ブックマーク / massneko.hatenablog.com (53)

  • 発掘された日本列島2021(その4) @江戸東京博物館・両国 - 墳丘からの眺め

    前回のつづきです。 「新発見考古速報」コーナーでの出品遺跡は14か所でした。 1:下原洞穴遺跡 鹿児島県天城町 2:デーノタメ遺跡 埼玉県北市 3:下ヶ戸貝塚 千葉県我孫子市 4:四日市遺跡 大分県玖珠町 5:高崎競馬場遺跡 群馬県高崎市 6:史跡 午王山遺跡 埼玉県和光市 7:志布志湾沿岸地域の古墳群 鹿児島県肝付町・東串良町・大崎町・鹿屋市 8:牟田辺遺跡 佐賀県多久市 9:下河原崎高山古墳群 茨城県つくば市 10:薩摩遺跡 奈良県高取町 11:大南遺跡 山形県米沢市 12:畑間遺跡 愛知県東海市 13:京都新城跡・公家町遺跡 京都府京都市 14:平安京左京一条三坊三町 京都府京都市 もちろん、いつものように、古墳時代以外でも興味深い展示が多々ありました。 鹿児島県天城町(徳之島)の下原洞穴(したばるどうけつ)は、縄文時代草創期~貝塚時代前3期(約1万5000~4000年前)に遡る遺

    発掘された日本列島2021(その4) @江戸東京博物館・両国 - 墳丘からの眺め
    yonnbaba
    yonnbaba 2021/07/01
    縄文のおおらかなエネルギーが伝わってくるようです。
  • 亀ケ森古墳 福島県河沼郡会津坂下町青津 - 墳丘からの眺め

    前回の臼ガ森古墳から北東に約3㎞に、国史跡の亀ヶ森古墳・鎮守森古墳が隣り合って残っている。 さらに北東400mほどに阿賀川がある。川の上流は栃木県との県境の荒海山で、ここから西へは磐越西線と寄り添うように、山の中を流れて新潟県に入ると阿賀野川と名を変えて新潟市街で日海に注ぐ。 つまり、亀ヶ森・鎮守森古墳は、会津盆地と日海とを結ぶ交通・物流の要衝という立地。 墳丘にある解説板によれば、付近の当時の集落跡から北陸地域の特色を持つ土器が出土したそうです。 周囲の水田地帯から4mほど小高い集落の北西端に墳丘がありました。 史跡の指定範囲が示された説明板。 史跡 亀ケ森・鎮守森古墳 国史跡指定 昭和51年5月6日 亀ケ森古墳は、墳丘の全長が約127mで、東北第2の規模を誇る前方後円墳です。 後円部は三段築成で、葺石が見られます。出土した埴輪から、4世紀後半の築造と考えられています。 鎮守森古墳は

    亀ケ森古墳 福島県河沼郡会津坂下町青津 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2021/05/28
    桜の散り敷いた階段が素敵! こういうところをのんびり散歩できる猫ちゃんも幸せそう。
  • 最勝院五重塔~鏡ヶ丘記念館~袋宮寺 青森県弘前市銅屋町・新寺町 - 墳丘からの眺め

    弘前には江戸時代明暦2年(1656)に建立された五重塔もある。 弘前れんが倉庫美術館から南西に徒歩8分、土淵川北側の台地上に立地。 小雨模様でしたが、ここもほぼ満開でした(訪問日2021年4月17日) 拝観料を納めて最初に堂に参拝、振り返っての参道。 一方通行になっている参道を回り込んでいくと塔の下に出ました。 いただいたパンフによれば築造時期は全高31.31m(内、相輪の長さが3分の1)で、国指定重要文化財では日最北端の五重塔になるそう。 弘前藩初代藩主津軽為信の津軽統一の過程で戦死者を敵味方区別なく供養するために、4代藩主信政が建造。 1991年の台風で被害を受けましたが全面解体修理されて美しく甦っています。 最勝院から西に150mほど、青森県立弘前高等学校の門を入った右手に、明治27年築の旧青森県尋常中学校館の主要部がきれいな形で残されていました。 門の脇にあった解説板。 旧青

