青空文庫は唯一の成功した和製「プラットフォーム」 だが青空文庫の意義は、単に提供しているコンテンツの質や量にとどまるものではない。オープンな電子書籍「プラットフォーム」である点も重要だ。青空文庫は、民間主導で発展した、「プラットフォーム」として、日本ではまれな成功例の一つである。 「プラットフォーム」とは何か。さまざまな含みがあり、その定義は容易ではない。ある企業にとっては「多数の企業から利用料を取るビジネス」のことであったり、別のある企業にとっては、「多数の利用者から利用料を一括して徴収し、コンテンツやサービス提供者に割り振るサービス」であったりする。 さらに、「配信サーバ」の意味で使う人もいるし、「規格や配信経路、端末をトータルでコントロールすることで利益を得るサービス」といった意味で使う人もいる。最後の例は、「垂直統合モデル」とか「エコシステム」などという別名もある。念頭におかれてい
このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。 昨日の古典籍展示はほんとうに眼福だったことが、『目録』を眺めて実感されます。それにしても最高額の『唐人絶句』、一誠堂は40年以上前から保有していたとのことで、思い出されるのは昭和59年(1984)年3月の為家本『土左日記』の出現の時の話。この本はすでにその存在は知られてはいたらしい。 為家の自筆本は伝はらないが、青谿書屋本はかなり忠実に為家本を臨模してゐる。その臨模は、近世の初期と思はれ、その原本はたしかに伝来してゐるらしい。法隆寺の秘佛ではないが、学問資料として、一日も早く世に示して頂けたらと思ふ。 池田亀鑑「土佐日記の原本」「日本古典全書 土佐日記 附録月報」朝日新聞社、昭和25年(1950)。
昨日、神戸の海文堂書店から直委託品の返品が届いた。9月末の閉店に向けて、直委託品は8月末で〆と相成り。「神戸市戦災焼失区域図復刻版」と「本屋の眼」(平野義昌著)の2点だけ、9月に売れる見込分を買取扱いにしてもらって販売継続中。 「My Private Fukushima 報道写真家福島菊次郎とゆく」(那須圭子 写真・文)が僅か1ヶ月の販売期間で、20預けて4返品。16売れていた。まったく記事が出とらんなかで、これは快挙だ。売れなくなったとはいうても、やっぱり、ここにはええお客さんが居てはるといふことだらう。 海文堂閉店とネット書店について。以下、ご一読されたし。 ★★★ 海文堂書店の閉店とネット書店の台頭について ■ ウチが神戸にいた時分から長らくお世話になってきた海文堂書店が、創業99年にして、この9月末で店を畳むことになった。売るのに時間のかかる人文社会科学書を粘り強く売ってくれる今や
島田さんは『本屋図鑑』にその本屋をこう書いた。《――1995年以来続く「阪神・淡路大震災を語り継ぐ棚」は、見る者の足を止める。東日本大震災が起こった2011年、この書店が、「激励のことばより本を売る!」というフレーズとともに、仙台で被災した出版社「荒蝦夷」のフェアをいち早く開催したことは、この書店の性格をなによりも雄弁に語る。》――神戸・元町、海文堂書店。2013年9月末日閉店。島田さんは神戸に向かった。 最後に行く店 神戸の元町商店街に、海文堂書店という、素晴らしい本屋さんがある。 地元のお客さんたちが愛する町の普通の本屋さんであると同時に、店の奥へ進むと、このジャンルを担当している人は本が好きでたまらないのだろうな、というような棚が並ぶ本屋さん。そこで働く人たちの気質をあらわすように、人なつっこく、けれど、控えめに、おっ、と思わせる本をしっかりと並べている本屋さん。Kさんや、Hさんが、
科学・文化 『はだしのゲン』騒動のばからしさ 「一冊の本だけを読む人に気をつけよう」 --西洋の諺 騒動の実態とは 最近のメディアを見ると、ばかばかしさにうんざりすることが多い。小さな話を大騒ぎをして世の中を混乱させ、2週間後には忘れてしまう。2週間前の麻生氏の「ナチスに学べ」発言は予想通り沈静化して、私はうんざりした。今度はマンガ『はだしのゲン』の騒ぎだ。 中国新聞8月13日記事) 1・汐文社(東京)発行の『はだしのゲン愛蔵版』1〜10巻のうち、後半の6〜10巻の閲覧を、島根県松江市教育委員会が制限した。 2・市教委によると、昨年12月に小学校全35校、中学校全17校を対象に開いた校長会で、本棚に置かず倉庫に収める「閉架」とするよう口頭で求めた。作品を所有する各校は要請を受け入れ、閲覧を制限している。学校長の許可があれば、読めるそうだ。 3・制限の理由は、「子供たちに間違った歴
「無理題」に遊ぶ 授業をやっててここはおかしいな、あるいは大学入試古文問題を見て、これは変だなといったことを「無理題」と名付け、それを探ってやろうと思いました。 毎年恒例ですが、今年亡くなった人の紹介が中国新聞で一面をすべて使ってなされました。 朝の一時、老妻と、その一人一人について、知っている限り思い出話をしました。勿論同世代の人が多く、詳しくはまたということになってしまいましたが。 昼のテレビ『徹子の部屋』でも、追悼番組。すべて面白かったのですが、特に「谷村新司さん」の追憶に感動しました。 年少の時、太っていて、あまり友達がいなかったこと。そして、部屋にこもって本を読んでいたという話でしたが、そのきっかけが日本語の「漢字」の一字一字が意味を持つということに気付き面白がったという話です。 私は、もう10年以前になりますが、ロシア語通訳者故米原万里さんの文章をこのブログで引用したことがあり
