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ポリティカルコレクトに関するasakura-suguru-64214002のブックマーク (7)

  • ポリティカルコレクトネスの主目的は、多様性を守ること。

    Dai Tamesue 爲末大 @daijapan とても正しくて、完璧な人の言葉の端々に、何かダメな自分が裁かれているような居心地の悪さを感じてすっと距離をとってしまうことがある。多様性の質は誰もが素晴らしくなることではなく、ダメな自分も寛容に受け止められることだろうと思う。 2016-12-12 11:27:49 Dai Tamesue 爲末大 @daijapan その点において、ダメであった過去を持っている人のおおらかさや優しさというのは人を受け止めるので、やはり人生のどこかに傷を持つというのは大切なことなんだろうなと思う。 2016-12-12 11:28:40

    ポリティカルコレクトネスの主目的は、多様性を守ること。
  • アメリカ人、差別批判が怖くてうかつに口を開けず エスカレートする「ポリティカルコレクトネス」に四苦八苦 | JBpress (ジェイビープレス)

    カリフォルニア大学は、「バークレー校」や「ロサンゼルス校」など10大学の連合体として、学生23万8000人、教員19万人を抱える大所帯だ。2015年、その頂点に君臨するナポリターノ学長がすべての教員に向けて発した通達が、関係者を驚かせた。 それは、教員は次のような表現を口にしないよう求めるものだった。 「アメリカは機会の土地だ」(America is the land of opportunity.) これは勤勉に働けば報われるという意味の、アメリカ人が誇りにしてきた言葉だ。だが学長によれば、この言葉は「有色人種は怠け者で能力が低いから、より努力する必要があることを暗示」するものであり、人種差別につながるリスクがあるという。 一方で、さまざまな人種・民族の共存を意味する「アメリカは人種のるつぼ」(America is a melting pot)、「人類はひとつ」(There is onl

    アメリカ人、差別批判が怖くてうかつに口を開けず エスカレートする「ポリティカルコレクトネス」に四苦八苦 | JBpress (ジェイビープレス)
  • 偏見解消後進国・日本が、『ズートピア』のジュディとニックに学べること - wezzy|ウェジー

    心理学科の学生だった頃、「自分がどんな人間か見抜かれそうで怖い」といった反応をされることが不思議であった。心理学という学問の質は「自分も知らなかったもう一人の自分を発見する」という類のものではなく、「多くの人が真実であると確信して疑わないものは実は人間の精神機能によって歪められて認知されているにすぎない」ことを立証することにあるからだ。特に人に対してもつ印象はその時の状況、置かれた立場に大きく左右されやすく、わたしたちが他者の質を見抜くということは決してたやすいことではない。 例えばアメリカの心理学者ホーナーが1968年に行った実験がある。被験者たちに対して、試験の成績で一番を取ったのが男子医学部生である物語と女子医学部生である物語のいずれかを見せ、それぞれその医学部生がどんな人物なのかを質問する。すると、男子医学部生への否定的表現を行う被験者は9%であったのに対して女子医学部生に対す

    偏見解消後進国・日本が、『ズートピア』のジュディとニックに学べること - wezzy|ウェジー
  • ポリティカル・コレクトネスはシビュラシステムの夢を見るか - 頭の上にミカンをのせる

    ポリティカル・コレクトネスは手段である。目的ではない。 目的は「より豊かな人間観」「多様性がみとめられる社会」などであるべきだと考える。 少なくともポリティカル・コレクトネスそのものではない。 今現状のポリティカル・コレクトネスは、努力目標を定めるものであって、誰かを裁くための法やシステムではない。 それを勘違いしてる人が語るポリティカル・コレクトネスにはなんの魅力も感じない。 「唯一の正しい姿」へ表現を収斂させようとする方法論は往々にして表現の先細りを招くだけだと思うのです。男性と女性という多様性をより拡大すること、つまり「男性」とか「女性」といったフレームでは括りきれないほど多様な人間が存在するという現実を認識し、また主張することのほうがよりまっとうだ ポリティカル・コレクトネスは「特定のステレオタイプにマウンティングする」ための道具ではない。 己もまたステレオタイプの一つにすぎず、一

