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01 philosophyに関するatman56のブックマーク (69)

  • ゲティア問題(1): NO NAME

    ゲティア問題というやつは、その解決の難しさのせいか、近年論じられることはほとんどない。僕は最近あることで再びこの問題の重要性に気付いたのだが、それが発表できるのはもう少し先になりそうだ。 まあしかし、この発案者であるのゲティアは実にうらやましい哲学者である。なにしろゲティア問題を提唱したわずか3ページの論文以外に、彼の論文にお目にかかったことがないのだ。最近指導教官から聞いた話では、彼の就職のときに、大学側があまりにも彼の業績が少ないのを問題視したところ、哲学科の方からこの論文を参照した文献のリストが提出され、それが2百以上の膨大なものだったため、彼は面接に合格したという。当かどうか解らないが、とにかく面白い話である。 ゲティア反例と呼ばれる古典的知識分析への反例は、彼が提示した2つ以外に、それはもう沢山あって、それら全てが同一の仕方で反例を構成するわけではない。最近その辺りを調べ始めた

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 相対主義に関するよくある質問

    相対主義に関するよくある質問 黒木 玄 目次 相対主義は絶対主義の否定ではない 相対主義はどういう立場か 「相対主義」が嫌われる理由 『「知」の欺瞞』の相対主義批判 相対主義は絶対主義の否定ではない 質問: 科学に関する相対主義は「科学は絶対的に正しい」という考え方の否定であると言っている人がいるのですが、それは当ですか? 回答: いいえ、それは誤りです。おそらく、そう言っていた人は相対主義に関する議論を何も知らないのでしょう。相対主義は絶対主義の単なる否定という穏健な立場を意味しません。そもそも「科学は絶対的に正しい」なんて言っている馬鹿はどこにいるの? これに限らず、相対主義は単純に絶対主義の否定を意味しません。 「我々が信じている考え方はもしかしたら正しくないかもしれない、我々は悪しき決め付けをしているかもしれない、……」と考える慎重な態度は当然の前提であり、狂信者でもない限り、誰

  • 森岡正博「現代において哲学するとはどのようなことなのか」(Life Studies Homepage)

    |生命学ホームページ|掲示板|プロフィール|著書|エッセイ・論文|リンク|kinokopress.com|English | 日哲学会『哲学』50号 1999年4月 1-12頁 シンポジウム:時代の危機と精神的価値 現代において哲学するとはどのようなことなのか 森岡正博 (中編作品集・第3章:19~28頁)にて、縦書きで読みやすい画面閲覧用PDFファイルと、全集版の頁数付き印刷用PDFを入手することができます。 1 私がどうして大学生のときに哲学系のコースにすすんだのかについては、他の場所で詳しく書いたことがあるので(1)ここでは繰り返さないが、私は、私が生きている意味とはなにか、宇宙はどうしてこのような姿で存在しているのか、なぜ私が存在しているのであって存在していないのではないのか、などの問いに私自身満足のいく答えを出したかったのだ。当時、理科系のコースにいた私は、自然科学の授業に絶望

  • 情報倫理学研究資料集III目次

    『情報倫理学研究資料集 III』目次 注:以下のコンテンツは、2001年6月に刊行された『情報倫理学研究資料集III』の内容をほぼそのままpdf化したものです。また、引用等で用いる場合には頁数表記のあるペイパー版を参照して下さい。 扉 はしがき 目次 情報倫理の構築プロジェクトについて 平成12年度FINE研究組織 第一部 論文 安彦一恵「「ヴァーチャル/リアル」という問題――現代世界の問題として――」 土屋俊「日国著作権法第31条の倫理的位相」 伊藤和行「電子暗号の発展――秘匿と認証――」 伊勢田哲治「価値論的思考実験とVirtual Reality」 伊勢田哲治「道徳性に関する文化的淘汰モデルと情報倫理教育」 吉永敦征「アメリカの大学における計算機上の情報に対するプライバシーの保護」 小特集 医療情報における情報倫理 ウルバン・ヴィージング(澁谷理江、板井孝