    最勝院五重塔~鏡ヶ丘記念館~袋宮寺 青森県弘前市銅屋町・新寺町 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2021/05/16
    わお、弘前高等学校、我が息子の母校です!懐かしい鏡ケ丘記念館・・・。
  • 弘前公園・満開直前の桜 青森県弘前市下白銀町 - 墳丘からの眺め

    4月16日から夫婦で弘前へ、JR東日の大人の休日倶楽部パスを使い2泊で行ってきました。 弘前に古墳は無いのですが、今回は建物鑑賞目的で。 お城の桜は少し早いかと思っていましたが、満開発表直前の姿を楽しませていただきましたので、まずその様子を。 JR弘前駅から西に1.5㎞ほどにある弘前公園は、広さ49ha(東京ディズニーシーと同じ面積)に約2600もの桜が植わる名所です。 外濠は周囲の道路と比高差がなく、水辺の桜を目の当たりにできました。 中濠にかかる”杉の大橋”、その奥(左)が二の丸。 中濠は深く幅も広い。 石垣の修繕工事中だった内濠を渡って丸に入ると有料エリア。 弘前城は慶長16年(1611)に弘前藩2代藩主・津軽信枚(のぶひら)が築城。天守、3つの櫓、5つの城門が今も残っていますが、天守は現在、石垣修復工事のために元の位置から数10m北西に曳家されています。 展望デッキが設けられ

    弘前公園・満開直前の桜 青森県弘前市下白銀町 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2021/04/30
    懐かしい景色です!婚家を出てから、この弘前公園のすぐそばの瀟洒な借家に息子たちと3年間住んでいました。夕食後に息子たちと夜桜見物がてら散歩に行けるという、贅沢な環境でした。我が家のプチバブル時代(^^♪
  • 築地界隈の建築巡り・30 バンクシー? 東京都中央区築地6丁目 - 墳丘からの眺め

    最初に赤い色が目に入って、おやっと思い、近づいてみるとどこかで見たような”作品”が。 君野家住宅跡(新築ホテル建設中)のすぐ近く。 ストリートビューの画像は2年ほど前かと思いますが、トタン壁面は”無地” 現状では検索しても、ここに関しては何も見つけられませんでした。 政治的なメッセージは無さそうなので…

    築地界隈の建築巡り・30 バンクシー? 東京都中央区築地6丁目 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2021/03/06
    殺風景な壁面も一変しますね。猫ちゃんのしっぽが可愛い!
  • 築地界隈の建築巡り・19 東京都中央区八丁堀 - 墳丘からの眺め

    今回は、築地界隈と言うには少し遠い八丁堀(の一部) 3丁目に残る看板建築。修繕もしっかり銅板でなされています。 通りの雰囲気も良いです。 その通りを奥から振り返って。角の一棟はマンサード屋根の三階建て。 その近くにあった焼き肉屋さんも、一階壁面はスクラッチタイル。 同じ八丁堀3丁目の東寄り。 近くには、博多水炊きの「さ和鳥」さん。 魅力的な建物です。「看板」の後ろは切り屋根でした。 並びの家には2階に神社が。 その「今村幸福神社」にお参りしました。 その北側、八丁堀2丁目の南端にある中華料理十八番。ダクトや室外機が迫力です。 鍛冶橋通りを渡った八丁堀4丁目にある、うな串・焼鳥の「う福」さん。 現在は臨時休業中でした。 2階の色ガラス窓が非常に魅力的。再開したら訪ねたいと思います。 鍛冶橋通り沿いのこちらの建物も気になりました。 ストリートビューで限度まで(2009年)遡っても、営業されて

    築地界隈の建築巡り・19 東京都中央区八丁堀 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2021/02/21
    民家の二階に神社!なんてユニークな・・・。お参りしてみたい。
  • クレッセントハウス 東京都港区芝公園 - 墳丘からの眺め

