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猛暑に注意を
btomotomo.hatenablog.com
Blue あなたとわたしの本 272 謎のメモ、美しいメタファー 平山は清掃用具までを自作し、公衆トイレを徹底的に磨き上げます。見えない部分は鏡を使って点検するほどの徹底ぶりです。公共トイレの清掃員がこんな方だったら、理想的ではないでしょうか。 映画には、何者かはわからない人物とのメモのやり取りの場面が挟みこまれています。その人物は、まるで平山の仕事ぶりを 逐一 見ているかのようです。 これら一連のシーンは、利用者が感謝の気持ちを表したもの、と考えるのが最も直接的な解釈でしょう。美しく保たれたトイレを見、その清潔さに感動した人物が、感謝の気持ちを伝えるためにメモを残した、と。平山の、見返りを求めない奉仕の行為が、誰かに届いているのです。 「PERFECT DAYS」に出てくる不思議なメモは、人間が本質的に持っている繋がりを求める気持ちを表すための、美しいメタファーとも受け取れます。「tha
Blue あなたとわたしの本 271 平山は〝敗北者〟なのか? 人間にとっての〝幸福〟とは、そして〝成功〟とは、果たしてどういったものなのでしょうか。 私自身、この問いを何十年も考えてきました。考えるだけではなく、禅寺で坐禅を組み、いまも答えを求めつづけています。 ごくたまに思考が止まる瞬間、ふわっと解答らしきものが胸に宿ることもあります。言葉そのものが来るわけではなく、大まかな意味内容が降りてくるのです。そのあとに、何とか言語化しようと試みます。いつもそういった順番です。 「インスピレーション ──直覚的に認識されるということ──」でもこの感覚について書いています。 人生の意味とは──人間にとっての成功とは──自他に優しくなることだ、という概念も、以前に受け取りました。自他に優しくなることが成功? なんだかわかりにくい定義だし、インパクトも弱いなぁ──というのが最初の印象でした。 「Bl
Blue あなたとわたしの本 270 淡々とした日常に宿る〝幸せ〟 休日の平山も楽しそうなんですよね。コインランドリーに行ったり、好きな音楽をかけながら部屋を掃除したり、自分で撮った写真を選別したり、じつに楽しそうに見えます。 古本屋に立ち寄れること、読書ができること、行きつけの小料理屋でのたわいもない会話──こうした淡々とした日常を、楽しめるか楽しめないかなんだろうなぁと、改めて思います。とかく見過ごしがちな──しかし確かな──幸せのワンシーンです。 妹・ケイコと平山、つながっていない それぞれの世界 妹のケイコが、「ほんとにトイレ掃除してんの?」と聞き、 平山が認めたとき、ケイコは驚きと哀れみが入り混じったような表情を浮かべます。妹の価値観、彼女の世界ではそうなのです。惨めな姿に映るのでしょう。 平山が、姪っ子のニコに言っていたように、「この世界には、たくさんの世界がある」のです。 つ
Blue あなたとわたしの本 269 同じ映画を見るのも3度目ともなると、新たに気づくこと・想うことがありますね。 冒頭のワンカットに宿るドキュメンタリー的緊張感 映画の冒頭、平山が寝床から身を起こすシーン。布団をたたみ、落ちていた文庫本を手にし、何となく眺めるのですが、ここで私の脳内には、文庫本の表紙がカットインされました。そのタイトル、「野生の棕櫚」の文字も。 実際の映画では、そんなことは起こりません。部屋を出ていくところまでがワンカットで淡々と撮られます。読んでいる本が何なのかもわからない。そうすることによって、ドキュメンタリー・フィルムを観ているような緊張感が生まれています。いかにも〝映画です〟というカット割りをしてくれると、ある意味 安心して鑑賞することができるのですが、ヴェンダース監督はそれを選択しなかった。映画館で観たとき、出だしからヒリヒリするような感覚をおぼえたのは、こう
Blue あなたとわたしの本 268 「 小説を書いているといっても趣味なんだよね」 「 プロじゃないんでしょ」 こういった言葉に傷ついたり、憤りを覚えた人は多いのではないかと思う。文筆だけで生活しているわけではないのも事実だから、言い返すことができない。本気で取り組んでいればいるほど、心のなかで歯ぎしりしたことだろう。 あなたとわたしは四六時中、文章のことを考え、小説のことを想う。 書いているとき、 自分が消えてしまうこともある。ハッ、と時計を見る。こんなに時間が経っていたのか。 楽しかった、というのでもない。ただ、充実していた。コンピュータのモニター。物語が先へと進んでいる。あるいは推敲がほどこされ、文章がカチリ、とかたちを成している。 書いていたその時間、あなたとわたしは小説家以外の何者だったというのか。それだけで暮らしが立っていようが、いなかろうが、その瞬間・瞬間、わたしたちは小説