  • 九鬼一人「目的的行為論──責任のインフレーションに抗して」

    研究発表トップへ 目的論、道具及び規範 ―責任のインフレーションに抗して― 九鬼 一人 Teleology, Tools and Norms ―Against the Inflation of Responsibilities― Kuki Kazuto 準目的論的説明 (一・一)目的志向的構造と準目的論的説明 アンスコムのテーゼ〈xがFすることによってGしたのであれば、「xがFしたこと」とも「xがGしたこと」とも記述可能な一つの行為が存在する〉を守りながら、例えば行為者が引き金を引くという出来事と、銃撃を構成する出来事を同一と見る立場がある。すなわち出来事の同一性を外延的基準によって決めるデイヴィドソン/アンスコム的な存在論が取られることがある。しかし私は出来事を全体論的に処理すべき場合もあるから、そうした反全体論的な出来事一元論は擁護しきれないと思う。 まず目的論的説明・準目的論的説明と

  • M.ヌスバウム「哲学と公共生活」(インタビュー) - スマイル・トレーニング・センター

    編集部の許可を得て、『αシノドス』vol.02に寄稿したマーサ・ヌスバウムのインタビュー記事「哲学と公共生活」(聞き手:ステリオス・ヴィルヴィダーキス)を転載します。訳者解説はこちらをご覧ください。『αシノドス』vol.2にヌスバウムの翻訳を寄稿しました - スマイル・トレーニング・センター ステリオス・ヴィルヴィダーキス: 哲学が、公共生活、教育、応用倫理学などでもっとアクティブな役割を演じる可能性について、どうお考えですか? マーサ・ヌスバウム: 多くの可能性があります。国によって当に様々ですね。合衆国というのは、ある点では、哲学が公的な役割を演じるのにもっとも困難な場所です。なぜかというと、メディアが非常に扇情的で反知性的だからです。わたしがヨーロッパの国に行くと、大半が、合衆国よりもずっと新聞に記事を出しやすいんですね。『ニューヨーク・タイムズ』のオプエド欄*1はひどく程度が低く

  • 門脇俊介『現代哲学の戦略―反自然主義のもう一つ別の可能性』 - 日曜社会学 > de√blog

    積んであったものを読む夕。 デューイとハイデガー それぞれの技術論を、両者の存在論まで立ち返って比較した最終論文が面白いです。 かの有名な──というか悪名高い(?)──「危機の存するところ、自ずとまた...」というアレの、たいへん穏当な敷衍としても読める。 問題は、デューイとの対比ポイントになっている「コンテクストの偶然性」なるものの含意で、これにまるごと賛成してよいのかどうか 俄かには判断できません。要再考。 それはそれとして──このに限らず哲学のを読んでいてしばしば──思うのは、「自然主義か反自然主義か」って、そんなに肩肘張って立場を争わねばならんもんなのか、ということですな。 とかいってる人は哲学とは無縁、ということなんでしょうけど。(困りませんが。) 現代哲学の戦略―反自然主義のもう一つの別の可能性 作者: 門脇俊介出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2007/10/18メ

    門脇俊介『現代哲学の戦略―反自然主義のもう一つ別の可能性』 - 日曜社会学 > de√blog
    atman56
    atman56 2009/07/04
    ハイデガーならハバーマスの応答に対して次のように応じるだろう。道具的合理性をどのように拡張し複雑化したとしても、道具的合理性が それ単独で生活世界を規制することは不可能である。
  • http://www.journalarchive.jst.go.jp/japanese/jnltop_ja.php?cdjournal=jpssj1968

  • 47 And to the painted banquet bids my heart; : ページからページへ

    47 And to the painted banquet bids my heart; カテゴリ: 勉強記録 日分。 ・Michel Friedman, "The Aufbau and the rejection of metaphysics" in The Cambridge Companion to Carnap, Michael Friedman and Richard Creath (eds.), Cambridge University Press, 2007 日は1節まで。形而上学批判をするとき、カルナップといえば形而上学的言明は検証原理によって真偽が問えないから無意味である、とこういう調子が有名だろう。しかしFriedmanによればAufbauの時点ではこうした批判の仕方をしていないらしい。それでも形而上学に批判的だった態度は一貫してるそうだ。Aufbauでカルナップが

