職場や共同体のパワハラはなぜなくならないのか。感染症医の岩田健太郎さんは「パワハラをする人は、どんな出来事でも自分の偏愛する理論で解釈してしまい、何が起きてもそれを問題として認識することができない」という――。 「パワハラではない」という拒絶への失望 研修医だった何十年も前、私は上級医から厳しく鍛えられた。 それは今の目から見れば「パワハラ」と認定されるようなものだったかもしれないが、教えるほうも教わるほうも、当時はそのような認識がなかった。 指導する立場になり、私も上級医の方法を真似た。それもまた、今の目から見れば「パワハラ」であったと、思い返すに冷や汗がでる。 誤解を恐れずに申し上げるならば、パワハラという現象が過去に存在したこと「そのもの」の問題自体は相対的には大きくない。あくまでも「相対的には」という話であり、決して小さい話なのではないけれども。 より大きな問題は、往時の行為をパワ