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リバタリアンと相続(1) - おおやにき
以前に「リバタリアニズムによる相続否定論」と書いたところ「なんでそうなるのか」という質問(意訳)が... 以前に「リバタリアニズムによる相続否定論」と書いたところ「なんでそうなるのか」という質問(意訳)が来たので補足説明を試みようとしたところ結構めんどくさいので弱る(さらにその途中で余計にめんどくさい問題に気付いてしまいさらに弱る)。そもそも私自身はぜんぜんリバタリアンではないので説明に向いているかという問題があるのだが、まあ責任を取ることにしようと思う。 で、まずなんでリバタリアンじゃないと説明に向いていないと思うかというと、前にもちょっと書いたが、リバタリアンって何なのかがさっぱりわからない点にある。というのは一口に「リバタリアン」と言ってもそれが意図している制度構想(具体的にどの範囲の政府を正当だと考えるか)も、その正当化根拠(なんでその立場を取るかという理屈)もばらばらだからだ。とりあえず基本的な認識としては左図(森村進『自由はどこまで可能か:リバタリアニズム入門』(講談社現代新書 2