Blue あなたとわたしの本 267 ココナラ、ってご存知ですか? 2012年から存在している、日本最大級のスキルマーケットです。ネット上のプラットフォーム、というやつですね。 僕は、ココナラのことを知らなかったんです。知ったのは半年くらい前かなぁ。 「電話サービス」というのをやってみたいと思いました これで〝両輪〟が揃うかもしれない、という直感がありました。 両輪というのは、 はてなブログ、「Blue あなたとわたしの本」と、 ココナラ、「Blue あなたとわたしの部屋」ということです。 「Blue あなたとわたしの本」だと、 僕が一方的にしゃべるだけですよね。 「Blue あなたとわたしの部屋」があると、 訪れてくれた人も話せるわけです。二人で、時間を共有できる。 お悩みを持たれている人の話なんかも聴かせてもらえるわけです。僕ならよいアドバイスができる、と思い上がっているわけではありま
つぶやきBlue 20 「認識」したということは、「認識」されたというわけですよね、直覚的に。 そこには介在物がないわけです。「思考」によって導き出された概念ではないわけですから。 「認識」されたから、「認識」された。 光よりも速い速度で。 昇ってくるわけです。降りてくるわけです。重なるわけです。 そこにこそ、最高純度の〝本当〟があるような気がします。 「意味がわからない。実例をあげてくれないか」 はい、例えばこの文章です。この文章は頭でひねり出したものではありません。「認識」されたものです。なので、その意味するところを解読しようと試みるのは、受け取った〝あと〟なのです。 誰かからのプレゼントにかけられた美しいリボンを、そっとほどくように。 それはあなたやわたしではないものから届いた贈り物です。 それはこれ以上ないほど、あなたやわたし自身から届いた贈り物です。 ──そういうことです。 bt
Blue あなたとわたしの本 266 僕が思う「成功者」とは、寿命が来るその瞬間まで生ききった人です。 頭の中に、クエスチョンマークが飛びかった方もいらっしゃったかもしれませんね。それだけか? それだけで「成功者」だと言うのか? と。 そうです、それだけです。そして、それはもの凄いことだと僕は思う。「成功者」というより、「大成功者」だと感じます。「大成功者」です。 わけあって僕は、年間 かなりの数の死者をお見送りします。名前を聞けば誰でも知っている有名人の方もいらっしゃったし、富豪の方もいました。反対に、生活保護を受けていらっしゃる方も珍しくはありません。 それらの死者を見送るとき、「あ、この人は立派な人だな、この人は成功者なんだな、この人は落伍者だったんだな」などと感じるかといえば、感じないのです。 あるのは等く、尊敬の想いというか、畏怖の想いというか、畏敬の想い、という言葉がいちばん近
Blue あなたとわたしの本 265 (「パーフェクト デイズ」感想) タカシが急に仕事を辞めた翌日、サトウと名乗る女性清掃員が来るのですが、これが堂々としていて、実にカッコいいんですよね。職種うんぬんではないのです。自分が自分の仕事をどう思っているかどうか。そして大切なのは、自己イメージなんだと思う。きっとサトウは、見事な清掃作業をするのでしょう。自らのサービスに自信を持っているのでしょう。そういう人は、すてきに見えます。どんな職業であろうと。その人物が、どんな見た目であろうと。サトウと会ったあとの平山の顔はうれしそうです。サトウと平山のいる世界は、つながった・同じ世界なのかもしれません。 そして、田中 泯さん演じる踊るホームレスの男。平山は交差点で男を久しぶりに見かけます。交差点の中央で、男はいちど両手を上げ、回れ右して戻っていきます。背中には、やはり焚き木が背負われている。この男はな