  • 三浦俊彦『虚構世界の存在論』 - logical cypher scape2

    分析哲学のアプローチによる虚構世界論。 と言われたところで、ほとんどの人には何のことかさっぱり分からないだろうが、問題設定自体はそれほど難しくない。 哲学には分析哲学と呼ばれるジャンルがある。 このジャンルは、もともと言語哲学というところから端を発しており、文が何を意味しているのか(真か偽か)を明らかにすることを目的の一つとしている。 そんな分析哲学、言語哲学にとって、厄介な文がある。 「シャーロック・ホームズの背中にはホクロがある。」 多分、コナン・ドイルのホームズをどれだけ読んだところで、この文が真か偽か分からないだろう ところで、この文は以下の文とは異なることに注意しよう。 「坂龍馬の背中にはホクロがある。」 やっぱり坂龍馬の伝記をどれだけ読んだところで、多分真か偽かは分からない。 しかし、坂龍馬に関していえば、彼の背中にはホクロがあったかなかったかどちらかである、ということは

    三浦俊彦『虚構世界の存在論』 - logical cypher scape2
  • 柏端達也「現代哲学の見取り図」[pdf] - 勁草書房

      <ヨーロッパ>                    <イギリス>                        <アメリカ>                 <オーストラレーシア>                                                                                                                                                                           論理実証主義  カルナップ , R.  シュリック , M.  ノイラート , O.  ライヘンバッハ , H. マッハ , E.            フレーゲ , G. プラグマティズム第一世代  パース , C.S.  ジェームズ , W.  デューイ , J.

  • left over junk

  • evolutionaly sociology(伊勢田哲治「社会学理論の進化的視点からの拡充をめぐって」)

    社会学理論の進化的視点からの拡充をめぐって 伊勢田哲治(名古屋大学) 提題要旨 長谷川氏や内井氏の発表にも明らかなように、近年の動物行動学の発展は、 人間の社会について、進化論生物学の知見がこれまで考えられていた以上に 適用可能である可能性を示唆しはじめている。発表では、今後社会科学、 とりわけ社会学の理論や方法がこの動きによってどう変わって行きうるかを 考えてみたい。ただし、このような「可能性」を問題とする場合気をつけなく てはいけないのは、社会科学者たち自身の問題関心を無視して、「社会科学は こうあるべきだ」と勝手なプログラムをおしつけてしまわないようにすることで ある。 近年社会学の理論は非常な多様化を示しており、相互に両立不能な理論を同じ 社会学者が場面によって使いわけることもあるようである。この多様化を社会学 が科学として成熟できない理由として挙げる社会学者もいれば、社会学者の

  • ギルバート・ライル『心の概念』 - logical cypher scape2

    言うなれば、哲学に対するちゃぶ台返し、それが日常言語分析。 一冊まるごと、デカルト的心身二元論に対する批判。 世界は、「物的世界」と「心的世界」の2つに分かれていて、様々な「心的」と呼ばれる現象は「心的世界」で起こっている出来事である、という考え方を徹底的に否定していく。 「心」(やそれに類する様々な概念)というのが名詞になっているもんだから、哲学者が勝手に誤解して、その名詞に対応する事物や出来事があると思っちゃったんじゃないか。あるいは、哲学者が勝手に作っちゃっただけなんじゃないか。 そういうことを、まさに日常言語における用法を見ていくことで指摘していく*1。 で、有名なのが「カテゴリーエラー」 例えば、大学の図書館や事務室や講義棟を見て回った人が、「ところで大学はどこにあるのですか」と尋ねたとする。この人は、図書館などの建物と同じように、大学という建物があると思っているが、これはカテゴ

    ギルバート・ライル『心の概念』 - logical cypher scape2
  • 数学屋のメガネ:心理学や言語学は「科学」になりうるか - livedoor Blog(ブログ)

