東海道はかつて「軍用道路」だった! なぜインフラ整備は歴史から学ぶべきなのか【連載】江戸モビリティーズのまなざし(1) 日本は6世紀頃から、当時の首都である京都から全国へ続く道の整備を行っていた。この道が現在、私たちが「街道」と呼ぶ幹線道路の基礎である。 1603(慶長8)年、徳川家康が江戸に幕府を開くと、日本の拠点は江戸へと移り、家康は日本橋から京都・木曽・甲斐(山梨)・日光・奥州(東北)の各方面に至る道をさらに拡充した。これが東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道の「五街道」だ。 五街道という言い方は明治時代に入ってから生まれたもので、江戸時代は「道中(どうちゅう)」といわれていた。東海道と中山道は当時の言い方と同じだが、他は「甲州道中」「日光道中」「奥州道中」だった。 モビリティ業界が学ぶべき街道・宿場町の歴史五街道表(画像:小林明) 明治時代に入ると、街道に番号を付けて呼ぶよ