    芝増上寺の三解脱門の向かいに立地するレストランクレッセントが10月31日をもって閉店した。 Wikipedia によれば築年は1968年で、「後期ヴィクトリア朝風の建築様式を取り入れた英国風煉瓦造りの洋館」とある。 昭和の初めの香りが漂っているのでは。 壁に煉瓦が多用され、角に白い石がリズミカルに配される。 創業者の石黒孝次郎氏が戦後すぐに古美術商の店「三日月」を設立、その後にフランス料理のレストランクレッセントを始めたとのこと。 この洋館は、Wikipediaによれば、当初は美術館・美術商・レストランを併設し、完成を待たずして亡くなった最愛の・とよ子夫人へのモニュメントとして設立されたものといわれる、そうだ。 隅々まで統一感のあるデザインは施主の意向が強く反映されたものなのでしょう。 いつかは訪ねたいと思っていましたが残念ながら閉店。創業63年の老舗でした。 玄関扉のガラス越しに。 奥

    クレッセントハウス 東京都港区芝公園 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2020/11/27
    これもコロナの影響の一つなのでしょうか。こんなに素敵なレストランが閉店してしまったのは、なんとも寂しいです。
  • 旧京都中央電話局上分局 京都府京都市上京区駒之町 - 墳丘からの眺め

    京都旅行2日目。しばらくは建築巡りになります… 朝一で向かったのは鴨川沿い、神宮丸太町駅の近くにある旧京都中央電話局上分局。 旧東京中央郵便局(KITTEの改築前)を手掛けた吉田鉄郎の作品。 駅のある鴨川左岸から建物を遠望(中央) 遠望だと、塔の上部屋根端が寄棟状の三角屋根であることがわかる。 朝日が浴びる壁面。 台形の部分、地上から続く壁面の凹み、その中の楕円形の窓、背後の張り出し、軒下に連続する正方形など、複雑な意匠がまとめ上げられている。 河畔に面して散歩道。 三連の縦長窓は、一階ではアーチと融合する。 川辺から見上げて。 北側、丸太町通りの壁面。 窓の下は手前に向かって傾斜する。 現在1階はスーパーとして使われている。 上記から中に入ってまっすぐ進むと、奥のドアから中庭のようなスペースに出た。先ほどの塔の裏側。右下にスポーツクラブの入口がある。 引いた位置から。建物はコの字形に続

    旧京都中央電話局上分局 京都府京都市上京区駒之町 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2020/11/05
    なんと贅沢なスーパー! こんなお店で買い物してみたいものです。
  • 秋空・2020年10月 - 墳丘からの眺め

    千代田区の西御門前交差点から日比谷公園方向。 信号待ちをしていて目に入った空を撮りました。 逆さにしてみると、空から見る山脈のようでは。 (iphoneにて)

    秋空・2020年10月 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2020/10/26
    美しい!
  • 瓦塚古墳(さきたま古墳群) 埼玉県行田市大字埼玉 - 墳丘からの眺め

    今回の埼玉(さきたま)古墳群探訪で最後に回った墳丘が、博物館のすぐ東側に残る瓦塚(かわらづか)古墳。 前方部右裾から。右奥に後円部。全長73mの前方後円墳。 前方部先端側の内堀。 現地説明板。 瓦塚古墳 全長73mの前方後円墳です。ほかの前方後円墳と同じく周囲には長方形の堀が二重に巡り、墳丘のくびれ部には造出しと呼ばれる張り出しがあります。また、造出し正面の外堀には、通路と見られるブリッジ状の掘り残しがあります。 整備に先立つ発掘調査の結果から、その周辺の中堤には、琴を弾く男子、踊る男女、武人などの人物埴輪、盾形埴輪、家型埴輪など多種の埴輪が並べられていたと推定されています。 墳丘内部は未調査であるため、埋葬施設の大きさ、副葬品の内容など詳しいことはまだ分かっていません。古墳の造られた時期は、出土した遺物から6世紀前半から中頃と推定されています。 平成21年(2009)3月 埼玉県教育委員

    瓦塚古墳(さきたま古墳群) 埼玉県行田市大字埼玉 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2020/10/17
    犬の埴輪、カワイイ!
  • カフェギャラリー高澤記念館 埼玉県行田市長野 - 墳丘からの眺め

