 岩田 今度の『バンブラDX』は、これまでの音楽ゲームにはなかった 新しいシステムがありますよね。そういった新しい試みについて、 15秒や30秒のテレビCMではなかなかお伝えできないですから、 DSソフトとして初めての試みではあるんですが、 今回はそういった点を開発に関わった3人から直接訊いて みなさんにご紹介してみたいと思ったんです。 私自身、このソフトには、不思議な縁がありましたし・・・。 それではまず、自己紹介をお願いします。 北村 環境制作部の北村です。 前作の『大合奏!バンドブラザーズ』(※1)ではアートディレクターを、 今度の『大合奏!バンドブラザーズD
本作は、RPGの『ヘラクレスの栄光』※1シリーズの14年ぶりの新作になります。かつて僕は、データイースト※2というゲーム会社にいて、このシリーズのシナリオを書いていました。でも、前作が出てから十数年も経ってますから、『ヘラクレス』については自分の中でも、遠い存在になっていたんです。それが3年前、データイースト時代の元上司から電話がかかってきて、「ヘラクレス出せることになったんだけどやらないか」って。青天の霹靂ですよね。本音でいうと、若い頃に作ったものなので今見るとなんだか恥ずかしいなという気持ちがある。その一方で、新作が作られるとするならどんなふうになるのかなってすごい興味もあって、“やりたくないな” “やったほうがいいな” “やらないと”みたいに気持ちが揺れたんです。だけど、実際には「やります」ってほぼ即答でした(笑)。「僕がやらなかったら、誰がやるんだろう」という気持ちですね。 最初
今作はモノリスソフト※1にとって、携帯機向けとして本格的に制作する初めてのタイトルです。当時、ちょうどDSが出た頃だったので、DSで何か面白いものが作れないかというところから企画が立ち上がりました。そのとき、自分がプロデュースするんだったら、音楽は光田さんしかいないよねってことで、お願いできないか電話をしたのが始まりです。光田さんとは付き合いが長くて、最初に知り合ったのは『クロノ・トリガー』※2のときですよね。 *1. モノリスソフト:ゲームソフト制作会社。代表作は『ゼノサーガ』シリーズ、『バテン・カイトス』シリーズなど。 *2. 『クロノ・トリガー』:スーパーファミコン向けのRPG。1995年3月にスクウェア(現スクウェア・エニックス)から発売。高橋哲哉氏はグラフィックディレクター、光田康典氏はメインコンポーザーとして制作に参加。 『クロノ・トリガー』は、コンポーザー※3としての僕のデビ
今作『ファイナルファンタジーIV』(※以下、『FFIV』と表記)のオリジナルは、スーパーファミコン用ソフトとして1991年に発売したものです。当初、僕は旧スクウェアでグラフィックのアルバイトをしてたんだけど、その僕が企画として初めてゲーム開発に深く関わったのが『FFIV』なんですね。その頃はスタッフの人数が少なかったので、アルバイトのグラフィックだけでなく、ゲームのアイデアを出したり、プログラムを書いたり、効果音を作ったりしたし、イベントシーンは全部1人で作っていました。そんなことで、僕がグラフィックデザイナーからプランナーにジョブチェンジをして、さらに社員にクラスチェンジした(笑)、人生の分岐点になった作品でもありますね。浅野は『FFIV』が発売された16年前は中学生だったんだよね。
今回は、『顔トレ』を企画した皆さんに商品が誕生したいきさつを、お話ししてもらおうと思います。皆さんは、「第二次ユーザー層拡大プロジェクト※1」に参加してくれたんですよね。ちなみに、第一次のプロジェクトでは『脳トレ』という商品が生まれていましたから、プロジェクトの二つ目として、『顔トレ』が生まれたことになります。 まず、自己紹介も兼ねて、今回の女性を対象とした商品開発プロジェクトに参加することになった経緯を聞かせてください。 ※1:「ユーザー層拡大プロジェクト」・・・普段ソフト制作に、直接関わりのない社員も含めて様々な部署からメンバーが集まり、新しいソフトの企画を行うプロジェクト。 開発技術部管理グループの山﨑です。日頃はネットワーク管理などの仕事をしています。このプロジェクトには、自分が欲しいと思えるソフトを作ってみたいと思って、立候補しました。子供のころは、けっこうゲームをやっていたんで
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