    ソシュールは言語学を科学として確立したといわれている。それまでの事実の寄せ集めを解釈していただけの言語理論を、科学という理論体系として打ち立てたと評価されているのだろう。この解釈学から科学への飛躍は、その研究対象として「ラング」というものを提出したことに求められている。「ラング」の発見こそが言語学という科学を生む基になったというわけだ。 「科学」という言葉の概念は、人によってかなり違うところがあるだろう。僕は、仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんからその概念を学んだ。その概念は、「科学」と科学でないものを明確に区別し、科学の有効性をはっきりと分からせてくれるものとして、僕は板倉さんが語る以外の概念で「科学」を捉えることが出来なくなってしまった感じがする。そこで、板倉さん的な概念でソシュールが語る言語学が果たして科学になるものかというのを考えてみたいと思う。 板倉さんが考える「科学」というのは

  • 様相論理 - Wikipedia

    様相論理(ようそうろんり、英: modal logic)は、いわゆる古典論理の対象でない、様相(modal)と呼ばれる「〜は必然的に真」や「〜は可能である」といった必然性や可能性などを扱う論理である(様相論理は、部分の真理値からは全体の真理値が決定されない内包論理の一種と見ることができる)。 その歴史は古くアリストテレスまで遡ることができる[1]:138が、形式的な扱いは数理論理学以降、非古典論理としてである。 様相論理では一般に、標準的な論理体系に「~は必然的である」ことを意味する必然性演算子と、「~は可能である」ことを意味する可能性演算子のふたつの演算子が追加される。 様相論理は真理論的(形而上学的、論理的)様相の文脈で語られることが最も多い。この様相においては「~は必然的である」、「~は可能である」といった言明が扱われるが、これは認識論的様相と混同されやすい。 例えば「雪男は存在して

  • ダニエル・デネット『自由は進化する』 - logical cypher scape2

    非常に面白かった。 基的な方向性としては、僕はデネットとそれほど違わないので「マジかよ」みたいな衝撃というか新しい発見はないけれど、勉強になった部分はかなりあった。 何か長くなったので、目次。 内容と関係ない感想 前提 このは哲学のか科学のか 進化論について 内容 決定論と因果律は異なる(両立主義) 視点位置の変更ないし志向システムとして捉えること 延長のない実体を想定しないこと ゲーム理論と感情 スキナー型生物、ポパー型生物、グレゴリー型生物とミーム 自己認識 政治とか社会設計とか で、結局自由とは何か、山形浩生が一言で答える 哲学者のはまりがちな罠 内容と関係ない感想 勉強になった部分は、後で書くので、最初に内容とは関係のない感想を。 まず文体。このことに関しては、瀬名秀明に同意 翻訳は山形浩生。この訳者は(小説だとふつうなのに)なぜかノンフィクションだとタメ口で訳すクセがあり

    ダニエル・デネット『自由は進化する』 - logical cypher scape2
  • 分析哲学を理解するには意外と訓練がいる - まとまり日記

    科学や不平等について書かれた某の訳文についての議論を見た(訳を批判するのが主題ではないので、訳書にはリンクしません)。そこでの指摘を見る限り、訳の問題には、予備校でやるような英文読解の問題もあったが、哲学のカルチャーや術語の重みがうまく理解されていないからくるものもあったようだ。 これは、哲学の専門家でない人が哲学のを訳すときによく出てくる問題で(上のを訳した方は心理学者のようだ)、いくつかの例が思い浮かぶ。 マイヤーので、essentialism(質主義)が「実在論」と訳されたことがあった(マイヤーは個々の種に関しては質主義に反対するが、種カテゴリーについては実在論者なので、このように訳すとマイヤーの主張を完全に取り違えてしまうおそれがある)し、 またマイヤーの別の訳書では、scientific realism(科学的実在論)が「科学的現実主義」と訳されたこともある(当該の

    分析哲学を理解するには意外と訓練がいる - まとまり日記
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    2008-04-05 optical_frog 2008-04-05 通りすがり 2009-02-11 optical_frog 2009-02-11 @minorimironim 2009-02-11 @minorimironim 2012-06-02 optical_frog 2012-06-02 toohuudoo 2009-02-11 optical_frog 2009-02-11 dh 2012-12-31 optical_frog 2012-12-31 ponchi 2012-12-31 optical_frog