    9月最後の日曜日、さきたま史跡の博物館で開催中の「盾持人埴輪の世界」展(2020年11月23日まで)を見に行った。 電車とバスを利用。 アクセス - 埼玉県立さきたま史跡の博物館 高崎線の吹上駅前で停車中の朝日バスの「行田折り返し場」行に乗ったものの、経由地が異なる路線だったようで、さきたま古墳公園に近づかない。乗りながらスマホマップを見ていると、古墳公園を中心とした円周上を回っていく様子。忍城の前を過ぎて、桜町という所で降車。さきたま古墳群の北端の神明山古墳まで徒歩25分と出た水路沿いの道を歩き始めた。 その途中にあった駐車場の「高澤記念館」という看板が気になったので立ち寄ってみた。 入口の方へまわると立派な長屋門があった。 その手前にあった国登録有形文化財の説明板。 左のカフェギャラリーの案内には、OPENは金・土・日の11時~17時とある。 国登録有形文化財 高澤家住宅主屋・離れ・土

    カフェギャラリー高澤記念館 埼玉県行田市長野 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2020/10/05
    建物も、置かれている道具なども全て素敵で興味深い。行ってみたい・・・。
  • 古市・金谷白壁の町並み 山口県柳井市柳井津 - 墳丘からの眺め

    柳井茶臼塚古墳からよく見えていた柳井市街。 その一画に「白壁の町並み 」という気になるポイントがあったので行ってみた。古墳から2㎞ほど西。 柳井川のそば、200mほどの通りが江戸時代の面影を残していた。 通りの入口の地図。 解説板もあった。 柳井市古市金屋伝統的建造物保存地区 選定日:昭和59年12月10日 面積:1.78ha 柳井津は瀬戸内海の舟運を利した市場町として形成されました。この町が中世に栄えていたことは、慶長6年(1601)吉川広家が岩国の城下町建設に際して、柳井の有力商人を移住させて、柳井町を設けたことによってもわかります。 柳井津町の敷地割は、他の町と同様、間口は狭く奥行が深く、敷地境には石積の水路が北から南へ設置され、道路を横断して直接柳井川へ排水されています。 保存地区は、柳井津でもっとも早くから開かれた旧町の西半分にあたる古市金谷地区で、東西方向に通じる町通の両側約

    古市・金谷白壁の町並み 山口県柳井市柳井津 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2020/09/22
    風情のある街並み、素敵ですね~。
  • 名勝 錦帯橋 山口県岩国市岩国 - 墳丘からの眺め

    防府観光の後は宇部へ一旦戻ったが、翌日に柳井の古墳を訪ねる予定を立てていたので宿を岩国の錦帯橋のそばにとっていた。 着いた時には日は沈んでいたが、ライトアップされた木造橋に圧倒された。 夜景はiphone11で。 中央に高さのある三連アーチがあり、その両脇に支えの付いたアプローチが連なる。 木造構造物の極致では。 解説板があった。長さは200mほど。 名勝 錦帯橋 名勝指定年月日 大正11年3月8日 昭和18年8月24日追加指定 世界に誇る名勝錦帯橋は延宝元年(1673)、第三代岩国藩主吉川広嘉によって創建されました。それまでの橋は、錦川の洪水のたびに流されていましたが、広嘉の斬新な発想と藩の技術者のたゆまぬ努力によって現在の橋の形が作り出されました。長年美しい姿を誇っていましたが、昭和25年9月、当地方を襲ったキジア台風により惜しくも流失しました。その後、昭和28年1月に再建されました。

    名勝 錦帯橋 山口県岩国市岩国 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2020/09/19
    同じ景色でも、夜だと一気に幻想的になりますね。空の青の美しいこと!
  • 毎日投稿 丸6年 - 墳丘からの眺め

    大分墳行シリーズの途中ですが… エントリで連続投稿が「2192日」となりました。 365(日)× 6(年)+ 2(日・うるう年分) =  2192(日)で、ちょうど6年間です。 「予約投稿」をしているので毎日書いているわけではありませんが、大体0時にアップしているのは「落とした時」にも24時間の猶予があるからで、毎日続けなきゃと意識してなんとかここまで来ました。 自分の場合は「毎日」という縛りがなければ、徐々に間隔が開いて休止となったであろうと思います。 やりはじめてからは、連日読みに来ていただける方々がおられて、それが励みになり、継続の原動力になっています。感謝です。 古墳好きになったのはブログを始めてからなので、はてなブログのおかげで古墳の世界を深めることができました。 古墳がなければ行かなかったであろう素敵な日の景色や、古墳を知らなければそれほど興味を持たなかったであろう歴史に触