Blue あなたとわたしの本 264 (「パーフェクト デイズ」感想) 田中 泯さん演じる、踊るホームレスは背中に焚き木を背負っているんですよね。これがヒントだろうなと映画館でも思っていました。次回の vol.6〈完結〉で、私の考察を書きます。 平山は、いつもの神社で姪っ子のニコとお昼を食べる。平山が大木の写真をフィルムカメラで撮ったとき、ニコは、「その木は、伯父さんの友だち?」と聞きます。「そうだね。この木は友だちの木だ」と平山は答える。このセリフにも、親近感をおぼえました。 僕は、「月」が友だちなんです。夜、晴れていると、外へ出て「月」をさがしています。見つけると、ほっ、とします。うれしくなります。あれだけ大きいのに、月を見あげている人って、たいてい誰もいないんですよね。近くの小山にのぼって、月を見ることもあります。月と二人っきりになる。癒され、からだが透明になっていくのを感じます。そ
Blue あなたとわたしの本 263 (「パーフェクト デイズ」感想) 休日の夕方、平山は出かけます。フォークナーの「野生の棕櫚」も読み終えたようです。歯をみがき、口ひげを整え、つなぎの制服もカバンに入れます。クリーニングするのです。そして、腕時計をはめるショットがここで初めて出てくる。車のキーは残されます。自転車にまたがります。 神社でお参りし、コインランドリーに寄ります。町の写真屋にも行きます。フィルムをあずけるのです。この店の主人は、アメリカ文学研究者で翻訳家の柴田元幸さんですよね。僕もずいぶんとお世話になっている翻訳家さんです。オースターとか、ミルハウザーとか。この柴田さん、演技も上手いのですよ。「上手いも何も、『こんにちは』とか『うん』くらいしか言っていないじゃないか」と思われる人もいるかもしれませんが、カメラの前でお芝居をした経験のあるかたならわかると思います。自然な動作で、こ
Blue あなたとわたしの本 262 (「パーフェクト デイズ」感想) この日も、いつもとまったく同じ朝のルーティンが映されます。ガラケー、財布、フィルムカメラ、車のキー、小銭、と順番に取っていくのも同じです。腕時計は、この日も棚に残されたままです。アパート前の自動販売機。ここで買われるのも、いつもと同じBOSSのカフェオレ。 トイレを清掃する平山。木漏れ日にも時おり目を向けます。 若い同僚のタカシが思いを寄せている(キャバクラ嬢らしい)アヤが来る。ミニバイクにアヤを乗せ、タカシはどこかへ行こうとするが、バイクの調子が悪い。タカシは、車を貸してくれと平山にせがむ。平山はしぶるが、アヤが立ち去りそうになるのを見、貸すことにする。平山は口かずは少ないが、思いやり深い性格であることがわかる。アヤを見ている平山の横顔のショットから、三人がすでに車に乗っている画面へジャンプする。スピーディーな編集が
Blue あなたとわたしの本 261 (「パーフェクト デイズ」感想) 平山は神社に昼食をとりに行きます。鳥居をくぐるときに一礼する平山。境内のベンチでサンドイッチを食べるのです。 平山は、大木を見あげ、フィルムカメラで葉むらを撮影します。木の下に生えていた小さな草木を丁寧に掘り、持って帰ったりもします。 清掃するシーンがまた描写される。その後、大木に絡みつくようにして踊る・ホームレスらしき男(田中 泯)が初めて画面に映る。この不思議な男は何のメタファーなのだろうか、という話に当然なると思います。のちほど私の考察も書きます。この説は、いまのところネット上などでは見かけません。 平山は仕事を終え、まだ陽も高いうちにアパートに帰ってきます。話は少しズレますが、これでいいのではないかと個人的には思います。人は、このくらいの時間に帰宅してもいいのではないか、と。毎日、夜遅くまで働く生活のほうが不自
Blue あなたとわたしの本 260 (「パーフェクト デイズ」感想) 「PERFECT DAYS」の Blu-ray を購入してじっくり観直してみました。 最初のショットは夜明けの東京です。ラストのカットも東京の夜明け。つまり、ルーティンとしての平山の生活は変わっていないわけです。それが示されている。でも、ささやかではあるけれど、その数日間にいろいろなことがあった。平山の〝影〟は、出会った人物たちの〝影〟と重なり、より深まった。ゆえに最終場面の、あの泣き笑いにも似た表情となったのでしょう。 オープニングから順番に観ていきます。 朝、近隣の老女の使う竹ぼうきの音──、60代であろう男が目を覚まし、布団をたたむシーンから物語は始まります。確信に満ちたような男の動作に惹きこまれます。部屋のなかにある植木に、霧吹きで水をやるシーンがつづく。葉を守るようにかざされた左手。水をやり終えたあと、草木を
