北田暁大 @a_kitada 【識者に教えを乞】『ユリイカ増刊オタクvsサブカル!』読んでて、複数の人が「オタクによるサブカル批判・憎悪」の存在を前提に話を進めているんですが、実際どこでどんな人がそういう批判していたのでしょうか。都市伝説なのか05年のある種のリアルを証言するものなのか。まさか2ちゃん?
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666 ビジネス脳の人と芸術脳の人は、まず噛み合わない。つまりビジネス脳にとっては金になることが価値の最上位にあるので、金にならないことに情熱を注ぐ芸術家は狂人にしか見えない。芸術家の価値観は表現することにあって、金儲けは「表現のための手段」でしかない。但し村上隆さんのような例外もいる。 竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666 村上隆さんが凄いと思うのは、金儲けを芸術のテーマに据えたところである。それもわざわざ一番効率が悪い、現代美術で金儲けに成功したところである。ウォーホルから繋がる、正当なポップアーティストではないかと思う。その代わり批判にもさらされている。私がこう書くと私にも矛先が向きそうだが。 竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666 もう一つ村上隆さんが凄いのは、「業界のヒエラルキーを登りつめた上での成功ではない」ことである。
さやわか式☆現代文化論 第4回「このマンガ語りがすごい!2014」さやわか×中田健太郎×伊藤剛 @someru @GoITO 当日券は3000円 (1ドリンク付き)です。ゲンロン友の会会員証または学生証のご提示で2500円(1ドリンク付き)になります。【イベント概要】 読者層は限りなく細分化され、作家も多種多様になり、作品が過剰なまでに供給 される「漫画」。そこで果たして最先端の漫画と呼べる漫画はあるのか。「ワン ピース」あるいは、いわゆる「漫画読み」の推す作品のどちらが今日的なのか。 またはキッチュな劇画や四コマ誌や幼児向け作品に目を向けるべきなのか。 おそらくそのどれでもいいし、どれでも十分とは言えない。今や「おもしろい漫 画」がないことではなく、山ほどありすぎることのほうが、このジャンル全体の 姿を既に見えにくくしている。 漫画論にとってもことは同じ。「進撃の巨人」を語る言葉がないの
ストーリーシンキングが世界を救う(仮) アンガス・フレッチャー 著,田畑暁生 訳 2024年3月発売予定
『コミPo! マンガ入門』発売を記念して、山本直樹×コミPo!の新作マンガと田中圭一×竹熊健太郎×伊藤剛の鼎談を無料公開します。 書籍『コミPo! マンガ入門』の発売を記念し、3つのスペシャル企画を、期間限定で無料公開いたします。(※公開期間は4/7~5/10となります) 1 山本直樹×コミPo!作品「コミポ それは自由な世界」.pdf 2 山本直樹インタビュー「コミPo!を使用してみて」.pdf 3 田中圭一×竹熊健太郎×伊藤剛「コミPo!の可能性を考える」.pdf iPhone・iPadでご覧いただける方はこちらからどうぞ! 1 山本直樹×コミPo!作品「コミポ それは自由な世界」 2 山本直樹インタビュー「コミPo!を使用してみて」 3 田中圭一×竹熊健太郎×伊藤剛「コミPo!の可能性を考える」 ※actibookアプリケーションをインストール後ご覧ください。 今回、『コ
伊藤 剛 @GoITO 「青少年の健全育成」を旗印にした「環境浄化」の風潮だが、これと昨今の小学校で先生が子供を叱れない(親からクレームが来るから)といった風潮とは同根のものではないかと思った。「子供に悪影響がある」「子供が傷つく」ことは回避しなければならないという強迫があるのではないか。 2011-02-09 07:39:58 伊藤 剛 @GoITO いま普通に行われている趣味も、「子供にはさせるべきではない」というクレームがついたら中止、なんて事態すら予想される。釣りや登山などアウトドア関係は標的にされそうだ。仮に、だけどたとえば登山に含まれる特定の運動が身体の発達に悪影響があるとかの「学説」が出されたら要注意だ。 2011-02-09 07:44:23 伊藤 剛 @GoITO いまのところは、こんなことを予想しても「妄説」と一笑に伏されるだろう。笑っていられたほうがいい。だけど、この
ご訪問いただいたお客様へのお知らせ アクセスいただいたWebサービスは提供を終了いたしました。 長年にわたり、多くの皆様にご利用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。 ODNトップページへ
『筑波批評2009冬』に載せた亜人間論について、id:kugyoくんからコメントを貰っています。 コメント欄でちょっとやりとりがあったのですが、それに対する簡単な応答を。 別に、このまま向こうのブログのコメント欄で続けても構わないのですが、まあひとつのエントリにしてもいいかな、と。 sakstyle >亜人間論 伊藤の用語法に問題があるのは確かですね。 特に、「マンガのおばけ」と「うさぎのおばけ」は、あの本を難しいと思わせている理由のようです。僕としては、「表現レベル」と「作品世界レベル」に区別することで整理できたかと思っているのですが。 しかし、「キャラ」が一体何を指しているのかは、確かに分かりにくい。というか、「キャラ」を「記号」だと言ってくれればいいのに、「人格・のようなもの」とか言うから、分かりにくくなります。 でもそこがポイントで、記号なのか人格なのかはっきりと区別できなくなって
