サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ノーベル賞
www.anlyznews.com
近年、女性が女性であるために殺されたことをフェミサイドと「定義」し、なぜか日本ではフェミサイドが多いと思わせるような論考*1が人口に膾炙(かいしゃ)されつつあるのだが、そんなことは言えないので指摘したい。日本は女性の殺人被害者が多いというような主張はデータの見方がおかしいし、そもそもフェミサイドは女性と言う属性への憎悪犯罪のように見せかけつつ、女性が被害者の殺人事件の大半を含んでしまう用語なので、バズワードとして利用を避けるべきだ。 1. 殺人事件から未遂を除いた国内比較で女性被害者が多い 問題となる論考は、警察庁「刑法犯に関する統計資料」の各年版を参照した上で、殺人未遂事件を除けば、男性よりも女性の被害者数の方が多いことを問題にしている。平成30年版を切り出すと以下となっている。比率にすると女性が大多数とは言えないが、国外では殺人事件被害者は女性の方が多いことから考えると、特異性があるの
それでホロコーストの贖罪にはならないとか、そこは過剰評価されているとか言い返す方が建設的。 歴史社会学者の田野大輔氏が未曾有の災禍の元凶であるナチスは絶対悪であるのは常識で、「ナチスは良いこともした」と言うのは不勉強で、ナチスの政策で肯定できるところなど無いと主張している*1。手ごろな新書があるのでそれで勉強しろと言うのは良い提案だと思うのだが、ナチスの実行した政策のすべてが悪いと言うのは論理的に困難で無理がある。 「ナチスは良いこともした」と言うにはちょっとした一つの良い事で十分で、また、それに先進性、独自性は要求されない。その数少ない良いことが過剰評価されていると言う指摘は可能であろうが、評価を下方修正したとしても良い効果をもたらしていると言えるのであれば、「ナチスは良いこともした」と言う主張は維持される。アウトバーン建設が例示されていたが、社会民主党政権も実行したであろうとも、雇用創
英米イスラエル辺りと比較してワクチン接種が遅れている我が国だが、ワクチン研究開発拠点を作ろうと言うアイディアが持ち上がってきた*1。しかし、微妙に問題点が摩り替えられている。ワクチンの確保もしくは承認がボトルネックだったわけで、国産ワクチンの開発は問題解決に直結しないし、国産に拘るあまりに外国製品の確保が遅れるような事態も危惧される。そして、もっと素朴な方法で解決できる。 1. 国産開発は構造的に出遅れる 治療薬にしろワクチンにしろ、薬剤に関しては外国製品が国産を上回る確率が圧倒的に高い。理由は二つある。一つは、日本の製薬メーカーの開発力はそんなに強かったことはないし、これから国策で強化しても外国のメガファーマを上回る可能性はない*2。世界と同等の製薬メーカーが一つ二つあっても、国外メガファーマの方が数が多くなるわけで、確率的には日本以外から良い薬剤が出てくる。一つは、新種の病気も人口比か
そもそも通貨とは~と語っている人々の我田引水や牽強付会(けんきょうふかい)*1を指摘するために、『撰銭とビタ一文の戦国史』を拝読した。本書の著者の高木久史氏はずっと中世から近世の貨幣を研究している人で、2018年と比較的新しい本書はこういう用途に最適。悪銭やビタといった単語が示す意味がそう自明でもないところに歴史研究の難しさがわかって興味深い一冊で、記述の端々から貨幣研究も史料と発掘で進められていることも分かる。 日本における貨幣の歴史については、日銀が日本貨幣史のページで概説とPDF化された参考文献を紹介しているのだが*2、本書は銭貨(せんか)の種類や状態で受け取りを拒否したり、価値を割り引く撰銭(えりぜに)を中心に取り上げていて興味深い。どの種類の銭貨を流通させるか公権力が定めなかった時代、民衆の損得勘定でそれが決まっているからだ。 日本では中世から近世、とくに江戸時代に入るまで*3、
社会哲学者の稲葉振一郎氏が新著の宣伝で「権威主義はびこるダークな世界で、エリート主義な「徳倫理学」が流行る「意味と危うさ」」と言うエッセイを書いているのだが、徳倫理が専門家にお任せすればよいと言う意味でのエリート主義になっていて奇妙な話になっている。エリート主義と評されることがあっても、それは美徳を知るエリートでないと幸福になれないと言う意味で、職業的専門家依存主義ではないから。 学問的に裏打ちされた代表的で古典的な倫理を3つ挙げるとすると、ベンサムからの功利主義、カントからの義務倫理、アリストテレスからの徳倫理になる*1。倫理学の教科書的な本を読むと概要が大雑把につかめるのだが、美徳(倫理的な卓越性)は適切な経験の積み重ねによって得られるので先人に習って鍛錬せよと言う様な話で、道徳的な卓越者とそれ以外がいるという意味ではエリート主義的なのだが、専門家にお任せと言う話にはならない。 稲葉氏