Blue あなたとわたしの本 259 「彼は◯◯の影響を受けている。モノマネだ」 「彼女は◯◯に憧れすぎてる。作品がそっくりだ」 こういった発言をここのところ続けて聞く機会があり、考え込んでしまいました。これらの発言はもちろん否定的なニュアンスで語られたのです。 たしかに〝◯◯さん〟はひとりいれば充分なわけで、まちがった意見とも言えないでしょう。 だけどもさ、思うんだけどさ、だれの影響も受けないで、ポコポコ作品を創り出せる人って、いるんでしょうかね? もしいたとしてもその段階の作品って、きわめてレベルの低いものなんじゃないかって気もします。 だれかの影響を受けるってことは、その人の創り出したものを「素晴らしいなぁ」って思えたわけでしょ。その作品の優れた点を理解できたわけですよ。それってすごく喜ばしいことだと僕は思います。ましてやある程度 似せられたのだとしたら、あきらかに才能がありますよ。
Blue あなたとわたしの本 258 本稿は先月投稿しました「『PERFECT DAYS』を観てきた。頭から離れなくなる映画だった。vol.1 vol.2 vol.3 」を1本にまとめ、若干の加筆修正を加えたものです。 「PERFECT DAYS」関連の最新記事はこちら。↑〈vol.6 で完結〉 映画「PERFECT DAYS」をもう観られただろうか。あなたがどういった感想を抱くのか、とても興味がある。もしまだ観られていなかったら──ネタバレもこれから書いていくので──鑑賞後にこの文章を読んでもらってもいいのかもしれない。 真っ白な状態で映画を観てみたいとお考えなら。 役所広司演じる平山さんの最後のあのシーン。 車中、正面からの大写し。その変化する表情の演技をどう解釈するかによって、観た人の持っている価値観・人生観が浮き彫りになるようだ。 人によっては、「 平山は自らの生活をやはりみじめだ
Blue あなたとわたしの本 257 そして翌朝のラストシーンがくる。 清掃するトイレの待つ、渋谷区へ向かう車中の平山のアップ。なぜ平山さんは目に涙をためるのだろうか。泣き笑いのような表情になるのか。感情がせわしなく行き来しているように見えるのだろう。 本当に、自らの生活をみじめだと感じているからだろうか。私はそのようには思えなかった。平山の日常で直前に起こったことといえば、姪のニコや、妹・ケイコとの再会だ。そして、小料理屋のママの元夫・友山との出会い。それにより、平常は「いま・ここ」のもたらす静かな幸福を感じているであろう平山の心は過去や未来を行き来しだす。 過去にあった実家との揉めごと。浮かび上がるいくつかの場面。父親との激しい応酬。受けた心の傷。その父親もいまは老人ホームにいるという。親を100パーセント憎める子どもなどいない。愛憎相半ばするから苦しい。それは涙もにじむだろう。 姪っ
Blue あなたとわたしの本 256 その後に起こる大きな出来事といえば、やはりこれだ。平山が恋心をいだいているであろうママのいる小料理屋(開店の少しまえの時間だろう)に行ったとき、見知らぬ男性とママが抱き合っているのをドアのすき間から見てしまう。平山は逃げるように走り去る。河川敷で缶ビールをあおる。ママと抱き合っていた男性がそこへ来るのだ。追いかけてきたものらしい。その男は元夫だった。難病におかされていて、余命いくばくもないであろうことが知れる。「あいつをよろしくお願いします」と男は言う。お願いします、と繰りかえす。 この場面は、リアリティがないように思える人もいたかもしれない。だが 死を覚悟したとき、人はこれまでの人生で出会った大切な人たちに、もういちど会いに行きたくなるときがある。あやまりたくなるときが。ありがとうを伝えたくなるときが。その人たちが幸せでいてほしいと願うときが。心が透
Blue あなたとわたしの本 255 映画「PERFECT DAYS」をもう観られただろうか。あなたがどういった感想を抱くのか、とても興味がある。もしまだ観られていなかったら──ネタバレもこれから書いていくので──鑑賞後にこの文章を読んでもらってもいいのかもしれない。 真っ白な状態で映画を観てみたいとお考えなら。 役所広司演じる平山さんの最後のあのシーン。 車中、正面からの大写し。その変化する表情の演技をどう解釈するかによって、観た人の持っている価値観・人生観が浮き彫りになるようだ。 人によっては、「 平山は自らの生活をやはりみじめだと思っていた。だからラストで涙するのだ」と捉えるらしい。何人かからそういった感想を聞いた。私はそのようには受け取れなかった。 もちろん映画や小説の解釈は人それぞれだし正解はない(年齢や境遇によっても変わるだろう。この映画はとくにそうだと思う)。製作陣や作者には
