読者の便宜など頭から軽蔑しきった、突き抜けた不親切さ。その不親切に耐えるだけの被虐性を持ち合わせた読者に与えられる豊かな報い。世界における官僚機構の必要性と、それに伴う人間性への圧迫についての強い関心。表面の静謐が多大な努力で維持されつつも、すぐ下では醜悪と滑稽と恐怖と不条理がないまぜになって沸き返っている小説空間。 佐藤亜紀の新作『吸血鬼』に見られるそうした特質は、散文の古典性と相まって、イギリスのジョン・ル・カレを私に想起させる。何よりもこの二人に共通するのは、人間性に内包された人間性そのものへの裏切りを作品で探究しつづけている点だ。 とはいえ、つまるところ佐藤は佐藤、ル・カレはル・カレである。佐藤の独自の強みのひとつは、典雅な文体で俗の俗なるものを描き切る能力だ。それは『戦争の法』においても充分に窺われたが、『吸血鬼』では作品そのものの原動力となっている。 『吸血鬼』といっても