1936年(昭和11年)、東京に生まれた落語家の立川談志が2011年11月21日、息を引き取った。戒名は「立川雲黒斎家元勝手居士」(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)。生前、彼が決めていたものである。また、「俺が死んだら、新聞には”談志が死んだ”と書いてくれ」と彼は言っていた。死んでなお、洒落を貫く姿勢はさすがとしか言いようがない。本記事も、そんな彼への敬意と哀悼の意を込めて”談志が死んだ”をタイトルにさせてもらった。 そんな立川談志を語る上で欠かせないのは、「古典落語」「笑点」「参議院議員」というキーワードだろう。 1952年、高校を中退した談志は5代目柳家小さんに入門。柳家小よしと名乗り、落語家人生をスタートさせる。1954年には二つ目に昇進し、柳家小ゑんに改名した談志は、このころから寄席のほかに日劇ミュージックホールなどにも出演、ジーパン姿で漫談を披露する。その後、後輩であり最
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