新水戸橋です。 東京は過密な空間を細い橋で繋ぐことにより形成されています。他の日本の都市と異なるのは、異様なまでの水路の多さである(大阪も多いのですが)。こんな場所に地震がきてしまったなら、膨大な二次災害に悩まされるでしょう。日本各地に地震の昔話はありますが、東京で(江戸で)特に多いのは、それだけこの土地が地震に対して脆弱であるということです(江戸期から建築資材を他の藩から輸入しなくてはならなかった。多くの藩では資材は自給できるものであったのに。江戸は物流に特化することで、生産という手段を放棄した)。 さて。どうやら東京はシステム的には、災害時に多くの人命を放棄することにより稼動を確保する思想があるようです。何回かの大火災のあとに江戸には防火帯が整備されました。江戸幕府は真面目にやっていたのです。しかし戦後の東京にはバッファ的な空間は許されなかった。人間は外部から供給されるものだったのです