COVID-19 (39) MMT (12) ゲーム (7) ジェンダー (168) ソフトウェア (99) デザイン (16) 医療 (130) 英語 (23) 科学 (165) 確率・統計 (145) 環境問題 (136) 企業 (73) 記事整理 (5) 技術 (255) 金融 (263) 軍事 (94) 携帯電話 (94) 芸術 (11) 広告 (32) 航空 (111) 災害 (18) 財政問題 (71) 資源 (72) 事故 (32) 写真 (16) 社会 (557) 書評 (221) 冗談 (39) 数学 (45) 政治 (406) 中国 (32) 朝鮮半島 (60) 動画 (135) 犯罪 (70) 批評 (893) 表現規制 (86) 歴史 (86) 労働問題 (92) ネット界隈で表現物に関する言い争いは多く、ジェンダー社会学者の議論の雑さにはあきれる事が多い*1のだが
従軍慰安婦に関するラムザイヤー論文(Ramseyer (2021))に大きな瑕疵があると、歴史学者のグループ(Stanley et al. (2021))が批判していて話題になっており、確かに文献の参照が恣意的と言うか、参照する文献を間違っているようなのだが、ラムザイヤー論文の核となる前提への批判は奇妙なものになっている。 ラムザイヤー論文はざっくりとした歴史理解から得られた前提をもとに、(明示的に数学を使っていないが)数理的に分析するアプローチの論文なので、前提を覆すような点の批判でなければ—撤回になったとしても—論文の主旨を変える必要は無い。逆に、ここが否定されたら修復不可能と言う意味で、致命的なことになる。 歴史学者の皆様は、前提に関わる部分について以下のように述べている。 There are two factual claims that are fundamental to th
法学者のジョン・マーク・ラムザイヤー氏のディスカッション・ペーパー*1を、フリーライターの角岡伸彦氏が批判している*2のだが、なぜか冒頭の要約に書いてある部分までミスリードしていて、論文の主張を読み間違えている。機械翻訳を使って読んで、原文は目を通していない言われても不思議は無い。 まず、角岡伸彦氏は「著者はこの論文で一貫して、部落民は自らの反社会性、暴力性を原資に、運動団体を組織し、国家や自治体から補助金を強奪した、と主張している。」と主張するが、ラムザイヤー論文は、 反社会的で高犯罪率のために差別されていた貧農を主体とする部落民が、 20世紀初頭にマルクス主義歴史学に啓蒙され、それにそって皮革製品の製造者だから差別されて来たと自己定義し、解放運動を開始したが、 すぐに都市部からやってきた犯罪起業家(criminal entrepreneurs)に乗っ取られて、暴力的で脅迫的な戦術によっ
統計学を専門としない数学者から、ベイズ統計学の事前確率を主観的と言うのはトンデモだという非難から、ベイズ主義や頻度主義と言う分類を考えるのは有害無益だからやめて、カルバック・ライブラー情報量に基づく“主義によらない”統計学を考えるべきだと主張が展開され、その他のオモシロ主張*1も含めて困惑が広がっている。 昨日から統計学にはやはり主義が要ると言う批判もされている*2のだが、“主義によらない”と言う誤った謳い文句に騙されている。統計学の主義は手順や解釈の方針である事に注意すると、カルバック・ライブラー情報量に基づいた統計手法と言うのは一つの主義である。情報量規準主義。 もう少し具体的に説明すると、ベイズ統計学の事前確率(先験確率)を、データから定まらないと言う意味で主観的なものではなく、データから定まると言う意味で客観的なものにしようと言うのが、情報量規準主義だ。情報量規準主義者はその始祖を
群馬県草津町の新井町議が、著書の内容を理由に解職請求され、住民投票の結果、リコールされることになった*1。解職賛成2542票、解職反対208票(無効票85票)の圧倒的な差である。投票率も53.66%とそこそこある。 著書では物証なく黒岩町長と肉体関係を持ったと主張しているだけではなく*2、無根拠に草津町では女性が有力者の愛人になって利益誘導されることが通例のように書いており、住民の怒りを買った。リコール請求に対する弁明書も、無証拠/無根拠を咎める解職請求理由に対して、職務に励んで来たなどと「弁明」しており噛み合っていなかった*3。 新井氏は名誉毀損でも訴えられているわけだが、決め手にかける主張のため敗訴する可能性は高い。疑ってかかると萎縮して告発が出なくなると言う話もあるが、被疑者にも人権はあるし、狂言が発覚した性的暴行事件もある。体液が絶対必要とまでは言わないが、写真や音声、その他、当事
