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  • 僕とうみのスローライフ | ブログ運営のためのブログ運営

    そろそろ激怒している人も増えてきたので、重ねてわたしが怒り狂うのも蛇足であろうが、どうしてもこの手の保護動画は「当にその経緯で保護したのか」という疑問がつきまとう。タイピーとかネコニチみたいな、人気の保護チャンネルでも、野良がいるのだから、どこかで捕まえたのだろうけど、当にそういう経緯で保護したのかな、と首をひねることはある。そもそも「話を盛る」のは人間として普通のことであり、ふらふらと軸が定まらず漠然と生きているのが現実でも、後から動機を付け足したり、してもいない決意をしたとか、計画的行為を偶然と言ったり、まぐれの行動を計画的とうそぶいたり、過去をあれこれ修正して自分の歴史を再構成している。道路で野良を拾うとすれば、「車に轢かれそうなところを間一髪で助けた」ということになったりする。殺処分寸前とか餓死寸前とかボロボロの野良とか、なにかしら差し迫ったトリガーを挿入するのである。

  • 動物は理想を持たない | ブログ運営のためのブログ運営

    なぜ人間にはペットが必要なのか、といえば、愛情を注いでも拒否されないし、批難もされないからである。人間と人間だと、愛情は支配であるし、なにかしら自分の都合のいい存在にしようというエゴである。だからペットなのである。犬やは理想世界を求めていない。犬やはそれなりの餌と寝床さえあれば満足であるし、飼い主の容姿や社会的地位や学歴などに不満を持つこともないし、愛だけでよいから、ずいぶん楽である。劣悪すぎる環境は論外としても、犬ならアパートとタワーマンションの区別はつかない。人間以外の動物は環世界を生きて、そこに適応しているだけであり、それが満たされれば終わりである。われわれ人間は、理想を求める。動物を飼うのは環世界への退行かもしれないが、社会的不満を持たない生き物がゆえの癒やしなのである。さて、それでは理想世界という人間的な業病は苦悩の根源であるから、これを手放したいかというと、また別の話であ

  • 犬猫の保護活動は快楽 | ブログ運営のためのブログ運営

    自殺しようとしている人を助けたとして、その救出活動自体は快楽だが、では、その助けられた人の今後の人生まで考えると、気が重い、もしくは助けても無意味ということがある。もちろん、飛び降り自殺寸前の人をい止めたとして、その後の人生まで面倒を見る必要はないだろうから、助けてはいけないこともないし、見過ごしたらそれはそれでまずいだろうが、い止めてどうなるという話もある。あるいは、自殺自殺と言いながらなかなか死なない人もいるし、いわゆる境界性人格障害というか、命がけのお芝居に付き合わされるので、最初から関わらない方がいい、というのもあるだろう。助ければ終幕というのではなく、むしろ苦痛の幕開けなのだから、そこを考えて、巻き込まれないように気をつけるということである。つまり、われわれが無慈悲なのは、心の底から無慈悲であるだけでなく、助けても仕方ない、一時的に助けてもそこでは終わらない、という実情がある

  • 犬猫は家族? 犬猫だけ特別扱いか? | ブログ運営のためのブログ運営

    彩という人とか、わたしはおかしいと思っているわけだ。犬だけ特別というのは杉彩に限らないが、たまたま愛護界隈で名前がよく出てくるから引き合いに出している。命にランク付けをするのは良くないし、「家族」という概念から命を語るのは極めて危険である。家族の命は重い、家族でない命は軽い、そういう発想は邪悪である。犬は家族というのはレトリックというか、つまりヒューマニズムの延長であろうが、やはり、その圏内と圏外の格差があるわけだ。擬人化されやすい犬だけ特別で、それ以外の動物は圏外というのでは困る。おそらく、人間の命と動物の命は価値が違うという問題があり、犬だけ人間の側に仲間入りさせようというのが「犬は家族」という論法なのだが、これは他の動物を軽視しているのである。家庭で生物を飼育したら家族なのかというと、たとえば、われわれは子どもの頃は喜んで昆虫を飼育する。昆虫は家族なのか、というと杉

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    change_k 2023/09/22
    ペット好きと生物好きは違うと思うし、区別したほうがいいと思っている。
  • 保護犬・保護猫。ロンダリング。 | ブログ運営のためのブログ運営

