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homo sacerに関するtoledのブックマーク (8)

  • Despair engulfs Pakistani asylum seekers | The Japan Times Online

    Share | Friday, March 25, 2011 Despair engulfs Pakistani asylum seekers Refugee family victim of Japan's politicized immigration policies? By DAVID McNEILL Special to The Japan Times In a ramshackle Yokohama house smelling of damp and rotting wood, Nasir Qadri and his family await their fate. The Pakistani national, his wife, Shaheena, and their five children are asylum seekers who arrived in Jap

  • The New York Times - Breaking News, World News & Multimedia

    Lesley Manville reads an essay about breast cancer and kinship.

    The New York Times - Breaking News, World News & Multimedia
  • 生政治/ホモ・サケル/人道的介入 - 過ぎ去ろうとしない過去

    近代的な「生-権力」は人間がまさに可死的なものであることを出発点とする。そのため、権力は「生きるままにさせておく」または「死なせる」ものから、「生きさせる」または「死の中へ廃棄する」ものへと変容するのである。フーコーにおいて前者と後者の権力は区別されたものであったが、アガンベンはこの両者が一致する現代的な全体主義国家の分析においては、この区別が問題化されると指摘する。 フーコーが1976年のコレージュ・ド・フランスでの講義でこの問いに与えている答えはよく知られている。すなわち、人種差別とは、生-権力が人類という生物的な連続体のうちに区切りを刻みこむことを可能にし、そうすることによって「生かす」システムのうちに戦争の原理をもちこむものにほかならないというのである。(p111)*1 この生の連続体において、生の政治と死の政治は無媒介に一致するというのである。生政治は、この区切りにおいてしだいに

    生政治/ホモ・サケル/人道的介入 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 他人の犠牲を善行に見せるには - 非国民通信

    色々なところで、ものの順序が入れ替わることがあります。主客転倒とも言いましょうか。例えば、あの光市母子殺害事件の判決にもそれが見られました、従来は「他に方法がない場合に限り死刑にする」のが順序でしたが、それが「死刑を回避する理由がない限り死刑にする」との宣言があったわけです。あの裁判での最大の転換はここにあるように思ったわけですが、往々にしてこの入れ替わりは自覚されないまま行われてしまうものです。 さて、「トリアージ」なる概念があります。まぁ災害医療現場など制約のある状況下で、最善の結果に繋げるべく患者を選別することですね。別に目新しいものでも何でもありませんが、これを得々として語る人がいたわけです、経営学の分野で。それにツッコミを入れているのが↓こちら↓です。 あのー、それ、普通にかわいそうなんですがーー「トリアージ」という自己欺瞞 ―(元)登校拒否系 要約すれば、権力の側から一方的に人

  • 前トリアージ的選別とその延長線上に - 諸悪莫作

    今更感が強く漂うけど、「はてな」からはじまった議論について。 僕はid:toledさんが書いたエントリ「あのー、それ、普通にかわいそうなんですがーー「トリアージ」という自己欺瞞 - (元)登校拒否系」で提示されている問題意識に深く賛同するんだけれど、このエントリのコメント欄やブクマコメント*1、そしてトラックバックされてきたエントリなどを見ていると、なんだか良くわからない批判が殺到している。 でもid:toledさんが言っていることは、それほど難しいことじゃあない*2。たとえば、多くの人にとってわかりやすいであろう卑近な事例をあげてみるとすれば、以下のような後期高齢者医療制度に関する読売新聞社説がある。 新制度は、あいまいなまま融通しあってきた高齢者医療費の会計を独立させ、都道府県単位の組織に運営責任を持たせた。従来の市町村単位より広域化したことで、保険財政は安定する。所得の多い高齢者には

    前トリアージ的選別とその延長線上に - 諸悪莫作
  • 共産党ビラ事件 住民の権利、重視の判断 - MSN産経ニュース

    政党ビラ配り事件の控訴審判決で逆転有罪となり、無念の表情を見せる荒川庸生被告=11日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ マンションの共用廊下に入ってドアポストにビラを配ることが住居侵入罪にあたるかが争われた裁判で、東京高裁は逆転有罪判決を言い渡した。マンション住民が、ビラ配りを禁止する意思表示を明確にしていたかが争点の一つだったが、この意思表示の解釈が正反対になったことが判決を分けた。 マンション住民の意思表示としては、マンションの玄関ホールの張り紙があった。張り紙には「チラシ・パンフレット等広告の投函(とうかん)は固く禁じます」「当マンションの敷地内に立ち入り、パンフレットの投函、物品販売などを行うことは厳禁です」と記してあった。 1審判決は、この張り紙を「商業活動を禁じる趣旨に読める」と指摘。政治的なビラ配り目的の立ち入りまで禁止していることは、来訪者には分かりづらいと判断した。 一方

  • 備忘録ことのはインフォーマル20060315

    ■[▲]今の気持ち 10:49 とりあえず、元オウム信者は今の日社会において「終身執行猶予つき終身刑」みたいな状況に置かれているわけです。つまり、何か悪いことをするんじゃないかという目で見られ続け、しかもそれは死の瞬間になって「ああ、この人は何もしなかったね」ということでしか証明できない。言い換えれば、今、私がすべてを証明することなどできやしないので、今までどおり、読者の役に立つ(あるいは知識としておもしろい)話題をブログで提供し、役に立つを書き続ける、あるいはその他何か社会の役に立つ事業を行うという方向性を保ち続けて寿命を迎える以外に道はないと思う。この人はもしかしたら何かたくらんでるんじゃないだろうか、と疑われ続けるという状況からは、死ぬまで逃れられないだろう(もちろん、相手によるが、社会一般として)。 個人で考えて行動したことが、すべて「教団の指示」として受け止められる可能性も

    toled
    toled 2007/07/22
    "元オウム信者は今の日本社会において「終身執行猶予つき終身刑」みたいな状況""何か悪いことをするんじゃないかという目で見られ続け、しかもそれは死の瞬間になって..."
  • Slavoj Zizek-Knight of the Living Dead

    toled
    toled 2007/04/27
    "a clear sign of progress in Western society is that one does not need to argue against rape: it is "dogmatically" clear to everyone that rape is wrong. If someone were to advocate the legitimacy of rape, he would appear so ridiculous as to disqualify himself from any further consideration"
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