菅内閣に日本学術会議委員の任命を拒否された刑法学者の松宮孝明氏が、「ヒトラーのような独裁者になろうとしている」と菅総理を非難している*1。政党が独自の暴力組織を持っていた時代に、違法に権力を掌握した蓋然性が高いナチスを持ち出すと話がややこしくなる気がするのだが、それはさておき首相をどのように非難しても真面目に受け止めてもらえないので無駄である。 当事者適格がある松宮氏らが訴訟を起こすほうが手っ取り早い。(憲法云々ではなく)日本学術会議法の規定が形式的承認なのか、実質的な承認なのか、法律の解釈が争点になっている*2わけだが、日本で法律の解釈ができるのは裁判官だけだ。 負けると菅内閣にお墨付きを与えてしまうし、法曹でも意見は分かれるようだが、勝算は高そうだ。過去に政府の裁量を認めた訴訟を見ても、定員を超える推薦者がいるときに選択を行った事件だし*3、中曽根内閣のときの国会答弁もある。原告が勝訴
► 2024 (36) ► 8月 (2) ► 7月 (15) ► 6月 (1) ► 5月 (2) ► 4月 (4) ► 3月 (8) ► 2月 (3) ► 1月 (1) ► 2023 (71) ► 12月 (7) ► 11月 (2) ► 10月 (4) ► 9月 (10) ► 8月 (6) ► 7月 (6) ► 6月 (8) ► 5月 (5) ► 4月 (2) ► 3月 (6) ► 2月 (9) ► 1月 (6) ► 2022 (88) ► 12月 (3) ► 11月 (3) ► 10月 (7) ► 9月 (5) ► 8月 (9) ► 7月 (8) ► 6月 (9) ► 5月 (8) ► 4月 (8) ► 3月 (10) ► 2月 (11) ► 1月 (7) ► 2021 (64) ► 12月 (5) ► 11月 (6) ► 10月 (9) ► 9月 (4) ► 8月 (7) ► 7月 (
ネット界隈で、幾つかのマイクロベンチマークを根拠にJuliaがCやFortranと同等かそれ以上の速度が出ると言う主張を見かけるのだが、比較する前に条件をよく揃えていない事、条件は揃えたが特異なところだけを見ていることがあるので、比較するとき、比較結果を見るときは気をつけて欲しい。 1. 局地的にJuliaが速い場合もあるが、差は小さい 昨日、見かけたのは、モンテカルロ法で円周率を計算するベンチマーク。JuliaとUNIX/Linuxで代表的なCコンパイラgccの生成バイナリの速度を比較して、Juliaがgccの何倍も速い、Juliaがgccに圧勝、gccはダメだと言うような論が主張されていた。色々な意味でダメ比較になっている。 利用している乱数生成アルゴリズムが異なる。揃えないといけない。 標本サイズ10⁶だけ比較しており、標本サイズを変えてみていない。 gccがダメと言うのであれば、c
ネット界隈でフェミニストがメディアの女性表現を非難するのはよく見かける光景だが、主張が十分に整理されておらず、性的モノ化などの実は無関係そうな概念*1をよく理解せずに持ち出し議論を混乱させるので、ずっとマンガやアニメの愛好家を困惑させ続けている。フェミニストは気に入らない女性表現に難癖をつけているだけだと言うお気持ち説にたどり着かざるを得ないのだが、そのお気持ちの根源を探り根拠をつける事が不可能と言うわけでもない。 1. エロ可愛い格好は女性に有害説 アメリカ心理学会の古いレポート*2にヒントがある。内容は羅列気味なのだがまとめると、性的魅力を強調した女性表現*3や、性的モノ化された女性を被写体とした表現は、周囲の大人などの影響もあって、若い女性に美しさを追求することが模倣すべき理想像だと思わせ、自尊心を喪失させ、精神的・肉体的健康を悪化さし*4、男性の女性の美に対する要求水準を引き上げる
