Published 2023/10/27 09:50 (JST) Updated 2023/10/27 10:32 (JST)
![クレージーキャッツ犬塚弘さん死去、94歳 | 共同通信](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ca4e754ff507e65de054612bde3b9534b82ea0ba/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnordot-res.cloudinary.com%2Fc_limit%2Cw_200%2Ch_200%2Cf_auto%2Cq_auto%3Aeco%2Fch%2Funits%2F39166665832988672%2Fprofile_7.png)
町山智浩さん、春日太一さん、吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。亡くなった松方弘樹さんについて、春日さん、吉田さんが生前、松方さんに行ったインタビューのエピソードなどを交えながらお話されていました。 (赤江珠緒)この時間は映画評論家 町山智浩さんの『アメリカ流れ者』。今日は帰国中の町山さんにスタジオにお越しいただいています。町山さん、今回の帰国の理由というのは? (町山智浩)アカデミー賞のノミネーションが日本時間で今日の夜、発表されるんですね。それの解説なんですよ。今日の夜10時からWOWOWの無料放送、アカデミー賞のノミネーション発表中継に出ますので、よろしくお願いします。だからこんな格好をしています。 本日夜10時からWOWOW無料放送「アカデミー賞ノミネート発表中継」に出演します。注目は10部門以上ノミネートされるだろう『ラ・ラ・ランド』と、『デッドプール』が脚本賞にノミネ
朝からひたすら原稿を書く。「108つの煩悩」コラムの続き。まだまだ終わらない。本数が多いこともあるのだが、アタマの中にストックしてあることをダーッと吐き出すのではなく、ひとつひとつ資料に当たって書かなければならないのでそのぶん時間がかかる。夜の10時少し前、『報道ステーション』の始まる時間に合わせ、例のゆで玉子器で夜食のゆで玉子を作って食べようとした。確か今日の昼間、「STAP細胞」に関する理化学研究所の記者会見があったはずだ。それを見ながら、と思ったのだ。でもトップニュースは違った。俳優の宇津井健さんが亡くなったという訃報だった。驚いた。確かに82才だからお年ではあるのだが、あんな頑丈そうな人が死んでしまうのかと思った。『ダウンタウンDX』などに出られても、その年齢には似つかわしくない肉体の鍛え方、マッチョぶりがネタにされていた。 宇津井さんと言えば1965年から放映が開始されたテレビド
アニメ「サザエさん」の波平役や「ゲゲゲの鬼太郎」の子泣き爺役、「YAWARA!」の猪熊滋悟郎役などで知られる声優の永井一郎さんが亡くなったことがわかった。82歳だった。各局の夕方のニュース番組が報じている。 報道によると、永井さんは1月26日午後、広島での仕事を終え、食事後に市内のホテルに宿泊。しかし、きょうになって、チェックアウトの時間を過ぎても部屋から出て来ず、従業員が様子を見に行ったところ、浴槽で倒れていたという。 永井さんは1931年、大阪府出身。京都大学在籍中に演劇をはじめ、卒業後は東京で大手広告代理店に勤務しながら俳優の道を志し、その後、舞台俳優として活動したが、次第に声優の仕事が増え、メインになった。「サザエさん」では1969年の放送開始以来、波平の声を担当していた。 代表作は前述のほか、「機動戦士ガンダム」のナレーション、「宇宙戦艦ヤマト」佐渡酒造役、「じゃりん子チエ」の小
俳優で声優の檀臣幸さんが10日、再発性大動脈乖離のため亡くなった。50歳だった。所属する劇団青年座の公式サイトを通じて発表された。 発表によると檀さんは、10月10日午後11時49分、再発性大動脈乖離のため自宅で息を引き取ったという。通夜は14日の午後6時、葬儀・告別式は15日の午前11時に東京都新宿区の最勝寺で営まれる。喪主は妻で女優の魏涼子。 檀さんは大阪府出身で、青年座研究所11期卒。舞台での活動に加え、アニメ「機動戦士Vガンダム」のクロノクル・アシャー役や『攻殻機動隊ARISE border:1 Ghost Pain』のイシカワ役、また映画『バットマン ビギンズ』のクリスチャン・ベイルの吹き替えなど、声優としても活躍。2009年の「仮面ライダーW」ではウェザー・ドーパントこと井坂深紅郎を演じ、特撮ファンにも広くその名を知られた。(西村重人) ADVERTISEMENT
声優の内海さん亡くなったんだなぁ‥私の好きな声優ベスト5に入る方だったし、アウトランダーのゲオバルディは「何が何でも内海さん!」と言って、唯一私が希望したキャスティングでした。 豪放磊落で、ちょっとスケベな男が似合う方でした。ライのカセットブックでは骸羅もやって貰いました。テレビ版でも引き続き当てて貰うはずだったんだけど、予算が足りないとか言われてダメになっちゃいました。ムチャクチャ残念。 ああ、もうあの低い声が聞こえなくなると思うとねぇ‥マイベスト5の声優さんはみんな高齢なんで、今後も悲報が入りそうでドキドキ。
会見に応じた佐藤浩市(C)文化通信 [映画.com ニュース] 4月14日死去した名優・三國連太郎さんの息子で俳優・佐藤浩市が15日、都内で主演ドラマの制作発表後に会見した。「死に目には立ち会えなかった」とうつむき、「オヤジの死に顔を見て悲しいと思わなかった。この数年で一番凛と見えた。三國の威厳があった。不思議で感慨深く涙は出なかった」と話した。 1年ほど入院していたという。「90歳だからいつ知らせがきてもいいと覚悟していた」。おとといの夜から様態が悪化し、きのう14日午前9時18分に急性心不全で死去したと報告した。「苦しむことなく他界したと聞いています」。 「父が言っていた。死んでも誰にも知らせるな、密葬で、戒名もいらない、骨は散骨してくれ、三國のまま逝くんだと。あの人は役者・三國のままで生きたんだなと思います」。 1996年公開の映画「美味しんぼ」の親子役や、近年ではおととしの映画「大
