近藤令子さんの「tapestry - 私が死んだ後は」を読んで、日常に不意に「死」が忍び込んでくる瞬間の感覚をありありと思い出しました。 でも、私が残した荷物は誰が片付けるのだろう? 僕も自分の残すであろう荷物――例えばこのサイト――について考えてしまいました。 以下のテキストは、2002年に発売された「テキストサイト大全」(→amazon.co.jp)に寄せたものです。「テキストサイト大全」は、出版社・ソフトマジックの倒産によってすでに絶版となっています。 * サイトがローカルディスクに還る日(ある死とテキストサイトの消滅によせて) 宗像明将 あなたはパソコンに電源を入れる。インターネットに接続して、自分のホームページのファイルをローカルディスクからアップロードして更新する。毎日のアクセス数に一喜一憂する。意味がないと思いつつ、アクセス解析を一日に何度も見てしまう。他人のサイトを巡回する
元ネタはこちらから。 ○コラム:日本人の宗教嫌い (http://iwatam-server.dyndns.org/column/47/index.html) 改変したものが以下。 はてな嫌いな人を見つけたら、こう言ってみよう。 この世の中に「唯一絶対なる存在(Google)」が存在するだって?そんなのあるわけない。 「ダイアリーかくあるべし」とか「コメントのレベルを上げる」とか、下らねえ。日記書きたかったら書く。コメントしたかったらする。それでいいじゃん。 この世にアルファとかベータとか、そんなものねえんだよ。 集団知とか合宿と称してなんだかわけのわからん事をして何になるというんだ?あいつらバカだね。Web2.0なんてヤクでラリってるのと同じだ。 もし上の考え方に対して、「うんうん、その通りだ」と言う人がいたら、その人はアンチはてなではない。立派なはてなユーザーである。彼らは自分をアンチ
日常の思ったこと、サッカー、らーめん、オナゴ、イナゴ、哲学。裏活をブログにしてみた。めんどいからね。 でももっとライトに、もっと日記っぽくサブイ日常も書いていくつもり。 もう何年か前に、哲学者や著名人がTVの「自由研究相談」みたいなコーナーで学生にこの質問をされ、誰一人まともに答えられなかったというニュースが出回りましたね。 当時から、僕はずっとこのことを考えています。 そして、実は自分の中での答えは3年ぐらい前から変わってない。 その答えをあまり信じたくなくて、僕の中で眠らせていたのであまり公言はしてない。 ちょっと、それを書いてみようかなと。 このニュースを耳にしたとき、正直ドキっとした。 自分でも明確な答えを即答できなかったから。 人を殺したいと思ったことなんて今まで.1秒たりともない。 無いのに、明確な答えが出てこない。 僕だって、いつか子供を持ちたい。 どうあがいても、僕の血をひ
■言葉の限界から/萌えと好きの差 (*1) 本題に入る前に、まずこの論で扱う「萌え」という言葉が指し示す限界を説明しておきたい。 「萌え」と「好き」に大した違いは無い。 「好き」には、ライトでいい加減な感覚で発言される「好き」から、濃くて深い愛情から発せられる「大好き」まで様々あるし、向けられる対象の種別は実に多岐に渡るが、その言葉が取り扱う範囲の幅広さまでを含めて、「萌え」と「好き」の間には大差が無い。 オタクの中には、あまりにも鮮烈で深すぎる愛情を抱いてしまった時に 「これは萌えじゃなくて、“愛”なんだ」 と周囲に弁明せざるをえない傾向がある(筆者もその経験が多々ある)が、それはただ、世間的な「萌え」のイメージが「ライトな好き ~ 死ぬほど大好き」の中間あたりを揺らついているからに過ぎない。 「萌え」を真剣で深刻な意味で用いる人々が少ないが故に、仕方なく別の単語を用いて意味を補わないと
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く