持病の潰瘍性大腸炎の悪化を理由に安倍総理が辞任の意向を表明した。憲政史上最長の政権だけに、その政治的遺産(レガシー)について言及がされている。真似して総括してみると、内閣支持率を下げないように立ち振る舞う狡猾さと同時に、リーマンショックからの回復期に政権を担当できた運の良さに支えられた長期政権であったが、後世、政治的遺産とされそうな実績は乏しく、軽減税率ぐらいになりそうだ。 アベノミクスと呼ばれるその経済政策について支持者は評価するのだが、民主党政権期からの経済の自律的回復、(前項と被るが)国外の景気回復、長期金利上昇、それに伴う円安の影響を除いたとき、アベノミクスがどのような効果を持ったかははっきりしない。各国で都合にあわせて様々な経済政策がとられたが、概ねどこも順調に回復してきたわけで、大きな特別は無かったと言える。日銀の総裁、副総裁および審議委員の人事を通じて金融政策に介入したのは異
ネット界隈のフェミニストのan・anのSEX特集は健全で、宇崎ちゃん献血ポスターは女性差別と言う主張に、表現の自由戦士が二重基準だと批判するいつもと同じような事象が発生している*1のだが、ツイフェミの皆様の議論を「思いやりの原理」を過剰に働かせて整理すると、少なくともダブスタだとは言えないので指摘したい。 ツイフェミの皆様が性的モノ化と言う自分でも意味をよく理解していない単語を持ち込んだ*2ことでずっと議論が停滞している気がするのだが、ポルノ化(pornofication)(もしくは性化(sexualization))の少女への悪影響を中心に考えると、ツイフェミが言いたいことがはっきりする。描かれた女の子が萌え可愛いか否かが問題なのであって、露出度の高さや性的であるか否か自体は問題ではない。エロ可愛い格好は女性に有害論。 アメリカ心理学会の古いレポート*3によれば、思春期の少女がメディアで
ある表現の自由戦士のネット論客の駆使する論法がシーライオニングではないかと言う指摘があって、質問をしないで黙って主張を受け入れろという意味かと批判されている。シーライオニングは論点から遠い初歩的な質問を繰り返すことで議論を脱線させたり、相手を疲弊させることで議論を中断に追い込む詭弁*1で、ネット界隈では外形的にそうなってしまっているものがよく見られる。 実際にシーライオニングになっているかはよく分からない*2。初歩的とされる質問や頻出の質問を続けることが詭弁であるのか、真摯な態度なのかは紙一重だ。初歩的な質問の多くは議論の前提部分に関わってくるので疎かにはできないし、何かの主張をする人は拠って立つ根拠や使っている用語について説明できることになっている。性的モノ化やポルノ化と言った概念を持ち出した表現規制の議論であれば、これらの単語の意味を説明した上で、用いる倫理とつき合わせて是非を議論しな
uncorrelated ソフトウェア・エンジニア。Java JavaScript PostgreSQL Oracle 等を使っています。Oracle Certified Professional。Sun Certified Programmer。 詳細プロフィールを表示
StataとRは、医療統計や社会科学でよく使われている統計解析ソフトウェアだ。ユーザー層が被った代替的な選択肢である。Rの方が歴史は数年古いが、Stataの方が研究や教育での普及が早かった。これらの分野のユーザー数は、今でもStataの方が多いであろう。しかし、近年、ライセンス料の問題なのかStataをRで代替するようになってきており、両者を比較した言及を時折見かける。 1. プログラマ視点から見るとRの圧勝 プログラミング言語としてのStataは柔軟性の低い旧世代のマクロ言語といった趣で、オブジェクト指向関数型言語にシンタックスシュガーを被せたSのクローンであるRの方が洗練されている。Stataは最近のバージョンまで同時に複数データファイルをメモリに保持できなかったなど「無いわ~」と言いたくなることが*1。データ操作やグラフィックスもRの人気パッケージ*2を使うと、かなりRに分がある。し
なぜか一年前の「いかにしてマクロ経済学はオワコンになったか」と言うエントリーが話題になっていて、「カリブレーションという不思議な加持祈祷でパラメータの値を定める習性がある」と非難されている。ミクロ計量分析の結果からパラメータを外挿したり、マクロ経済データからパラメータを推定するのは、不思議な加持祈祷になるのであろうか。 動学経済モデルも複雑になってきて、物理学のモデルがそうであるように、数値演算してシミュレーションしないとモデルの特性が分からなくなっている。数値演算にするには具体的なパラメーターが要るので、定めないといけない。物理学の力学系モデル、例えば多体問題のシミュレーション*1をするときに、惑星の重量や速度と位置の初期値を定めることを指して、「我々が作ったモデルが正しいとは言えないので、現実の動きに合うようにパラメータを恣意的にそれらしい理由を付けて定めましょうね、というものである」