    人間が犬を繁殖させることの罪障の深さは不明だが、褒められたことではあるまい。ペットの繁殖は創造的な行為と言えないし、殖やすのは楽しく簡単である。生命は宿業であるから、産まれた命をどうするのか、というのが問われる。その問いの矛先をどこまで鋭く、そして誰に向けるのか、という話である。レスキューしたという文脈であれば、繁殖という罪から逃れられる風潮もある。保護犬・保護はロンダリングである。自分が命を生み出したのではなく、助け出したのだ、ということだ。保護活動というのは、免罪符とかロンダリングという側面が必ずある。犬が捨てられてないと困るわけだ。もちろん犬を飼ってないなら無縁の話である。飼ってない人には原罪もない。だが、飼っている人は原罪から逃れられない。保護活動をやる人だとどうしても犬を飼いたいだろうし、道に落ちてないとなれば、自分で繁殖させたりペットショップで入手するしかない。犬

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    change_k 2023/08/10
    野良猫は野生下で繁殖・累代しているのだから野生動物と同等であり、野良猫を保護するのは野生のメダカやカブトムシを捕まえて飼育するのと変わらない。
  • 木村花さんへの誹謗中傷は、愉快犯による捏造もあったらしい | ブログ運営のためのブログ運営

    6月22日、読売新聞の記事。 https://www.yomiuri.co.jp/national/20230622-OYT1T50090/ テレビ番組に出演していた女子プロレスラー木村花さんがSNSで中傷されて自殺した問題を巡り、母親が中傷の投稿をされたとして損害賠償を求めた訴訟で、証拠とした投稿が第三者による捏造(ねつぞう)とみられることがわかった。投稿内容の捏造は技術的に容易とされる一方、それを偽物と見抜くのは難しい。ネット上には真偽不明のものが出回っており、対策が求められる。 (中略) 母親は21年8月、ツイッターへの投稿で花さんが中傷されたとして、大阪府内の女性ら一家4人を相手取り、約300万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。訴訟はその後、大阪地裁に移された。 (中略) これに対し、母親側は、母親と代理人弁護士が協議の上、訴えを取り下げて弁護士費用を負担する意向も示し

  • 犬猫の擬人化 | ブログ運営のためのブログ運営

    のYouTubeを見ていて気になるのは、犬を擬人化して台詞を付けている人が多いことである。死んだ犬が虹の橋で飼い主を待っているという幻想も、擬人化から生み出されるものなのであろう。人間と人間が愛を語り合うとなるとなかなかできないが、犬だと、理想の恋人と語り合うような夢の世界を簡単に作れる。普通の人間関係だと、憎悪や嫌悪だけでなく、好かれたら困るとか、ストーカーだと誤解されたら困るなどの理由でよそよそしくする必要があったり、なかなか親しくはなれないが、犬だとその心配もない。腹話術の人形みたいなものだから、自分の分身なのである。犬に言葉が通じているわけがないのに話しかけて、それで言葉が通じていると思い込むのは、犬の基的な役割なのかもしれないが、そうやって自己愛を守ってくれるイエスマンというか、それがゆえに愛護するというのは、自己弁護や自己保身でもある。架空の自分を作り上げてい

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    change_k 2023/06/03
    ダーウィンが来た!は好きな番組だが、生物を過剰に擬人化している印象がある。
  • 餌やりおばさんの庭先の野良猫が矢で撃たれる事件 | ブログ運営のためのブログ運営

    https://news.yahoo.co.jp/articles/61987dc311bca8d4b9ce3a8128bc47ba608472da 日テレNEWS 29日、埼玉県熊谷市で、胴体に矢のようなものが刺さったが見つかりました。 警察によりますと、29日、埼玉県熊谷市の住宅で、70代の女性から「野良の体に矢が刺さっている」と通報がありました。通報した女性によりますと、は胴体に10センチほどの矢のようなものが刺さっていましたが、保護しようとしたところ、そのまま逃げたということです。 が見つかった家の住人「なんか体についてるよって。それでよく見たら矢が刺さってた」 女性はこのに定期的に庭でエサをあげていたということですが、29日、庭にきた際に矢のようなものが刺さっていたということです。 警察は、の捜索を続けるとともに、動物愛護法違反の疑いで詳しく調べています。 野良への

