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「◯◯に越したことはない」という便利なフレーズは捨てがたい。ということに気づくこと - うちこのヨガ日記
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先日、はじめてバガヴァッド・ギーターの読書会を開催した地方で、みなさんとざっくばらんにお話しする... 先日、はじめてバガヴァッド・ギーターの読書会を開催した地方で、みなさんとざっくばらんにお話しする中でウンウンと深くうなることがありました。 バガヴァッド・ギーターの世界では「やらないよりはやったほうがいい」「参加することに意義がある」というような、ざっくりとしたポジティブさは斬られてしまいます。お布施をした=いいことをしましたね☆ ではないし、しんどい練習をした=がんばったね! でもない。「それ、純粋な気持ちでやった?」と問われる。このような純性や聖性とワンセットになった正しさは、日本人にはめんどうくさく感じられる。それに気づいているかたがいらっしゃいました。 白黒はっきり、のほうがいいです。 3(純性・激性・鈍性)になるのとか、めんどくさいです。 ナイス吐露! ここ、すごくだいじなんですよね。この気持ちをなかったことにしないスタンスは、日本人として率直だなと思うんです。わたしにはその率直