今から80年前、太平洋戦争末期の日本列島は、連日のようにアメリカ軍による空襲にさらされていました。 皇居も例外ではなく、昭和20年3月の東京大空襲で一部の施設が被害を受け、5月の「山の手空襲」では、日本を代表する重要な建物であり天皇の住まいでもあった宮殿が全焼しました。 この出来事は、戦後の皇室のあり方にどのような影響を及ぼしたのか。古い記録や証言をたどりながら探ります。 (社会部記者 橋本佳名美・島崎眞碩) “大日本帝国の象徴” 明治宮殿 明治宮殿「御車寄」 皇居・宮殿がある旧江戸城西の丸には、かつて木造の宮殿が建っていました。 明治21年に完成し、「明治宮殿」と呼ばれているこの建物群は、天皇が執務し公的な行事が行われる「表宮殿」と、天皇皇后の私的な生活空間の「奥宮殿」に分かれていました。 一部を除き木造平屋建てで、面積は現在の宮殿の1.7倍ほど。建設には、当時の国家予算のおよそ5%にあ
