鹿児島県本土から南へ約380キロ。周囲50キロ足らずの喜界島で、多数の遺跡から貴重な発見が相次いでいる。中でも12世紀ごろ、砂鉄から鉄を作る製鉄炉跡が沖縄など南西諸島で初めて見つかったのは歴史的な発見で、大きな衝撃が広がった。琉球弧と呼ばれる九州から台湾まで約1200キロの弧状に連なる島嶼(しょ)群で古代から中世にかけ極めて重要な役割を果たしたと見られ、喜界島に注目が集まっている。 喜界島には古
自民党の「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」が慰安婦問題をめぐる誤った認識を正すためにまとめた提言の最終案の要旨は次の通り。 《総論》 かねて事実関係に基づかない報道などで、戦時中の慰安婦問題などについて日本の名誉と信頼が大きく損なわれてきた。長期にわたり(慰安婦の強制連行があったとする)いわゆる「吉田証言」の十分な検証もせず記事を捏造(ねつぞう)し続け、国際社会に誤った認識を植え付けた朝日新聞の責任は大きい。 われわれは、将来の子供たちのためにも早急に日本人と日本の名誉と信頼を回復する必要がある。特命委として(1)日本は戦後一貫した平和国家で、人権を重視する国家だとの実績を示す(2)客観的な事実に基づき慰安婦問題をめぐる誤りを正す(3)道義国家・文化国家として信頼される国を目指す-ことを提言する。
「歌はかけがえのない喜び」 岡本知高(高知県宿毛市出身)CDデビュー20周年 ベストアルバム発売 3月に宿毛市、高知市で公演
共同通信の取材に答える翻訳者の藤田裕行氏=7日、東京都千代田区(了) ヘンリー・ストークス氏の著書に無断で加筆した翻訳者の 藤田裕行 (ふじた・ひろゆき) 氏は、南京大虐殺や従軍慰安婦問題などの「ゆがめられた歴史を正す」ことを目的とする保守派団体「史実を世界に発信する会」の中心メンバーだ。 藤田氏らは、南京大虐殺や従軍慰安婦問題は「特定アジア諸国による悪意ある反日宣伝」で、日本の国益が損なわれていると主張。英文のニュースレターをウェブ上などで発信している。藤田氏によると、同書には同会代表の 加瀬英明 (かせ・ひであき) 氏も深く関与した。 藤田氏は、自分の著作でストークス氏の主張を紹介するのではなく、あえてストークス氏の著作という体裁をとった理由を「外国特派員がこういう内容について話をしたら面白いと思った」と説明。「私が書いたら『あれは右翼だ』と言われます」と語った。 加瀬氏は、1993年
ktgohan @ktgohan 商船三井船舶差し押さえ 中国 - Y!ニュース http://t.co/vSmqYlmd6v うおおおおおおこの事件ついにここまで来たのか! これは…また…戦時徴用船舶史の、もうひとつの地獄の釜のフタが開くで… 2014-04-20 19:24:18 ktgohan @ktgohan 商船三井船舶差し押さえ事件:1936年に当時の大同海運(現在の商船三井)に貨物船を貸し出した中国の船会社があったが、37年の第二次上海事変の勃発に伴い38年に返却されるはずだったその船を大同海運が(軍の指導の下)返却せずそのまま軍の徴用船とされ占有した事件が原因。 2014-04-20 19:35:30 ktgohan @ktgohan …少なくとも中国側はそう解釈している。しかも途中から傭船料も踏み倒したという主張であり(実際その通りなのだろう)、おまけに2隻の貨物船は移転
ここに、名簿がある。「日人惨殺華工之調査」。関東大震災直後、被災地で虐殺された中国人について、当時、東大農学部で学んでいた王兆澄らが調査し、まとめたものだ。日本人が混乱に乗じて虐殺したのは、朝鮮人だけではなかった。それを示す第一級の史料は、外務省外交史料館(東京都港区)でひっそりと公開されている。だが名簿の存在はおろか、中国人虐殺自体について知る人も少ない。政府が負の歴史に目をつむる傾向にある中、研究者も逆風にさらされている。 名簿には、被害者の氏名、年齢、原籍、被災前住所などとともに被害の日時、場所、加害者、凶器、被害状況などが書かれている。死者には「死」、受傷者については「頭上四刀右腰一刀」といった詳しい状況も記されている。 日時は震災直後の9月2日や3日が多く、被害場所としては「大島町」を中心とした東京都内のほか、「神奈川縣」という記述も散見される。中国、特に地理的に日本と近い温
その計画を当初から海軍に秘匿して、まったく陸軍だけの手で作り上げ(ようとし)た、 陸軍潜水艦、まるゆ。 まるゆというそのかわいい響きにより一層涙をそそられるのですが、 正式?には、本日画像のように丸の中に「ゆ」の字が入るのです。 マル秘記号と同じですね。 (ユニコードの出し方がわかりませんでした)orz 一部海軍の高官に対して公開実験という形でお披露目をしたものの、 世間的には全てが鉄のカーテンの中。 というか、あまりにごく一部の部門を動員して作られたので、その存在を知る者は 一般は勿論、海軍にも皆無と言っていいほどいませんでした。 苦難の末計画立ち上げからあっという間に完成、 いつの間にかその姿を現した陸軍潜水艦。 その後も徹底した防諜網を張ったため、その航行中、 その存在を知らない各方面から、様々な扱いをされることになりました。 まるゆは昭和19年7月、マニラ方面に 23日の予定のとこ
