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#Heideggerに関するumadaのブックマーク (3)

  •  ハイデッガーとシュペングラー - Economics Lovers Live 田中秀臣のブログ

    ハイデッガーの新しい翻訳『ハイデッガー カッセル講演』をパラパラ読む。ここにはハイデッガーのシュペングラー評価が書かれていていたく興味をひきました。最近の僕の関心は一貫して文化相対主義を批判的にみること、というものです。特に経済思想史的文脈でいえば、三木清や笠信太郎の問題をどう扱うか、その論脈の中でのハイデッガー、ニーチェ、シュペングラーの位置づけです。そして彼らの立場を批判的にみる際に採用している見解は、以前のエントリーにも書きましたが、真理の実践性に注目した見方です。これは帰結主義的ともいえる見解だと思います。この真理の実践性を経済学に適用したのが、石橋湛山や高橋亀吉であったり、American Economic Reviewなどでミニ特集を組まれた「プラクティカルマクロ経済学」の立場などに示されている立場だと思います。経済学的な方法論については、高橋亀吉の『実践経済学』や、フリードマ

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  • Gummo

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  • 哲学者・翻訳家・中山元の書評ブログ: 『開かれ 人間と動物』アガンベン(平凡社)

    →紀伊國屋書店で購入 「剥き出しの生を作るマシン」 人間は動物とどこまで異なるか。この問いはドイツの哲学的な人間学の中心的なテーマだった。しかしよく考えるとこの問いは奇妙である。人間が動物ではないかのように、人間と動物を対立させる。カテゴリーとして考えるならば、動物は植物や鉱物と対比して考えるべきだろう。来は動物の一つの種にすぎない人間を、動物そのものと(まるで動物という種が存在するかのように)対比させるのはカテゴリー・ミステークとしか言わざるをえないのだ(文学全集で世界文学と日文学が分けて分類されているのと同じようなおかしみを感じることもできる)。 これでもこの問いは哲学的に多くの問いと答えを引きずっている。この問いには、アリストテレス風に言語の利用によって答えるか、動物行動学的に道具の利用で答えるか、哲学的人間学的に象徴の利用で答えるか、生物学的に、人間が生まれた瞬間から自立して生

    哲学者・翻訳家・中山元の書評ブログ: 『開かれ 人間と動物』アガンベン(平凡社)
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