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    change_k 2023/05/03
    学や文化を持たない人が承認欲求を得るための手段が餌やり。
  • HIKAKINの活動休止のつまらなさ | ブログ運営のためのブログ運営

    この手の問題で激怒するのも変なので、怒り狂った暴徒が繁華街を練り歩くことはあるまいが、なにかしらモヤモヤが燻っている人はいるに違いない。信者系の人なら、「心配して損をした。でもホッとした」となるが、そうでない人としては、儀礼的に心配して損をした、そして、別にホッとしないからモヤモヤ、という感情があるに違いない。たとえば(いや、この喩えがいいかどうかはしらないが)何かしら重病だと匂わせていた人が「実は健康でした」となれば、モヤモヤするであろう。そう、今回のHIKAKINの活動休止は狂言なのである。たとえばダルビッシュの弟が癌だそうで、実はわれわれはどうでもいいのだが、やはり人間として、(ダルビッシュの弟がどうでもよくても)儀礼的に彼の闘病を心配するわけである。そのような儀礼で世の中は成り立っている。一応は心配してあげるわけだ。今回はそのような儀礼をもてあそばれ手玉に取られた。そして今回のHI

  • 保護してくれてありがとう? | ブログ運営のためのブログ運営

    YouTuber界隈において、野良を保護したひとに「ありがとう」という風習があるようだ。まず、人間の言葉というのは儀礼的であり、いわば定型的な挨拶と言うか、とりあえずメールの末尾に「よろしくお願いします」と書いたりする。「保護してくれてありがとうございます」というのも、当の意味でのお礼ではなく、定型的な挨拶、と考えることもできる。独自の表現を用いるよりは、定型的な挨拶文の方が無難なのである。ちなみに、現実世界で保護を飼っている人に「保護してくれてありがとう」とは言わないし、YouTuber界隈の挨拶文と考える方がよさそうである。おそらくすべてのへの愛というファンタジーがあるのだと思うが、実際には野良に餌やりする行為と通底している。自分のだけを大事にするのが実は正しいし、自分が飼ってないを大事にしてはいけない。もちろん排泄物のお世話までするのならいいが、たいていは餌やりだけなの

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    change_k 2023/04/23
    餌やりマジ迷惑。
  • 影山優佳はすごいのかどうか | ブログ運営のためのブログ運営

    サッカー番組に女性タレントが出てくると、普通はうなずき役であり、話を聞いて「へえ」とか感心するだけの立ち位置である。日向坂の影山優佳は自分でかなり調べているので、周囲が「へえ」と感心するわけである。こういうのが出てくると、他のタレントはサッカー番組で出番がない。影山優佳はサッカー番組に出るから予習してくるのではなく、ライフワークとして調べている結果であろうから、「他のタレントはもっと勉強すべき」と言っても的外れだが、ともかくそういうことである。冷めた目で見れば、男子ならこれくらいのサッカーオタクは普通にいるとは思うし、女子がサッカーについてこれだけ徹底して調べていることが珍しいだけ、という言い方も可能ではある。アスペ男性ならオタク的な知識を溜め込んでいるのはいる。影山優佳はコミュニケーション能力がある女性アイドルでありながら、探究心を持っているのが稀ということであろう。おそらくサッカーだけ

  • 木村花さんにうんざり | ブログ運営のためのブログ運営

    木村花さんの死は、人間が生きていく苦悩という実存的な課題から遠く離れており、物事の真実ではなく、法的に勝てるかどうかの話になっている。厳罰化を主張しておけば安全という人々の無責任さと相俟って、反知性主義が猖獗を極めている。知性ある人間は刑罰について吝嗇でなければならない。あまりにも阿呆が多いので仕方ないのだろうが、茫漠たる世情である。木村花さんが死んだのは、コロナでプロレス興行が中止に追い込まれたからであるが、これだと誰にも責任を問えない。であるから、誹謗中傷のせいで死んだとしたいのである。これで木村花さんの御遺族が儲かるわけではないと思うし、世論を動かすこと自体に酔ってるのかもしれないが、他罰的思考の見苦しさである。コロナは天災だから罪を問えないので、どうしても人災に話を擦り替えなくてはならないらしい。人生が苦しくて死んでしまいたいという実存的苦悩が等閑に附され、見当違いの勝利を目指した