Blue あなたとわたしの本 254 タイトルを、「一瞬にして幸せになる方法」とどちらにしようか悩みました。どちらでもよかったと思います。 人っていうのは、すでに叶っていることよりも、まだ叶っていないことに意識を向けがちだと感じます。叶ってることって意外と多いんですよね。思考がすでに現実化していることって、多い。「いやいや、それがしていないんだよ」って人は言うかもしれないけど、それって、その人にとっての〝究極の目標〟であったりするんです、まだ現実化してないのは。でも、アレもアレもアレも叶ってるでしょ? って聞くと、やっぱり叶ってるんです(笑)。 これってどういうことかって言うと、いかに人が叶っていない事柄にばかり目を向けて日々を送ってるかってことです。コップに水が半分だけ入ってる例がよく挙げられるけど、入っていない半分ばかりに注目してるってこと。半分入っているどころか9割満たされていたとし
Blue あなたとわたしの本 253 けっきょくさ、 あなたの人生で何が起ころうともさ、 ポジティブにとらえて 喜んでいればいいということです。 いいことが起これば そりゃ喜べるだろうけど、 不愉快なことや嫌なことが起こってるのに ポジティブにとらえて喜ぶなんて 普通はできないでしょ、って あなたは言うかもしれない。 そうだね。 でもさ、 あなたとわたしだからさ、 もう「普通」は やめてもいいんじゃないかなぁ。 もう「普通」はやめようよ。 不愉快なことが起こって 不愉快だと感じて 不愉快な反応しても もっと不愉快なことが 押し寄せてくんだよなぁ。 当てつけみたいに。 だから 喜びのほうへ 意識を向けよう。 ポジティブな気持ちになれる 「大好き」なことに サッ、と焦点も切り替えよう。 ──「問題」が起こったとき、 「で? それが何か?」とつぶやくという 〝裏技〟にも時には救われます。 技、は
Blue あなたとわたしの本 252 それでもまだ命があるじゃないですか。 それをやっていると、 ご自身が消えてしまうほど、 好きなことも。 それを命綱として、生きてゆけばいいのです。 甘美な甘美な命綱です。 何度も何度も死に、 生き返ったあなただからこそ、 見える世界ってあるんです。 気づけることってあるのです。 自分をいじめることももうやめましょう。 苦しめば苦しむほど、 あなた本来の道から それてしまいます。 心地よくあれば 心地よくあるほど、 あなた本来のあなたと 合致します。 「なぜだかわからないけれど 大好きだ」 「なぜだかわからないけれど 楽しいなぁ」 それがあなたの魂の根なんだから。 生まれ変わった 何十回目かの今回の人生を、 さぁ、生きよう。 命があるじゃないですか。 まだ命があるじゃないですか。 それをやっていると、 ご自身が消えてしまうほど 好きなことも。 大切な大切
Blue あなたとわたしの本 251 人生とは「いま・ここ」の連続であるということを理解している人は多い。人生には常に「いま・ここ」しか存在しない、と。 ゆえに、「いま・ここ」を有意義に過ごそう、「いま・ここ」を楽しもう、と人は気持ちを向けるし、僕自身そういった「Blue〜」をずいぶんと書いてきたような気がします。 いまを生きよう、 いまを楽しもう、と。 そのこと自体はまちがっていないと思う。 ただ、あなたやわたしのように、ある種 まじめすぎるというか、言語が好きで、かつダイレクトに受け止めてしまうタイプの人は、 いまを有意義に過ごそう、 いまを楽しもう、 と意識しすぎると、その言葉自体が強迫観念となり、呪縛されてしまう危険性があることに、このところ気づきました。 それが今回 言う、「落とし穴」。 言葉とはなんでしょう。 言葉はとても不完全なものです。 いまを有意義に過ごす。 いまを楽しむ
ものすごく、お久しぶりとなってしまいました。智(とも)です。 『Blue あなたとわたしの本』ベスト第5弾をお届けします。 ブログ「Blue あなたとわたしの本」のタイトルカテゴリである 『Blue あなたとわたしの本 201〜250』から15本を選びました。 投稿日の古い順からリンクを貼っていきます。 僕、この『Blue〜203』、書いたことをほとんど忘れていました。久しぶりに読んで、「そうだよなぁ」とつぶやいていました。 このことを、忘れちゃいけないですよね。あなたのそんな今日こそ、ニュースにしたい。 『Blue〜205』は、 よくぞ言ってくれた、ラクになった、といったお声をけっこういただいた回でした。人によっては、 病的なことを書いているなぁ、と感じられたかもしれませんね。でもこのサイトは「Blue 不特定多数のかたの 本」ではないですから。「Blue あなたとわたしの 本」ですから
