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2014年8月30日のブックマーク (6件)

  • 甘露寺親長筆 続千載和歌集切 - いしざあの あさがお日記:楽天ブログ

    2014年08月29日 甘露寺親長筆 続千載和歌集切 カテゴリ:文学・芸術 甘露寺親長筆 続千載和歌集切 二枚一幅。 悪くない。 甘露寺親長の字は、 大丈夫。真蹟です。 青蓮院尊鎮の方は分からない。 けど、青蓮院流なのは間違いないから、 まあいいでしょ。 狙いは、続千載集切。 なにせ、一首目は西園寺実兼の和歌、だからね! (・∀・) でも、続千載集・春上、2番の歌。 ほぼ巻頭部分なんだから、 そこも含めておいてよ… (´・ω・`) なんで切るかなあ。 詞書もカットされてるし… (´・ω・`) とはいえ、何はともあれ、実兼詠。 法皇は、後宇多、そして為家。 うん、いいよ。いい。 最終更新日 2014年08月29日 16時19分04秒 コメント(0) | コメントを書く [文学・芸術] カテゴリの最新記事 ステキな展示でした。 2023年09月10日 勝海舟の蔵書印 2023年09月08日 日

    甘露寺親長筆 続千載和歌集切 - いしざあの あさがお日記:楽天ブログ
  • 大本山 石山寺 公式ホームページ

    今も昔も多くの信仰を集める 日有数の観音霊場 石山寺は、清流瀬田川のほとり、伽藍山(標高239m)の麓にあり、奈良時代から観音の聖地でありました。縁起によれば、石山寺は天平19年(747)、聖武天皇の勅願で良弁僧正が創建とされています。現在、堂に安置されている尊如意輪観音(重文)は、日唯一の勅封の秘仏と言われ、開扉は33年毎。安産、福徳、縁結びなどに霊験あらたかな仏さまとして信仰を集めています。 紫式部の源氏物語をはじめ 女流文学が花開いた舞台 平安時代には貴族達の間で石山詣が盛んになり、紫式部は当時参籠の祈に、『源氏物語』の着想を得たと言われています。他にも『枕草子』『蜻蛉日記』『更級日記』などの文学作品に登場するなど、石山寺は平安王朝文学の開花の舞台となりました。また文学の寺として絵画・聖教・典籍など数多くの歴史的な寺宝を有します。

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  • 「南部藩は岩手の南」? 国語辞典に誤記 | 河北新報オンラインニュース

    「南部藩は岩手の南」? 国語辞典に誤記 三省堂(東京)が発行する「三省堂国語辞典第7版」で、地名の「南部」について「岩手県の南で、もと南部藩の領地だった地域」と誤った語釈が表記されていることが分かった。同社は早期に修正する考え。  購入者の指摘で判明した。南部藩は現在の岩手県北部と中部、青森県東部、秋田県北東部に当たり、岩手県の南は実際は仙台藩領だった。  三省堂によると、同様の記述は2008年の6版から続いていた。同社は「単純なミス。できるだけ早い時期に直したい」と話している。  国語辞典は1960年発刊。「さんこく」の略称で知られ、現行の7版はことし1月に刊行された。 2014年08月29日金曜日

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  • 「青丹よし」の謎 - Togetter

  • 定斎屋の藪入り

    お正月だから神様が出てくるがいいな。『故事物語 御国自慢ト負ケジ魂』は著者不明、出版社不明、作成年不明。昭和10年の日付の記事がある。 文章はすべて直筆で、カナ文字ルビ付き。文字の上に訂正の線が引いてあったりする。手描きの素朴な絵は着色されてゐる。 七福神の由来や「背水の陣」「いざ鎌倉」の言葉の意味などが雑多に書かれてゐる。力作だが現代人が読んで特に面白味があるといふものではない。 その中の一編、「神様ノ無イ村」だけが異彩を放ってゐる。村長と奥さんが寝てゐると、大きな物音がした。庭を確認して戻って来た村長は、竹を縛ってゐた縄が切れただけで怪しいことはない、と言った。奥さんは、村長の体から「妙ナ冷タサト腥サ」を感じた。その後も村長は相変はらず親切だった。ただ神様のことが大嫌ひで、神様のことを聞くと不機嫌になった。 ある年、東の国から西の国へ神様がやって来た。村長は病人のやうに閉ぢ籠もってし

    定斎屋の藪入り
    arcade00fire01
    arcade00fire01 2014/08/30
    どれもなかなかおもしろい
  • 五色屋書房主「皇道に背くものは発行せず」 - 定斎屋の藪入り

    『神代の絵話』は丸尾博通著、五色屋書房刊。昭和11年3月1日印刷、同5日再版発行。頭山翁の揮毫がそのまま表紙の書名になってゐるのが珍しい。「神代」だけ字が大きく見える。途中で名前が入らなくなるのに気づいて、「絵」を小さくしたのでは…。富士山の絵は小室翠雲。 著者は宮内省皇宮警察部や宮内省式部職に勤めた。その後、国民道徳講演会を組織、日の神話を幻燈映画に仕立てたものを制作し、日各地や朝鮮、満洲、ハワイなどを巡回した。同会には、お札研究のスタール博士も名誉賛助員になってゐる。 著者がこの活動をしたのは、かねがね周囲の人間に敬神観念の不足を痛感してゐたから。郷里の岡山県、津山の青年からは、 神様といふても吾々と同じ人間であつて、生前に功労があつたから死したる後の霊魂を神として祀つてあるだけで、拝礼するの義務はあるけれども、之に向つて祈るといふことは間違つて居る。それは迷信といふものであつて、

    五色屋書房主「皇道に背くものは発行せず」 - 定斎屋の藪入り