  • 自立してない女性の魅力 | ブログ運営のためのブログ運営

    厚生労働省のサイトの統計を見ると、やはり最近は共働きが増えている。「こんな高い価格のマンションを誰が買うのだろう」と疑問に思うことがあるが、共働き夫婦で合算すれば意外と買えるのかもしれない。こうやって専業主婦の割合が低下しているからには、男性から見て社会人女性がさぞかし魅力的なのかというと、そこはわたしにはわからない。古い価値観で言うなら、社会人女性は男性的であり、専業主婦は純粋な女性である。女が学歴をつけると、女としての魅力が下がる。学歴や社会的地位が高い女性にはチンコが付いているイメージである。あるいは一応は社会人でも、古めかしい言い方で言えば腰掛けOLとして寿退社するような女性はいい匂いがする。重役まで行くとなると女として片輪である。こういう古臭い価値観が変わりつつあるからこそ、専業主婦がどんどん減っているのだろう。社会人女性が当に魅力的に見えているのか、それとも、共働きで合算しな

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    change_k 2021/11/18
    妻が専業主婦なら、夫には精神的優位を保てるというメリットがある。
  • 有村悠さんのそっくりさん | ブログ運営のためのブログ運営

    世の中には似たような人間がいるものだが、有村悠さん(37歳)とかなり似通った人物。 全角岩手さん(47歳)という2ちゃんねるのコテだが、ご自身が精神病だと認められているようである。 有村悠さんはまったく精神病ではないが、なぜか精神病の薬を飲んだりしているファッションメンヘラであるから、そこは違う。 有村悠さんがADHDであることは疑いがないと思われるので、その二次障害でになっている程度であろう。 精神病でも神経症でもなく、ただの詐病である。 有村悠さんは東京大学文学部西洋史学科中退だが、この全角岩手さんは東大理Ⅰを中退されているそうだ。 なかなか興味深い関係である。

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    change_k 2016/07/19
  • 津田大介と小山田圭吾 | ブログ運営のためのブログ運営

    https://twitter.com/tsuda/status/720060730783846400 津田は自称音楽ライターであるから、小山田圭吾がいじめでウンコをわせていたとか、あちこちのインタビューで自慢していた時代のことは知っているはず。 これは類友というよりは、ソーシャルスキルが高い人間ならではのモラルへの無関心であろう。 正義感を持たないのはソーシャルスキルとして重要である。 正義感が強いと、威張るタイプの人間と衝突しやすくなるので、正義感はない方が生きやすい。 小山田圭吾は正義のリトマス試験紙と言えるし、こいつに怒ったらソーシャル的に負けなのである。 ソーシャル的に勝利するためには、こういう人物に無感覚でなければならない。 ワル自慢に対して怒ると、小山田が強者で、こちらが弱者みたいな感覚になるから、無関心である方が戦略的には適切なのである。 われわれは津田大介にできないこと

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    change_k 2016/04/14
  • 津田大介はいつも無傷 | ブログ運営のためのブログ運営

    津田大介は発達障害者と真逆のタイプだから、機を見るに敏ではあるが、それだけである。 馬鹿ではないので始末が悪い。 戦場に赴いても、ひとつも戦功はなく、かすり傷さえなく帰還してくる。 ソーシャルスキルが高い人間特有の、立ち回りの巧さがあるので、人しか得をしない結果に終わる。 当は、国会議員が津田大介の役割をやるべきなのである。 とはいえ、国会議員というのは自分の選挙区が大事なので、あまりネットでの旗振り役はやらない。 もちろん地元の計算できる票が欲しいのはわかるし、ネットでの支持は当てにならないと考えるのも仕方がない。 政治が難しいのは、政策が抱き合わせであることだ。 単一争点での運動は好ましくないとされる。 だが、現実の選挙はどう考えても単一争点である。 山太郎などはすでにこれを実行しているのだが、いくらなんでも頭が悪すぎる。 津田大介は利口すぎて困るし、山太郎は馬鹿すぎて困るが、