日本の基礎科学を蹂躙する事業仕分けの蛮行に怒ったり呆れたりの毎日です。皆さんいかがお過ごしですか。 仙谷由人行政刷新担当相は、この事業仕分けを「これまで一切見えなかった予算編成プロセスのかなりの部分が見えることで、政治の文化大革命が始まった」と言っています。 この人、1966年に東大に入学していますから、「文革」の何たるを知らずに発言しているわけではありません。 おそろしいことです。 先の政権交代を「無血革命」と言ったひともおられましたが、その結果がこれです。 団塊の世代の方々が掲げた理想が、下の世代のわれわれに絶望をもたらしていると言っていいのかもしれません。 この政権のコンセプトをつきつめると、知的な達成に向けてがんばることや、人生の向上心みたいなものが排除され、ただ生きているだけの人が賞揚される社会が待っているような気がします。 先端研究はいらない、文化的な啓蒙もいらない、ただただま
先日、25日夜に朝日カルチャーセンターで行われた、鼎談講座「ヱヴァ」をめぐって − あれから14年の手元のメモと記憶によった簡易レポートです。 講座内容 テレビ放送から14年、今夏「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」が公開されました。今、ヱヴァをめぐって何か起きているのか。14年の間に起きた変化とは。「大人になる」こととは何か。本作をきっかけに出会った3人が語ります。 実際の内容を振り返ると、この「大人になることとは何か」「作り手が、受け手が、大人になることで何が変わったのか」というのが一番重要なテーマのはずで、(伊藤剛さんはなるべくそっちに振ろうとしていましたが)でもちっともそういう話にならなかったのはモッタイナカッタですね。 「私達はこんな大人になりました」っていうのは自分側からあまり語りたくないようなことなんでしょうか。 個人的には、トミノが大人に(まるく)なり……、そして庵野さんも大人
■ヨンコマワーク ――4コマの場合は、ストーリーよりも感性的な部分が大きいので、作家と編集との意見のやりとりも難しいんじゃないかと思うのですが。 小林 そういった感性の部分では、編集の意見を出しすぎることで、スピード感みたいなものが失われてしまう場合もあるので、それは作品を作る段階以前、作家さんと初めて会うところからが、もう勝負だという感じですね。この人はどういう作家さんなんだろう、どんなものを表現したくて、そのためにどういう手段を取る人なのかっていうのを的確につかめないと、なかなかうまくいかないんですよ。 篠原 その作家さんの伝えたいものを、編集もちゃんと解っていたら、「これを表現するのにこの4コマの流れでは読者に伝わっていないな」とか、「台詞や構図が今ひとつだな」とかいうのは、その都度、直していけますからね。そこに至ってない、表現したいことがまだ雲をつかむような段階で、読ませるレベルに
楽しいコミケでした。 森川嘉一郎さんと桑沢キャラクター研究ゼミで入っていますから、仕事で行ってるようなものですが、コミケでしかお会いする機会がなくなった旧知の人とお会いできるのが嬉しいです。日曜研究家の串間努さん、漫画の手帖の堀内満里子さん、南陀楼綾繁さん、ほかの方々とご挨拶できました。 今年は学生さんたちの参加が活発で、わりと任せられるというか、むしろぼくが外に溢れてしまう感じだったので、隣の隣(「お誕生日席」のabなので、まとめて「隣」という感覚でしたが)の東浩紀くんの横に座ったりしてました。ちなみに、すぐ隣のブースは白田秀彰先生。 泉信行くん、前島賢くん、中田健太郎くん、野田謙介さん、金田淳子さんほか、若手の人々も訪れてくれ、いろいろ話をしたり、永山薫さん、昼間たかしくんが取材の腕章をつけてやって来たり。 幸い、委託で置いた竹熊健太郎さん責任編集の「コミック・マヴォ」もゼミの同人誌「
「ユリイカ」東浩紀×伊藤剛 「マンガの/と批評はどうあるべきか」 ある人から「『ユリイカ』の東浩紀×伊藤剛対談でお前批判されてるぞ」と言われたのでびっくりして買って読んでみると、批判というか言及がされている。しかも対談の冒頭から中頃まで話題というかネタにされている。 しかし、対談において東が紙屋という名前をきいて「だれそいつ」状態であることにみられるように、ぼくみたいな若輩をよくもとりあげていただいたものである。『テヅカ・イズ・デッド』を上梓した新進気鋭の漫画評論家・伊藤と、「知の最前線」とやらを走る東にとって、こんな「狭いブログ論壇」(東)のカスみたいな存在をとりあげるのもお手をわずらわせるようで申し訳ない。また、多くの人にとっても紙屋ときいて「だれそいつ」状態ではないか、そんなもので対談の冒頭のモチーフにして大丈夫なの、と他人事ながら心配する次第。 伊藤剛は「思想地図」vol.1で大塚
はじめに さる2007年6月5日に行われた東浩紀と伊藤剛の対談「『テヅカ・イズ・デッド』から『ゲーム的リアリズムの誕生へ』」のダイジェスト版と私的な感想をまとめた。すべてを網羅するのではなく、個人的に印象に残った部分のみを断片的に抜き出すようなかたちになっている。これは本エントリの目的が対談のレポートにあるのではなく、個人的な感想を述べることがメインになっているからである。 抜き出した部分にはこちらで勝手にタイトルをつけて、大まかな性格を与えた。まずは“1.『ゲーム的リアリズムの誕生』について”。ここでは、東浩紀自身が自著についての説明を行った箇所のみを引用している。本来は、対談の中での伊藤剛とのやり取りの一部分にすぎなかったものだ。しかし、『ゲーム的リアリズムの誕生』の読者にとってはある程度参考的な内容となるのではないかと思う。 “2.キャラクター文化にとっての美とは?”とその次の“3.
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く