神社の樹木が傷つくこと以外に、丑の刻参りに道徳的に問題があるかを考えよう。他人に見られないように強い怨恨を発露する行為だが、呪われている相手はそれを知ることも無く平穏である。しかし、道徳的に問題があるかと考えた場合、あると考える人は少なく無いはずだ。他人に恨みを抱いた善人は考えづらい。 人々は他者の内面にも道徳を求めるし、悪意が露見する事を毛嫌いする。礼儀正しく社会性が正しい人物であっても、毎夜、毎夜、丑の刻参りに出かけて隣人を呪っていることが明らかになれば、善人ではなく偽善者と言う扱いになる。差別的、もしくは独善的なことが分かるちょっとした失言で、評判を落とした著名人は少なくない。 さて、ネットの片隅で、表現の自由戦士とペドフェリア嫌悪者が、女児型ラブドールの是非について論争を繰り広げている。女児型ラブドールの利用が児童への性犯罪を誘発するというエスカレーション理論が主な論点と捉えられて
4月15日に、このまま人々の行動変容が無ければ、SARS-CoV-2感染者数が指数関数的に増加して、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の死亡者数が42万人に達するという予測が、専門家会議から示されていた*1事に関して、(1)現実化しなかった、もしくは、(2)過大な予測であったとと言う批判を見かけるのだが、(1)は頓珍漢だし、(2)は厳しすぎる要求に思える。 (1)に関してだが、人々の行動変容は確かにあったわけで、予測通りの結果が出る理屈は無い。3月末から飲食店などは営業自粛に追い込まれていった。川で泳いだら溺れる可能性があると注意を受けて川で泳ぐのをやめた人が溺れなかったとして、注意した人が責められるのはおかしい。また、指数関数的な増加は無かったと言う批判も見かけるが、3月下旬から4月上旬までの新規陽性者数の増加は指数関数的な軌道に確かに乗っていた。 (2)に関してだが、全人口の
系統だった政策提言を行う場ではないそうだが、基本的対処方針等諮問委員会で、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策に関して、経済学者の皆様が出したK値、国民全員PCR検査、国内パスポートの3つのアイディアに対して、ネット界隈で懐疑的な声があがっている。思考実験的には面白いのだが、今、そういうのは、政府に諮問される人々には求められていないから*1。 これら3つに現実的な意義は乏しい。既に特性及び理論との対応関係が検討されている感染拡大の程度を示す指標がある中で、K値と言う新たな指標を導入する意義は乏しい。国民全員PCR検査は、1人1回1万5千円/2万円の検査を国民全員に頻繁に行う費用が膨大すぎて、検討するまでも無く否定的な結論に至る*2。国内パスポートは、都道府県境が明確ではない地域が多い上に憲法上の問題も抱えそうであるし、さらに既に感染拡大抑制をとにかく優先させるべき時期は過ぎてい
厚生労働省クラスター対策班の西浦博教授ら専門家会議は、都市中心部の昼間人口を減らすことにより「接触機会の8割削減」を実現し、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染者1名あたりの2次感染者数である実効再生産数Rₜを0.5にまで引き下げることを目標に掲げている。そのために通勤を抑制してリモートワークを訴え、携帯電話端末の位置情報の集計などから中間目標が実現されていないと主張しているのだが、中間目標と最終目標にどうも乖離が大きい。少なくとも、2月から4月までのデータではそうだ。 滑らかな基本再生産数R₀(≒Rₜ)の推定結果を模索していたら、専門家会議のRₜと似た動きになるモノができた*1ので、東京都のR₀とGoogleが提供している滞在時間の集計値*2の東京都の時系列変化を比較してみたのだが、ほとんど関係がない。交通機関や小売や娯楽施設など6種類のデータがあるのだが、多重共線性があるの
「PCR検査については感度が70パーセント程度と低く、偽陰性が30パーセント程度出てくるリスクがあり、精度を高めるためには複数回の検査が必要とされている」と書いてある記事に、「デマだから、それ。いい加減にしろよ。」と文句をつけている人がいたのだが、症状が出てからの日数に依存するとは言え、ここまで知られているデータからすると感度70%はそう悪い相場感ではない。 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に罹患しているか調べるためのRT-PCR検査は、症状が出てからの日数と、どの体液を検体として用いるかに依存する。日本の場合、感染から発症し、陽性が確定するまでの最頻値は13日であり、潜伏期間を考慮して、発症から検査までは8日ぐらい経ったあとに*1、鼻咽頭ぬぐい液と(可能ならば)下気道由来検体を用いて検査している*2。プレプリントだがWikramaratna (2020)のFigure 1の左