    ポリティカル・コレクトネスはシビュラシステムの夢を見るか - 頭の上にミカンをのせる
  • 「ネット右翼が増えたのはリベラル左翼のせい」という主張について - 擬似環境の向こう側

    ものすごく長いので先に結論。「ネット右翼が増えたのはリベラル左翼のせい」という主張を受け入れるのなら、「リベラル左翼」は西村眞悟氏を支持すべきである。 以下、題。 「ネット右翼が増えたのはリベラル左翼のせい」という主張をさいきんよく見かける。これをネット右翼自身が主張していたら「俺らがグレたのはよー、先公がわりーんだよ」みたいな責任転嫁丸出しの甘えた言説になるので、おそらくはネット右翼ではない人たちがこういう主張をしているのだろう。自身の政治的立場を説明するのに他人のせいにするというのは格好悪すぎる。 それはさておき、この主張を額面通りに受け入れた場合、いかなる理由付けになるのだろうか。ぼくのようなへなちょこリベラルにも反省する部分があるかもしれないので、とりあえずいくつかの可能性を考えてみる。 (1)学校教育への反発 この手の話でよく出てくるのが、学校で「リベラル左翼」思想を押しつけら

    「ネット右翼が増えたのはリベラル左翼のせい」という主張について - 擬似環境の向こう側
  • 萌えとポリティカルコレクトネス、或は、欲望の表象の問題 - messy|メッシー

    明日8月26日金曜日、21:00~、『ラジオアキバ通信』というインターネットラジオに、大田区議・荻野稔さんと共にゲスト出演します。テーマは、「萌えとポリティカルコレクトネス」です。「碧志摩メグ」問題に代表されるような、「萌え」表現へのバッシングなどについて、自由闊達に議論します。 「萌え」という言葉の定義自体が非常に曖昧で多様な意味合いを包摂する言葉ですが、「萌え」に対しての批判には、萌えを「男性オタクが女性キャラクターに対して抱く感情」「ヘテロジェンダー的な欲望」と限定的に解釈している意見が多くあるように思います。しかし、「萌え」という感情や、「萌え」という言葉が使われるにあたって、それは必ずしも「男性オタクが女性キャラクターに対して抱く感情」「ヘテロジェンダー的な欲望」に起因するものではありません。女性キャラクターに「萌え」る女性ファン、非異性愛的な欲望としての「萌え」など実に多様であ

    萌えとポリティカルコレクトネス、或は、欲望の表象の問題 - messy|メッシー
  • 萌えとポリティカルコレクトネス、或は、欲望の表象の問題(2016年8月26日)|BIGLOBEニュース

    明日8月26日金曜日、21:00〜、『ラジオアキバ通信』というインターネットラジオに、大田区議・荻野稔さんと共にゲスト出演します。テーマは、「萌えとポリティカルコレクトネス」です。「碧志摩メグ」問題に代表されるような、「萌え」表現へのバッシングなどについて、自由闊達に議論します。 「萌え」という言葉の定義自体が非常に曖昧で多様な意味合いを包摂する言葉ですが、「萌え」に対しての批判には、萌えを「男性オタクが女性キャラクターに対して抱く感情」「ヘテロジェンダー的な欲望」と限定的に解釈している意見が多くあるように思います。しかし、「萌え」という感情や、「萌え」という言葉が使われるにあたって、それは必ずしも「男性オタクが女性キャラクターに対して抱く感情」「ヘテロジェンダー的な欲望」に起因するものではありません。女性キャラクターに「萌え」る女性ファン、非異性愛的な欲望としての「萌え」など実に多様であ

    萌えとポリティカルコレクトネス、或は、欲望の表象の問題(2016年8月26日)|BIGLOBEニュース
    asakura-suguru-64214002
    asakura-suguru-64214002 2016/08/27
    フェミニストたちの運動や問題提起について重要な指摘もある一方で、多くの敵をつくり反発を招いてきた。どうしたら共感してもらい、社会的合意を作り出していくのかが重要だと思う。
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