はじめに 3月末をもって大学院の博士後期課程を退学することとなった。博論は結局未提出。これで俗にいう「博士課程単位取得満期退学」 [1] になる。 大学院はなかなか楽しかった。周りの人も良い人が多かったし、学術面以外にも色々と勉強になった。結構居心地の良い場所だった。そして、色んな人にお世話になった。この場所でもお礼申し上げたい。 学部4年、修士課程2年、博士後期課程4年 [2] と大学には10年も居続けた。理系 [3] の人は「博士後期課程に3年間ちゃんと在学して研究すれば、博士号なんて簡単に取れるでしょ」と思うかもしれない。私も実際にそのようなことを複数の人から言われた。だが、かなしいかな、日本の人文系の大学院はそういう場所ではない。実際、大学院に10年居続けてようやく博士号をとるという例も少なくない。私のいた専攻もそんなかんじで、標準年限内に博士号をとる人の方がむしろ珍しいという状況
▼原稿が溜まっているのですが,ちょっとだけ現実逃避(笑)いまイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の図書館に遊びにきています.遊びに…遊びに,かな(ぉぃ でも全米No.1の図書館学部とはどんなものでしょうか楽しみ. ▼先日,こんな論文を書きました. ▼「科学的合理性に著しく反する図書を図書館はどう取り扱っているのか:聞き取り調査を手がかりに」 http://lis.mslis.jp/article/LIS068085 ▼抜刷をお世話になったみなさんに送る直前までいったんだけど,カバーレター全部に同一の誤字が入っているのを発見して一気にやる気がなくなり,発送せずにアメリカ来ちゃった.あかんなあコレw 帰国したら抜刷撒きます@各位.とくにインフォーマントには撒きますが,それ以外のかたで欲しい人はメールかTwitterのDください,ただ残部がやべえ. ▼というのも,投稿先はオープンアクセスを許して
ネットで日本語を観察していると、「正しさ」を求めて知恵袋などで質問する人がいます*1。 「ラジオを『つける』というのはどう書くのが正しいの?」 「『分かる』『解る』『判る』はどう使い分けるのが正しいの?」 一方で、ネットではいろいろな「正しさ」の主張も目にします。「訊く」や「目をみはる」については、これまでここで扱いました。 「正しさ」の主張としてよくあるのは、「本来はこう書くのが正しいが、当用・常用漢字によってそれがゆがめられた」というものです。 ただ、そういう人が思う、ゆがめられる前の「正しい」日本語というのは、実は昔から「スタイル」のひとつにすぎないということが多いのです。 以前記事にした「訊く」はその典型ですが、今回は 失(な)くす*2 点(つ)く・点(つ)ける 保(も)つ の三つを取り上げます。 この三つに共通するのは、「これまで平仮名で書かれることが一般的だった」ということです
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21世紀ですし「履歴書は手書き」とかいい加減やめませんか 多摩大学で非常勤講師をやるにあたって、3年ぶりくらいに履歴書を書いています。 ぼくはこの手の書類作成が本気で嫌いで、もう憂鬱で仕方がありません。結局後回しにした挙げ句、いつも奥さんに泣きついて書いてもらってます。21世紀になったっていうのに、これ、なんとかならないものですかね。 時間とカネの無駄 まず、手書きの履歴書は、すさまじく時間とカネの無駄です。 ・コピペできないので、書く側に負担が掛かる(ぼくの場合、手書きはデジタル入力の10倍近い時間が掛かります) ・字が読みにくいことがある、誤字・脱字、整理しにくいなどの点で、読む側に負担が掛かる ・送付する手間、金銭的コストが掛かる ・書類を管理するコストが掛かる(倉庫、書架が必要) ・書類を検索するコストが掛かる(デジタルなら一瞬で検索できる) などのデメリットがあります。履歴書・エ
ー素人が歌舞伎で声を掛ける方法― 歌舞伎を好きな人なら誰でも一度は掛けて見たいなぁとおもうのが、あの「掛け声」ではないでしょうか? そこでこのサイトでは大向こうの「掛け声」について、いろいろ考えて見ることにしました あなたは人目のお客様です(since2002.9.8)
拙著『王朝文学の光芒』を語る――思ひ出とともに――(やさしめ解説、思ひ出写真有) 『王朝文学の光芒』(笠間書院) ※かなりやさしめに解説しました。思ひ出アルバム有。 第一篇 王朝和歌の広がり 第一章 一条朝の屏風歌 --『小右記』をめぐって-- 屏風歌(びょうぶうた)は私の卒業論文(昭和五十三年)です。主査(しゅさ)は井上宗雄先生でした。その当時は先行文献がほとんどなく、資料もまとまったものがありませんでした。そんなわけでここでは資料を中心に並べてあります。ズラズラしていて何だか最初は読みにくいね。そこら辺はとばしてください。ポイントは『小右記(おうき)』に書いてある彰子(しょうし)の入内(じゅだい)屏風歌についての記述を全面的に信じていいかな、そしてそこから急に屏風歌が変質したって本当かな?という所です。なんといっても『小右記』は日記。道長憎(にく)しのバイアスがかかってたんですね。 第
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