    毎日投稿 丸6年 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2020/08/04
    まさに「継続は力なり」ですね。ブログは読んでいただける喜びと、自分の備忘録としての役目が両立出来ていいですよね。それにしても6年毎日とは、予約投稿利用だとしても凄い!
  • 真木大堂 大分県豊後高田市田染真木 - 墳丘からの眺め

    真木大堂は、富貴寺から車で8分ほどの場所にある。 道路の向かいの広い駐車場に停める。仏像は中央奥の収蔵庫に収められていた。 拝観券売り場でくつろいでいた。お邪魔しました。 拝観料は一般300円。 いただいたパンフの「真木大堂」の説明。 真木大堂は六郷満山65カ寺のうち寺として36坊の霊場を有した幻の最大の寺院であった馬城山伝乗寺のことである。 奈良時代元正天皇の養老年間に仁聞菩薩の開基で悲陀の匠が建立したと伝えられているが、仏像の作風からみて平安時代と思われる。往時は広大な境内のなかに七堂伽藍を備えて隆盛を誇った大寺院であった。 約700年前に火災のために焼失したが、現存する9体の仏像は当時の人々の厚い信仰と守護のもとに難を免れて今日に至っている。この9体の仏像には、前例を捧げ尽くして作られた方々の魂がこもっている。 大正7年に国宝に指定され、昭和4年に大修理、昭和25年8月29日

    真木大堂 大分県豊後高田市田染真木 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2020/07/06
    猫がこんなにくつろぐところ。居心地、いいんだろうな。
  • 木花村古墳 宮崎県宮崎市大字熊野 - 墳丘からの眺め

    都城市から宮崎市へ戻ってきて、少し時間があったので、宮崎空港の南側にピンが立っていた木花村(きばなそん)古墳群へ立ち寄ってみた。 清武南ICで降りて、県道を東へ 向かうと、清武川右岸の”低位段丘上”の畑の中に、墳丘が残っていた。 最初に訪ねたのは2号墳。すぐ背面の果樹園で作業をしている方にことわって、看板近くに車を停めさせていただいた。 説明板の位置はくびれ部あたりで、右奥が前方部になる。 県と市で立てた説明板。 名称:県指定史跡 木花村古墳 指定年月日:昭和12年7月2日 木花村古墳は、清武川に面した標高10m前後の低位段丘上に立地し、前方後円墳3基、円墳5基が県指定史跡となっています。現存する古墳は、前方後円墳3基(1~3号墳)と円墳1基(4号墳)で、3号墳は墳丘の一部のみ残っています。 1号墳の墳丘規模は、墳頂58m、後円部径27m、同高3.5m、前ぽ部幅23m、同長28m、同高3.

    木花村古墳 宮崎県宮崎市大字熊野 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2020/05/26
    長大なシリーズ報告、お疲れ様でした!
  • 今帰仁城跡 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊 - 墳丘からの眺め

    沖縄では車を借りて、今帰仁(なきじん)城跡まで足を運んでみた。 那覇中心部から高速を利用して1時間半ほど。 世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する9つの資産のひとつ。 今帰仁城跡 かつて琉球に統一王国が樹立する以前の三山時代(北山、中山、南山)北山王の居城として「今帰仁城」が築かれ、沖縄島北部(やんばる)の政治、経済、文化の拠点となったグスクである。今帰仁城は15世紀初頭まで隆盛を極めるが、北山最後の王、攀安知(はんあんち)が1416年に尚巴志の率いる連合軍によって滅ぼされてしまう。その後、監守制度(1422~1665)がしかれ首里王府から派遣された監守によって北部地域が統治された。 世界遺産登録:2000年12月2日 国指定:1972年5月15日 資産面積:7.9ha 緩衝地帯面積:25.3ha 駐車場に車を停め、交流センターで入場券(一般400円)を購入して「平郎門」へ

