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大学を辞めるということ - jun-jun1965の日記
(その後受賞者津村記久子が芥川賞をとったので削除) −−−−−−−−−−−−−−−− 夏目漱石が東京帝大を辞めたと... (その後受賞者津村記久子が芥川賞をとったので削除) −−−−−−−−−−−−−−−− 夏目漱石が東京帝大を辞めたとき、「講師」だった。まあ明治期のことだし、職名もさまざまだったのだろう、と思っていたが、ふと、では英文科教授は誰だったのか、と考えて、調べたら、漱石が学んだ教授はディクソン、その前に坪内逍遥が学んだ時はホートン、つまり「お雇い外国人」である。漱石の前任者がラフカディオ・ハーンというのは有名だが、ハーンは「教授」とは言われていない。 じゃあ漱石が教えていた時の英文科教授はというと、いないのである。文科大学に英文学の講座ができたのが、漱石が辞めたあとの明治40年7月だが、英文科の専任の席は、大正五年に市河三喜が助教授になるまで空席で、教授も助教授もいなかったようだ。上田敏は漱石が辞めたあと明治40年11月から洋行し、洋行中に京都帝大に招かれてそれを受け、翌年帰国して京都帝大講師にな
2007/03/21 リンク