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伊庭八郎の士道を貫かせた花魁小稲 - ウェブ1丁目図書館
その隻腕の剣士が活躍したのは、慶応4年(1868年)の5月下旬。 西から攻め来る官軍を箱根で迎え撃つため... その隻腕の剣士が活躍したのは、慶応4年(1868年)の5月下旬。 西から攻め来る官軍を箱根で迎え撃つため、旧幕府の遊撃隊が出陣しました。遊撃隊を指揮していたのは、人見勝太郎と心形刀流の使い手伊庭八郎。 両軍は箱根三枚橋で激闘を繰り広げます。この時、伊庭八郎は腰に銃弾を受け尻餅をついたものの、2、3人を斬り倒しました。しかし、この戦いで彼は左手首を斬り落とされる重傷を負います。それでも片腕で戦い続けた伊庭八郎。敵を薙ぎ払った刀が岩をも斬ったと噂され、後に伊庭八郎百人斬り伝説も生まれました。 横浜潜伏 箱根の戦い後、伊庭八郎は長崎丸に乗って品川沖へ戻ります。 作家の中村彰彦さんの著書「ある幕臣の戊辰戦争」によると、伊庭八郎は品川沖で幕臣の榎本武揚の艦隊のうち美加保丸に乗って箱館を目指したのですが、台風にあって漂流します。なんとか上陸できた先は、敵の高崎藩領。乗員約700名は、高崎兵が来襲する前
2018/01/04 リンク