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    change_k 2016/02/09
  • 「嫌われたくない」のは学校時代の後遺症 | ブログ運営のためのブログ運営

    大人の世界でもパワハラはあるけれども、権力者からしか嫌がらせを受けない。 学校はそれとは違っていて、四方八方から嫌がらせをされる可能性があるし、「やり返す」ことが求められる。 最近だと子どもに「やられたらやり返せ」とは言わないだろうが、ともかく自分でどうにかしろということなのだ。 大人のパワハラでこれはあり得ない。 上司から嫌がらせをされている人に「やられたらやり返せ」とアドバイスする馬鹿はいない。 つまり学校というのは、刑務所の雑居房に近いのである。 スクールカーストがあるとしても、これは上司と部下ではないので、バトルロワイヤルという側面もある。 そして自力救済が認められている空間である。 というより、警察がないから、自力救済しかない。 自力救済は大人の世界では禁止されており、ものを盗まれたからといって、それを暴力的に取り返すことは認められていない。 学校だと自力救済が推奨されている。

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    change_k 2016/01/18
  • タイムライン依存 | ブログ運営のためのブログ運営

    おそらくひとびとは文章が読みたいのではなくて、それがリアルタイムで更新されてくることが好きなのである。 ツイッターのタイムラインだけでなく、いろんなソーシャルツールの動き、もしくは常駐している掲示板の動きを含めてもいいだろうが、定点観測しているところが更新されると嬉しいという感覚である。 なぜ嬉しいのかと考えるとずいぶん奇妙だが、おそらくコミュニケーションしている錯覚か、そんなものだろう。 ずっと記述の内容が変わらないページとは違って、更新されることで、何かしら悦びがあるのである。 タイムラインへの依存度が高まると、流れているテロップをずっと見ている生活になってしまう。 ツイッターに貼り付くだけでなく、巡回対象のスレッドを何度も何度も確認したり、もはや意味不明の飢餓感である。 何に飢えているのかという重大な疑問が湧いてくる。 ゴミみたいなテキストが当に好きというわけではあるまいし、目的は

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    change_k 2015/10/29
  • クラスメート=友達候補としてリストアップされたひとたち | ブログ運営のためのブログ運営

    学習塾でいじめがないわけではないが、学校に比べればかなり少ないはずである。 DQNが排除されているという問題もあるだろうが、やはり学校のクラスメートは友達になることが義務づけられているのである。 塾で同じクラスの人間はたまたま同じクラスにいるだけである。 友達になる義務はないわけである。 塾の人間と友達になるのは自由だが、大人から課せられた義務ではないし、友達になる必要はないのだ。 やはり学校の友達というのは義務なのである。 大人が作ったリストの人間と友達になるというのが課題なのである。 友達がいないというのは、大人から見ても欠陥品なのである。 学校のクラスという場が、友達候補の集まりであるというのが、逆に問題の根っこなのである。 友情が成立しなければ大人にとって都合が悪いという問題もある。 仲が悪いと大人の失点ということだから、この友情という問題に関して、子どもは大人から監視される立場に

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    change_k 2015/10/20
    おかげで色々辛い思いをした。
  • 馬鹿が「面白いこと」をやりたがる病気 | ブログ運営のためのブログ運営

    はるかぜのようななんら特技を持たない人種ほどおもしろいことをやりたがる。吉興業の養成所ビジネスが病根の一つであろうが、落ちこぼれが面白い人間になろうと戯れ言を放電し続けるわけである。放電とは雑念であるから、それを停止することで勉強を開始することが出来るのだが、なにしろ愚にも付かない雑念が面白くて仕方ないらしい。声優というのも特技がない人に向けた養成所ビジネスであるし、能無しが思いつくのが声優とお笑いなのである。何年かしてそれが頓挫すれば今度はクリエイター志望なのであろう。こういう愚かな人間を見やると、やはり平凡さというのはひとつの特技であると思う。普通の人であるという理由で賛美され名士として自分の銅像の除幕式に立ち会うことはあるまいが、毒にも薬にもならない無難なパーソナリティーは長所である。ネットというのは馬鹿の頭の中身が見えてしまうので、絶句する機会がどれだけあるかわからない。馬鹿と言

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    change_k 2015/10/06
    オモコロとkyoumoeだな。