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makinoに関するtetzlのブックマーク (28)

  • 友だちの解放奴隷の話 - 傘をひらいて、空を

    三百万ほどもらってくれないか。 友人がそう言った。言ったきり、いつもの顔して大きなカップでコーヒーをのんでいるのだった。私は少しひるんで、しかしそれを悟られないよう真顔をつくり、ジョージ・クルーニーか、と返した。それはなんだいと友人が訊くので、お金持ちの俳優が友だちに一億円ずつ配ったんだと説明してやった。 一億円はないなあ。友人はそう言うが、奨学金の繰り上げ返済を終えたと話していたのが少し前だから、あんまり貯金はないと思う。三百万他人にやったら明日からどうするんだよ。そう尋ねると、働く、と彼女は言う。案の定、もらってほしいのは預貯金の全額らしい。私はゆっくりと彼女を諭す。よろしいか、ジョージ・クルーニーだって全財産を手放しているのではない。持っているものをぜんぶ人にやってはいけない。持っているうちのいくらかしか、誰かにやってはいけない。そもそもあんたはろくなものを持っていない。何も持ってい

    友だちの解放奴隷の話 - 傘をひらいて、空を
    tetzl
    tetzl 2018/01/10
    これでは宗教の居場所がないなと思った。「神は死に、友情が残った」というのも美しいなと思った。
  • 策を弄さない勇気 - 傘をひらいて、空を

    傷つきました、と彼女は言った。会議室の端までよく通る声だった。そうして、とても静かな物言いだった。私は職場にあってもいろいろの感情が顔に出るたちで、「素直でわかりやすい」と言われるけれども、彼女は私と反対に、淡いほほえみがデフォルトの、にこやかでも無愛想でもない、いつも落ち着いている人だった。発言の数が少ないのではなく、主張や意見もおもてに出していて、それでいて全体の印象は物静かだ。そのような人は多くはない。 私は会社勤めをはじめて以来、喜怒哀楽をわかりやすくおもてに出し、それをコントロールすることで不利を防ぐという手法をとってきた。嘘もめったにつかない。嘘は面倒、ありもしない感情を表情でつくってみせるのも面倒、黙っていても仕事は回らない。それにもちろん、ずっと正直でいたら損をする。だから私は、おおまかな喜怒哀楽においては嘘をつかず、限度を超えた怒りと悲しみだけに蓋をして、その上に適度な怒

    策を弄さない勇気 - 傘をひらいて、空を
    tetzl
    tetzl 2017/12/10
    仕事については、バブル崩壊後とみに「ゲリラ戦」しかないと思わせられて/思い込んできた感じは確かにあって。
  • 世界の底にあるべき網 - 傘をひらいて、空を

    ママなんか、と息子が言う。すごく怒っている。息子はもうすぐ五歳になる。五歳ともなると腹立たしいことがたくさんあり、しかもそれを言語化することができる。歯を磨いたあとにアイスクリームをべさせてもらえないこととか。現在の彼にとって、それはとても重要なことなのだろうとわたしは思う。しかしアイスクリームはあげない。歯を磨いた後だもの。 息子はとても怒っており、そのことを表現している。もうすっかり人類だなあとわたしは思う。わたしと同じたぐいの生物だと感じる。二歳まではそうではない。言語を解さない存在には隔壁を感じる(言うまでもなく、そういう感覚は愛情の有無とは関係がない)。赤ちゃんともなると喜怒哀楽が分化していないから、怒るということがそもそもできない。快不快の不快を泣いて示すのみである。 ママなんか、すばらしくないもん。 わたしは眉を上げる。息子は言いつのる。ママなんか、せかいいちじゃないもん。

    世界の底にあるべき網 - 傘をひらいて、空を
  • 『傘をひらいて、空を』槙野さやかさんインタビュー。「文章を公開することは、灯台の灯を点すこと」 - 週刊はてなブログ

    「伝聞と嘘とほんとうの話」として、はてなダイアリー時代から長きにわたり多くの読者を魅了しているブログ『傘をひらいて、空を』。今回は、著者の槙野さやか(id:kasawo)さんにメールインタビューしました。ブログを始めたきっかけや影響を受けた作家、そして文章に関することなど、ブログにまつわるさまざまなことについて伺いました。ぜひご一読ください。 (取材・構成:はてなブログ編集部) 槙野さんの手元にある。満足するまで読んだは人にあげるのだそう 誰もが人の目に触れうる場で書けること、それを長く残せることが、大きな価値 ーーはてなブログ(はてなダイアリー)を始めたきっかけについて教えてください。 文章を書くことは、子どもの頃から生活習慣の一部でした。当時は反古紙の裏にする落書きでしたが、PCを持つようになり、書いたものが手元に残るようになりました。ずっとひとりで書いていましたが、「これは他人が

    『傘をひらいて、空を』槙野さやかさんインタビュー。「文章を公開することは、灯台の灯を点すこと」 - 週刊はてなブログ
    tetzl
    tetzl 2017/04/19
    自分の場合は震災のあとの気持ちのあり方として本当に、比喩でないくらいの気持ちで槙野さんの物語が「灯台」であったと思っているのでとても感謝している
  • 「当たり前のこと」ができないと思っていた(寄稿:槙野さやか) - りっすん by イーアイデム

