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他人に干渉する自由/他人から干渉されない自由
今週の週刊新潮だったかで(立ち読みだったのであんまりよく憶えてない)酒井順子が、「田舎に行くとセ... 今週の週刊新潮だったかで(立ち読みだったのであんまりよく憶えてない)酒井順子が、「田舎に行くとセクハラまがいの言葉を平気でかけてくるオジサンやオバサンがいるけれど、ああいう言動って日本的な共同体意識の産物だよね。その点東京の人たちは、ちゃんと他人に干渉しないという作法が身についているから、デリカシーがあっていいなあ」みたいな主旨のことを書いてた。概ねそれは同意なんだけど、じゃあ「他人に干渉しないという作法」ってのは本当に共同体意識から逃れているのかなあ、ということを時々考えたりする。東京、あるいは都市部の人の、潔癖すぎるようにも思える過剰な「他人に干渉しない」主義というのは、「他人に干渉してはいけないという規範を強制する」という干渉だとも考えられるんじゃないか? それが極端な場合はときとして息苦しいものなんじゃないか? とも思うのだ。田舎の人の立場をシミュレートしてみると、「東京の人はホン
2008/07/28 リンク