東京新聞が「<新型コロナ>抗体検査5.9%陽性 市中感染の可能性 都内の希望者200人調査」と言う記事で、立川市の久住英二医師のウェブで希望者を募集した抗体調査の結果を紹介しているのだが、感度と特異度の補正をしていないようなので補正してみよう。 検査は、感度が低いと偽陰性が増えて過小推定になり、特異度が低いと偽陽性が増えて過剰推定になる。陽性者数をそのまま感染者数の推定値とせず、補正すべきだ。感染者数・感度 + 非感染者数・(1 - 特異度) = 陽性者数 となるので、非感染者数 = 観測数 - 感染者数に注意して、感染者数 = {陽性者数 - 観測数・(1 - 特異度)} / (感度 - 1 + 特異度)。 「大手繊維メーカーのクラボウが輸入した試薬キット」は、「中国の臨床試験データでは、感度は94.03%で、特異度は97.02%だった」だそうだ*1。この値が正しいとすると、202名のう
可能性がそこそこある。 4月7日の緊急事態宣言の後、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は繰り返し「人と人との接触機会を8割削減」を求めているのだが、何時を参照点として8割減なのか、現在目標にどこまで接近できているのかはっきりしない人は多いと思う。どれぐらい感染予防とヒキコモリ生活を頑張ればよいのか。 専門家会議と言うか、厚生労働省クラスター対策班の北海道大教授(理論疫学)の西浦博氏は、実効再生産数Rₜを2.5から0.5に落とすために8割削減と説明している*1。「接触」が触れたり接近したり喋ったりする回数と言うよりは、一日あたりの感染リスクを指しているのが気になるところだが、Rₜか基本再生産数R₀を見れば目標を達成できているか判別できる。そこで、SIRモデルを前提に、4月10日から23日までの2週間のデータからR₀(>Rₜ)を推定してみたのだが、0.562と言う数字が出てきた*2。
先週ぐらいから新規感染者数が減っているとされる一方、死亡者数が増えていることに対して、政府がPCR検査を絞っているから陽性者数の増加をキャッチできていないからだと言う主張があるのだが、PCR検査基準が変化しているわけではないし、新規感染者数と死亡者数の推移にはラグがあることに注意して欲しい。 既に明確にピークアウトしていて、ある程度は先進的な医療サービスがある韓国の数字を確認してみよう。MERS騒動の反省からか、新種の感染症は日本よりずっと手際よくやっているように見えるが、そこは気にしない。ラグの程度は陽性者数の増え方と減り方に依存するのだが、日本と比較して急増急減している韓国の場合は、入院者数が約11日、死亡者数が約23日、ピークアウトが陽性者数の後に来た。 上は、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)新規感染者数と患者数と退院者数の推移。新規感染者数のピーク後、11日後から患者数は
ここ1週間ほど全国の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)新規陽性者数の上昇の伸びが止まっているのはPCR検査能力が逼迫しているためであって、市中では感染が広まっていると言う説を唱える人が増えてきた。社会調査データの処理の専門では無さそうだが、感染症の研究者もその中に含まれる。しかし、幾つか説に合わない数字や話があるので、指摘しておきたい。 1. PCR検査能力の上限に達していないと見るべき理由 毎日の検査を要すると見なされる患者の数が、PCR検査能力の上限に達していないと見るべき理由は次の通りだ: PCR検査実施件数が、PCR検査キャパシティの上限に達している日ばかりでは無い。東京都は検査実施件数を出しているのだが、4月13日に1349件を行ったものの、その後2日間は877件と1049件となっており、溜まっている検査依頼を遅延しながら処理している数字の動きになっていない。平日は130
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『ニュースの社会科学的な裏側』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く