    今帰仁城跡 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2020/02/10
    「うちかび」。地獄の沙汰も(もちろんご先祖様は地獄には行かれていないでしょうが)金次第、ということでしょうか・・・。あの世でもお金の心配とはトホホです。
  • 水車の坂 東京都北区西が丘 - 墳丘からの眺め

    赤羽を再訪した際、地図で気になっていた「水車の坂」も訪ねてみた。 野間坂を上がってそのまま西へ200mほどの場所。 ピンの位置に標柱あり。 水車の坂 現在は石段(北区西が丘2-27-12地先)となっていますが、昔はこの下に水車小屋があり、近くの農家が利用していました。水車に荷を運んできた馬が坂の途中から落ちて死んだこともあり、お稲荷さんと馬頭尊とが並んで立っていました。現在は稲付川も暗渠となってしまい、水車もありませんが、石段は西が丘から十条銀座を通って十条駅へ向かう通勤の人でにぎわっています。 ガードレールがついた階段でした。 坂上は、なかなかの見晴らし。 ズームで。方角は東。 南側の対岸尾根上は、十条仲原・上十条になる。 踊り場まで降りて振り返って。 下まで降りて振り返って。 このあたりに小川が流れ、水車が回っていたのだろう。 その先、十条へ向かう道。 標柱の解説には通勤の人で賑わうと

    水車の坂 東京都北区西が丘 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2019/09/30
    タイムスリップして、小川と水車の風景が見たい・・・。
  • 低姿勢な南部バス 青森県八戸市内 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 秋田県鹿角市で尾去沢鉱山を見た後、盛岡まで高速に乗ってレンタカーを返却し、新幹線で八戸駅へ向かった。 八戸駅前の様子。 まずは南部バスの回送表示に目を奪われる。 旅の二泊目を八戸としていた。宿に荷物を置いて繁華街の居酒屋へ。 以前にテレビ番組で見たことがある「番屋」に行くと、ちょうど一巡目の一組が帰るタイミングで、少し待っただけでカウンター席に着くことが出来た。 材もインテリアの一部に。 絶品でした。大皿の料理も頼んだものは全部おいしかったです。お酒は田酒で。 繁華街には魅力的な横丁がいくつもあって、大勢の人で賑わっていました。 一度来ただけではつかみきれない奥深さが感じられたので、機会をみつけて再訪したいと思います。 昭和の香りが残る街中には新しい建物も。こちらは「八戸ポータルミュージアムはっち」 その向かいには「八戸まちなか広場 マチニワ」

    低姿勢な南部バス 青森県八戸市内 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2019/07/29
    八戸ってこういう街だったんだ・・・。弘前に15年住んでたけど、八戸に行ったことがなかった。想像してたのと違って、結構モダンな街なんですね。
  • 康楽館 秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字松ノ下 - 墳丘からの眺め

    康楽館(こうらくかん)は、明治43年(1910)に小坂鉱山の厚生施設として建てられた芝居小屋。 昭和54年から61年までの間は休止していたが現在も定期公演が行われていて、移築や復元がされていない現役の和洋折衷の木造芝居小屋としては日最古になるそう。 正面はアメリカ木造ゴシック風で、上げ下げ式窓と鋸歯状の軒飾りが並ぶ。 建物が面する通り(明治百年通り)には康楽館の幟旗が賑やかに並ぶ(突き当りの右が小坂レールパーク) 切入りの木造二階建て。屋根は銅板葺(当初は杉板葺)で正面幅約28m・奥行約38m。小坂鉱山を経営していた合名会社藤田組によって建てられ、設計者は小坂鉱山工作課営繕掛長の山辰之助とされるそうだ(Wikipedia「康楽館」の項より) 側面は押縁下見張の純日風。内装に桟敷、花道、切穴などがある典型的な和風芝居小屋の内装で、和洋折衷の造りが特徴とのこと(公式サイトより) h

    康楽館 秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字松ノ下 - 墳丘からの眺め
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    yonnbaba 2019/07/24
    風情のある建物でお芝居の観賞。いいなあ!