Blue あなたとわたしの本 250 命が尽きるその瞬間まで、 好き、を優先しよう。 自分自身、であろう。 自分自身、を貫こう。 「こうでなければならない」など何一つこの世界にはないんだから。 どこの誰が決めたかもわからないような価値観・常識に従う必要などないのです。 この二年余りだってさ、今まで「よし」とされてた価値観がずいぶんと崩壊したぜ。 「新しい生活様式」っていうのが出てきたじゃないですか。あのとき、でも思ったよ。 「〝新しい〟 も何も、30年以上前から俺が実践してる生活様式じゃねえか」って。 買い物は一人で行け、とかさ。 並ぶときは距離をとれ、とかさ。公園はすいた時間に、とか。 自転車を利用しろ、だの。筋トレは自宅で、だの。食事に集中して喋るな、だの。お酌は控えろ、とかさ。 お酌したり・されたりすることほどゾッ、とすることもまぁ、あんましないよ、僕。 俺の時代が来たのかよ、って思
Blue あなたとわたしの本 249 あなたが誰かを、あなたの思う通りに動かそうとしても無理なのです。 あなたが誰かの本心を、完全に把握しようとしてもそれも無理なのです。 それを無理だと悟らずに試みつづければ、エネルギーを浪費していくことでしょう。 最後には、「自分は無力だ」とまで感じてしまうかもしれない。 あなたがあなたの思う通りに動かせるのは〝あなた自身〟だけだ。 あなたがその本心を十全に汲み取れるのも〝あなた自身〟だけだ。 ムーミンに出てくるボヘミアン、スナフキンはこう言った。 「ほんとうに大切なのは 自分のしたいことを 自分で知ってるってことだよ」 僕たちが、最も関心を寄せなければならないのは、自分自身の本心だ。 僕たちが大切にしなければならないのは、自分自身が〝何をやりたいか〟だ。 自分自身を、思う通りに動かす、ということ。 そこに焦点を当てていれば、エナルギーが充電されていく。
つぶやき Blue 19 えらい大っぴらに着陸しとおんなぁ、近ごろのUFOは‥‥。 ©️ 智(とも) btomotomo.hatenablog.com
Blue あなたとわたしの本 248 いつも文章のことを考えている。 朝、目覚めると、文章のことを考えだす。 文章が書けるから、ベッドから出ようかと思う。 日中も文章のことを考えている。 夜、ベッドの中でも文章のことを考え、 眠りの中でも、文章の新しい技術・表現を思いつくことを願う。 日本語、というのは、まだ完成されていない言語です。 ひらがな・カタカナ・漢字の組み合わせの効果。思想としての句読点。係り受けのさらなる探求。文末のバリエーション。過去・現在・未来、時制の移動。リズム、スピードのコントロール。人称のポシビリティー。無窮文体。 無限の、とてつもない可能性が残されてる。 それらを、追い求めたい。 言葉をさわらせてもらえること。 言葉をつつめること。 言葉をそっと移動させられること。 言語を尊重し、 言語に感謝し、 言語を楽しめること。 文章のことを考え、 言葉をつづれることが嬉しい
Blue あなたとわたしの本 247 ご夫婦のお話をよく聞かせていただきました。 一時期、そんな機会が多くありました。 「ケンカが絶えない」と、みな仰るのです。 「実はこうこう、こんな感じでね」とご主人が言われます。 すると間髪をいれずに奥さまが、 「あなた違うでしょ! こうこうこうでしょ!」と返される。 「お前、ちがうだろ! こうだろう!!」 「いぃィイー! あなたこそ間違ってるわー!!」 そして声をそろえてこう聞かれます。 「どうしてケンカが絶えないんでしょう?」 ── そら絶えんやろと。 少し大げさに書きましたが、ほんとこんな感じなんですよ。 「イエス・バット法」は、営業シーンでよく使われる話法です。 相手の発言を、「本当にそうですね(yes)」といったん肯定し、「でも(but)」と自分の伝えたいことを〝そのあと〟に言うトークスキル。「そうですね(yes)」といちど理解を示されていま
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