11日に亡くなった西沢利明さん 俳優の西沢利明さんが11日、肺がんのため都内の病院で亡くなっていたことがわかった。享年77歳。所属するアイティ企画がFAXで発表した。 『宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』初日に元気な姿を見せていた西沢利明さんフォトギャラリー 同事務所によると西沢さんは、1年半ほど前から膀胱がんを患っていたというが、本人の希望により発表はされていなかった。そんな中、先月28日に胸の痛みを訴え入院。右肺の気胸と診断され、左肺にがんの転移が発覚、担当医と治療法を相談していた矢先に容態が悪化し、4月11日午前3時8分に息を引き取ったという。 ADVERTISEMENT 西沢さんは1936年1月20日生まれの北海道出身。学習院大学を中退し俳優座養成所に入り、文学座や劇団雲、劇団昴において舞台を中心に活躍した。また時代劇や刑事ドラマなど、数多くの映画やドラマにも出演。悪役を担う機
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今日になるまで、女優の坂口良子さんが亡くなったというのを知らなかった。そう言えば昨夜だったか、取材から戻って何気なくテレビをつけたら西田敏行主演の『池中玄太80キロ』の映像が流れていて、「何故だろう?」と思っていたのだ。この作品は1980年の放映だそうだから、僕は既に大学生になって実家を出ていたので観ていない。当時の一人暮らしの学生にとって電話やテレビは贅沢品でとても買えなかったし、大学に通うようになれば、それなりに忙しいこともたくさんあったからだ。だから僕らの世代にとっての坂口良子と言えば、『前略おふくろ様』の「かすみちゃん」である。こちらは1975年に始まり、好評につきシーズン2が作られた。Wikipediaによれば第1シリーズが「1975年10月17日〜1976年4月9日」、2が「1976年10月15日 - 1977年4月1日」。ほぼちょうど丸々、僕の高校の3年間に重なる。 『太陽に
2日に41歳の若さで死去した流通ジャーナリスト金子哲雄さんの通夜が4日、東京・港区の心光院で営まれた。金子さんは生前から自分の通夜や葬儀・告別式、墓の準備を進めていた。この日は参列者に金子さんが用意していた手紙が配られた。以下、手紙全文 このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席たまわり、ありがとうございました。今回、41歳で人生における早期リタイア制度を利用させていただいたことに対し、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事などにて、お世話になっている関係者のみなさまに、ご迷惑おかけしましたこと、心よりおわび申し上げます。申し訳ございません。 もちろん、早期リタイアしたからといって、ゆっくりと休むつもりは毛頭ございません!第二の現場では、全国どこでも、すぐに行くことができる「魔法のドア」があるとうかがっております。そこで、札幌、東京、名古屋、大阪、松山、福岡など、お世話になったみなさ
1936年(昭和11年)、東京に生まれた落語家の立川談志が2011年11月21日、息を引き取った。戒名は「立川雲黒斎家元勝手居士」(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)。生前、彼が決めていたものである。また、「俺が死んだら、新聞には”談志が死んだ”と書いてくれ」と彼は言っていた。死んでなお、洒落を貫く姿勢はさすがとしか言いようがない。本記事も、そんな彼への敬意と哀悼の意を込めて”談志が死んだ”をタイトルにさせてもらった。 そんな立川談志を語る上で欠かせないのは、「古典落語」「笑点」「参議院議員」というキーワードだろう。 1952年、高校を中退した談志は5代目柳家小さんに入門。柳家小よしと名乗り、落語家人生をスタートさせる。1954年には二つ目に昇進し、柳家小ゑんに改名した談志は、このころから寄席のほかに日劇ミュージックホールなどにも出演、ジーパン姿で漫談を披露する。その後、後輩であり最
談志さん死去 仲間らも惜しむ 11月23日 19時17分 5代目柳家小さんのもとで、談志さんの弟弟子だった、落語協会会長の柳家小三治さんは、「以前から本人はがんを患っていると周りに言ってきたので、とうとうこのときが来たかという思いです。彼はあまりにも個性が強く、落語協会を飛び出して、わがまま勝手、好き放題にやってきて、自分のやり方以外は認めないようなところがあった。しかし、はなし家としては、私がこれまで出会った中でも群を抜いており、天才だったと思う。もし、今ことばをかけるとするならば、『よく生きたいように生きたね』と言いたい」と話しました。 長く親交があった橘家圓蔵さんは、「とにかくびっくりして、今も信じられない。半月くらい前に会って、『よっ』と、いつもどおりあいさつを交わしたのが最後だった。いちばん世話になった人で、とにかく悲しくて涙が止まらない」と話しています。 民放の演芸番組で共演し
北朝鮮の金正恩総書記の妹、与正氏は15日夜、国営メディアを通じ談話を発表し、日本が政治的決断を下せば「首相が平壌を訪問する日が来る可能性もある」との見解を示しました。 談話では、岸田総理大臣が国会で日朝関係について「大胆に現状を変えていかなければならない必要性を強く感じる」などと答弁したことについて、「肯定的なものと評価されないはずがない」と受け止めていることを明らかにしました。 その上で、「関係改善を開く政治的決断を下せば、両国はいくらでも新しい未来を共に開いていくことができる」との見解を示しました。 ただ、「すでに解決された拉致問題を両国関係の展望の障害物として置かなければ、首相が平壌を訪問する日も来るだろう」としていて、日本が重視する拉致問題については解決済みだとする姿勢を改めて示しています。 与正氏はこうした談話の内容を「個人的な見解」としています。
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