    自身が運営するブログ『傘をひらいて、空を』で「伝聞と嘘とほんとうの話」を織り交ぜたエントリーを長年投稿し続けている槙野さやかさん。 淡々と、登場人物の心境を表現する槙野さんの記事は、読み手が共感してしまうシーンも多数。また、家族や恋人、友人との日常生活での出来事を描くものもあれば、職場の人間関係における感情の変化を表現したものもあり、そのジャンルはさまざま。それぞれが独立した物語として、成立しています。 今回『りっすん』では、「働くこと」をテーマに、槙野さやかさんに新たな「伝聞と嘘とほんとうの話」を書いていただきました。 * * * 当然のことではありますが、と上司が言った。わたしはいつも持ち歩いているメモとペンを取り出した。指につめたい汗が湧いた。どうやって人に変に見られないようにそれを拭うか一秒で検討し、左手にメモを持ち替えて裾を直すふりをした。周囲をそっとうかがった。もちろん誰もメモ

    「当たり前のこと」ができないと思っていた(寄稿:槙野さやか) - りっすん by イーアイデム
    tetzl
    tetzl 2017/04/19
    ぱれさんに続いて槙野さんまで。そして、総務/社内シス屋としてとても刺さった。転びやすい人を労災にさせないように、と同様、本質でないメモを好きな絵葉書に変えられるように、というのも大事な仕事なんだと思う
  • 飛行機とサンダル - 傘をひらいて、空を

    取引先での会議がいつになく長引いた。彼は腕時計の盤面を視界の端でとらえ、直帰、と思う。よく来る場所だから、道はもう覚えていて、通り道も固定されつつあった。でも、と彼は思う。今日は、帰ってすぐ寝るような時刻でもないから、ちょっとうろうろしよう。 彼は方向音痴なのに、通ったことのない小さな道に入るのが好きで、気づけば迷っている。道に迷うのが趣味なのかもしれないと思う。さんざんうろついたあと、不意に、もういいや、という気になる。それからおもむろにスマートフォンで現在地を確認する。道草しても遠回りしても文句を言うやつはいない。誰にも責任を取らなくていい。そのような状況をつくることが、彼は好きだった。 うろうろしているときに彼は、たいていなにも考えていない。最初のうちは考えていることもあるけれども、そのうち無心になる。目的地や美しい眺めみたいなものはとくに必要ない。ただ歩き、知らない路地の、なんとい

    飛行機とサンダル - 傘をひらいて、空を
    tetzl
    tetzl 2017/02/07
    美しい恋
  • 感情の解像度 - 傘をひらいて、空を

    一昨年の四月、私のチームに新人が入った。まっさらな新卒だ。経験はもちろんなかった。しかし、驚くほどよく勉強する。ひとつ知らないことが出てくれば十は調べてくる。作業スピードが異常なまでに速い。しかも長持ちする。長時間の残業や休日出勤のあともけろりとしていて、代休や有給を取るようにと促さなければならない。 なにか彼女にとって正しくないと思われることがあれば、相手が直属の上司である私でも、さらに上の管理職でも、平気でものを言う。恨みがましさがまったくなく、言葉遣いがぱりっとしているので、文句を言われても(そしてそれが多少の見当違いを含んでいても)、ほとんど気持ちがいいくらいだ。 そういうわけで私は彼女をおおいに評価している。けれども彼女にももちろん欠点がある。彼女はとんでもない見落としやミスをすることがある。感情的には繊細だと私は推測しているのだけれど、仕事ぶりはとにかく力まかせだ。スピードはす

    感情の解像度 - 傘をひらいて、空を
    tetzl
    tetzl 2015/10/22
    「感情は、一緒くたにまとめててきとうな名前をつけちゃ、だめです。その解像度の高さ、とてもいい。」
  • 友だちの焼豚の話 - 傘をひらいて、空を

    私たちは焼豚の披露宴のはじまりを待っていた。焼豚はやきぶたともチャーシューとも読む。中学校時代の友人のあだ名で、小学生の時分からついていたという。色彩と形状で呼び名が決まるのがいかにも子どもらしく、けれども大人になっても彼は豚と呼ばれていることを、何年かに一度会う私たちは知っていた。特定の相手にそのように呼ばれるのが好きなのだそうだ。私たちはなんだか納得した。 披露宴のテーブルには当時の賭けごとの仲間が集められていた。中学生の賭けだから行き交う物品はたいしたものではなかったけれども、今にして思えば期末試験の点数を返却順に足し、一定のラインを超えた者を「ゴール」とする賭けはそれなりに気が利いていた。私たちはそれをダービーと呼んでいた。焼豚は動作と口調が軽快な肥満児で、英語の答案が先に返ってくるとまずまちがいなく負け馬と決まっていて、そうでなければ上位三位には必ず入る手堅い「馬」だった。 「馬

    友だちの焼豚の話 - 傘をひらいて、空を
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    tetzl 2014/08/20
    朝から美しい話を読めた。ちょっと泣きそうになった。