YOUTUBE映像で保守的発言*1をくりかえし、日本の一部で人気を集めている米国人「テキサス親父」が、尋問調書の真偽をたしかめるため米国立公文書館へ問いあわせたという。 以前より慰安婦問題に関して様々な事を調べているテキサス親父が最近発見したネット上に上がっている1944年に報告された「尋問調書」に注目した。しかし、ネット上にある物の中には、捏造された物が多く存在し、その米軍の報告書とされている物が本物であるかという疑問を持った。 そこで、以前も竹島問題で「マッカーサー電文」が本物であるかどうかの確認を依頼したワシントンDC郊外にある「国立公文書館」へ問い合わせた。 この書類はこちらからご覧頂けます。→ http://texas-daddy.com/comfortwomen.htm そもそも最近にインターネットで見つけたという時点で、調べが遅れているといわざるをえない。この尋問調書
民団は1946年に創立され、在日同胞の法的地位確立と民生安定、文化向上、国際親善と祖国の発展、平和統一の実現を方針に掲げ、在日同胞が民族のプライドを持って堂々と生きていくために、数多くの運動・事業を総力で展開しています。
「東寺百合文書」の一部、足利尊氏が東寺に土地を与えた際の文書=府提供 世界の貴重な文書などを登録するユネスコの世界記憶遺産に、府所有の国宝「東寺百合文書(ひゃくごうもんじょ)」が推薦されることが21日決まり、所蔵する府立総合資料館(左京区)は「世界中に文書が知れ渡ることになり、非常にうれしい」と喜んだ。文書の館内展示やネット上への公開を予定している。 東寺百合文書は、世界遺産・東寺に伝えられた文書。内容は奈良時代から江戸時代初めにわたり、織田信長が東寺に陣を置いた際の史料や後醍醐天皇、足利尊氏に関する文書も含まれている。 同文書は一時散逸の危機にあり、府が1967年に1億3千万円で購入した。現在は府立総合資料館が保管。全文書が485巻の写真帳に収録されており、館内で閲覧できる(今月末までは臨時閉館)。 同館は今年、全文書のデジタル化を進め、年内にもホームページ上で公開する予定だ。伊
安倍晋三首相は8日の参院予算委員会で、第2次世界大戦の「侵略」の定義について「学問的なフィールド(分野)でさまざまな議論がある。政治家として立ち入ることはしない」と述べた。首相は4月23日の参院予算委でも「定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかで違う」と答えており、侵略の定義づけはしない意向を改めて強調した。 日本の過去の戦争については「アジア諸国に多大な損害と苦痛を与えたことは過去の内閣と同じ認識だ」と重ねて表明した。民主党の大河原雅子氏への答弁。 一方、菅義偉官房長官は同日の記者会見で、韓国の朴槿恵大統領が米韓首脳会談で、日本は正しい歴史認識を持たなければならないと訴えたことに関し「歴史認識についてはわが国の立場を、外交ルートを通じて理解してもらうことに尽きる」と強調した。【政論】右傾化のレッテル貼り 韓国こそ「正しい歴史認識」を
ハリファックス大爆発(ハリファックスだいばくはつ、英語: Halifax Explosion)は、1917年12月6日朝、カナダのノバスコシア州ハリファックスで発生した大災害である。アッパー・ハリファックス港(英語版)とベッドフォード湾(英語版)を繋ぐ狭い水路で、ノルウェー船「イモ(Imo)」が、高性能爆薬を積んだフランスの貨物船「モンブラン(Mont-Blanc)」と衝突し、モンブランで発生した火災が積荷に燃え移り、ハリファックスのリッチモンド地区(英語版)を破壊する大爆発を起こした。爆風や破片、火災、建物の倒壊により約2,000人が死亡したほか、推定9,000人が負傷した[1]。この爆発は、核兵器開発以前に発生した人によって引き起こされた最大の爆発であり[2]、おおよそTNT換算で2.9キロトンに等しいエネルギーを放出した[3]。 モンブランはフランス政府の依頼で、ニューヨークからハリ
2013年02月15日00:51 戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった 拙著『戦前の少年犯罪』の参考文献にも使った江森一郎『体罰の社会史』なんかを基に、欧米のように殴ったりせず子どもをのびのび育てる日本の江戸時代からの伝統をまとめた「日本の体罰の前史」というページがあるんですが、途中で戦前には体罰がなかったとかあったとかいう妙な話になっています。 我が国の歴史の基本的な処がこうも混乱したままで、正しい日本像が日本人に共有されていない状態では困りますので、整理しておきます。 戦前にも体罰はありましたが、戦前は体罰が絶対悪で、明確に「犯罪」として処理されていたのです。 なんか、戦中は違うと読み取る方が多いみたいなので、念のため書き加えておきますが、戦時中も体罰が絶対悪で、明確に「犯罪」として処理されていたのです。 変わったのは戦後になってからです。 戦前の新聞を読んでいる方なら、教師が生
shinshinohara @ShinShinohara 「農家はいつも虐げられてきた」このフレーズは必ずしも正しくない。明治維新以後に農民が特に苦しい生活を強いられ、このときの体験が江戸時代にまでさかのぼって「江戸時代でも農家は貧しく搾取されていたに違いない」というイメージが定着した可能性がある。 2013-01-24 12:17:55 shinshinohara @ShinShinohara 江戸時代には五公五民など、収穫の半分も租税で持って行かれているのだから重税にあえいでいる、というイメージがある。しかし、このときの計算根拠は江戸初期の収穫量なので、江戸時代に農業技術が発達し収量が上がった結果、実際の租税負担の割合は、実態としてずっと小さかったと言われている。 2013-01-24 12:20:18 shinshinohara @ShinShinohara しかし、明治維新で農家の
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く