日本自動車産業の黎明期を支えた人たち 突然話は大幅に飛びますが、1940年代初頭、日本は世界トップクラスの工業大国でした。その地位自体がその後の歴史に(良し悪し含めて)さまざまな影響を及ぼすことになるのですが、ともあれ当時の最先端工業製品である戦闘機の開発と製造技術において、まぎれもなく世界トップクラスだったわけです。 その日本が敗戦で研究室も工場もなくなり、開発・製造母体だった各メーカーも解散させられたのち、技術者たちはさまざまな分野へ散らばりました。 ある者は国鉄に就職して新幹線の技術開発に貢献し(0系新幹線の設計を担当した三木忠直氏は海軍航空技術廟出身)、ある者は航空宇宙産業の分野(「日本の宇宙開発の父」と呼ばれる糸川英夫氏は立川飛行機でジェットエンジン研究を担当)に進んで大きな実績を残しました。 そして多くの者が向かった先が、自動車産業でした。 トヨタで初代カローラの開発主査を務め