縄文と土着を結びつけた岡本太郎の「日本の伝統」論は、新しかった。「日本人とはだれか」というアイデンティティの問題に揺れていた戦後社会に、これまでにない自画像の視点を提示した。そして、岡本の批判の矛先は近代日本の民芸運動にも向けられた。 縄文土器論の加筆1954年、岡本太郎は『今日の芸術』を出版する。彼は「芸術」に対して「うまくあってはいけない」「きれいであってはならない」「ここちよくあってはならない」と言い、対極主義を平易な言葉で語りながら、権威に対して冷水をかけた。この本はベストセラーとなり、岡本への注目はさらに大きくなった。 1955年12月には「伝統とは創造である」と題した論考を『中央公論』に発表し、亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』や竹山道雄の『古都遍歴』を批判した。 彼は法隆寺金堂壁画の焼失を嘆く世論を批判し、次のように論じた。 今さら焼けてしまったことを嘆いたり、それをみんなが嘆か