周りの人の証言によれば、先日居酒屋で白身魚の昆布〆(こぶじめ)を食べながら、酔っ払った私はこう叫んでいたらしい。 「うまい…。でも昆布じめって、別に刺身じゃなくてもイケるんじゃないの? …そうだよ、昆布だよ!」 翌日、携帯電話のメモ機能に【なんでもこぶじめ】という書き込みを見つけた私は「はてな?」と不思議に思いながらも「これをネタに記事が書きたいのだろうか」と察しをつけ、そして今、まさにそれを実行している。 果たして、酔っ払いの思いつきで始めた企画はうまくいくのだろうか。 (高瀬 克子) 富山では当たり前らしい そういえば自宅で昆布じめを作ったことがない。刺身を余らせることなどないし、仮に余ったとしても醤油に漬けて、翌朝「漬け丼」にして食べきってしまう。縁がなかったといえばそれまでだが、わりと遠い食べ物だ。 しかし、火曜ライターの玉置さんに「富山ではいろんな物を昆布じめにして食べるらしいで
明治から大正期,消費文化の成立とともに登場した「新しい女」たち。彼女たちはどのようにして社会に承認され,「女であること」に抵抗したか。文学と演劇・ファッション・広告などの領域を超えて,ジェンダー規範の成立過程を描出する意欲作。 ◆書評 2008年3月23日付、京都新聞、大塚明子氏評 2008年4月13日付、日本経済新聞、川村邦光氏評 2008年5月5日付、ふぇみん ◆目次 第一部 <女>の魅せ方 第一章 もっと自分らしくおなりなさい―百貨店文化と女性 第二章 女が女を演じる―明治四〇年代の化粧と演劇、女性作家誕生の力学 第三章 再演される<女>―田村俊子『あきらめ』のジェンダー・パフォーマンス 第二部 欲望と挫折 第四章 「けれど貴女!文学を捨ては為ないでせうね」―『女子文壇』愛読諸嬢と欲望するその姉たち 第五章 <一葉>という抑圧装置―ポルノグラフィックな文壇アイドルとの攻防 第六章 愛
自分の体験に基づくので、誰しも使える話かは分らないけれども。 ところで、困っている時、弱っている際、まず気をつけて欲しいのは健康、それも精神状態の健康です。 身体的な健康は把握が簡単ですが、精神が弱るのはなかなか自分では気づきにくいし、認めにくい。 しかしそうなってくると、自分の判断自体が信用出来ないものになってしまいますし、何よりもまず「人の協力を求めること」ができなくなってしまいます。 http://d.hatena.ne.jp/sivad/20080301 センサーを外出しする 精神(心)が弱った時には、「心が弱っている」事を察知する自分のセンサー自体が狂うので、自己診断なんてこれっぽっちも役に立たない。 そこで、家族や配偶者がいれば*1、自分の言動、態度、状態を観察してもらおう。ただ、すぐに変だよと指摘してもらっても、センサーが狂ってて自分は正常だと思い込んでる自分は聞く耳を持たな
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く