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大谷翔平
blog.goo.ne.jp/ota416
今、一冊の本が手元にある。「将棋紳士録1974年版・10周年記念号」。定価はない。発行元は将棋紳士録発行会。そして監修は一人の棋士、斎藤銀次郎八段。 この本は、全国の初段以上の有段者の氏名と住所が記されている。個人情報そのものであり、現代では発行できるはずもない。いわゆる紳士録だ。紳士録の常として、紳士じゃない人がご愛用する本である。ページを繰ると驚くのは、内閣総理大臣田中角栄からのお言葉と色紙の写真が掲載されている。「静観自得」と書かれている。「静観」は角栄的ではないが、「自得」は角栄的だ。そして、目白区のリストの一番上には、「六段 田中角栄」と書かれている。 また、大蔵大臣(福田赳夫)はじめ多くの議員や警察庁長官、日銀総裁、経済界やその他の名士の方が五段、六段と記されている。最高七段の方は、○○○製鉄の方で、その社の会長でも六段なので、何か特別なのだろう。そして、それらの方が実力で五段
藤堂高虎の家訓200箇条、やっと最後までたどり着く。思うに、200箇条ということ自体が長過ぎるのだろう。本当に心に強く残る条というものはあまりなく、一つ一つの処世訓といったものに近い。これが書かれたのは家康の死後、高虎が江戸の上野にある藩邸で生活していた頃のものということで、江戸時代が既に始まってからである。遅れてきた戦国武将である高虎が、人生を振り返り、藤堂家の今後の安寧のため、事細かに注意事項を書き連ねたものと言える。一介の豪族から10人以上も主君を乗り移り、かつ城郭作りのスペシャリストであり、江戸の町割りを担当したり、さらに故郷近江の商工業者を江戸に誘致し、とうとう家康のブレーンの座にすわり32万石という大大名になったわけだ。 その後、藤堂家は外様大名でありながら伊賀・伊勢という紀伊・尾張の御三家の間に領地を持ち、あまり目立たぬように江戸時代をまっとうする。そして、江戸時代の最後にあ
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