タグ

2016年1月1日のブックマーク (5件)

  • 天皇陛下お誕生日に際し(平成27年) - 宮内庁

    宮内記者会代表質問 問 今年は自然災害などいたましい出来事があった一方,日人2人がノーベル賞を受賞するなど,明るい話題もありました。天皇陛下は戦後70年の節目に当たり,新年のご感想で「満州事変に始まる戦争歴史を学び,今後の日のあり方を考えることが極めて大切」と述べられ,パラオをはじめ,国内外で慰霊の旅を重ねられました。また,全国戦没者追悼式では「さきの大戦に対する深い反省」という表現を新たに用いてお言葉を述べられたほか,玉音盤の原盤や,御文庫附属庫の公開もありました。年明けには,フィリピンへの公式訪問が予定されています。 戦争や平和への思いに触れながら,この1年を振り返るとともに,来年へのお考えをお聞かせください。 今年の自然災害としては,まず5月に鹿児島県の口永良部島の新岳(しんだけ)が噴火して,海岸まで達する火砕流が発生し,全島民が島から避難したことが挙げられます。火砕流は雲仙岳

    天皇陛下お誕生日に際し(平成27年) - 宮内庁
  • 天皇陛下のご感想(新年に当たり):平成28年 - 宮内庁

    英文 昨年は戦後70年という年に当たり,多くの人々が先の戦争に思いを致した1年でした。新年を迎え,改めて国と人々の平安を祈念します。 東日大震災から間もなく5年を迎えようとしています。未(いま)だそれまで住んでいた地域に戻れずにいる人々や,仮設住宅で苦労の多い生活を送っている人々があることが案じられ,こうした人々が寒さの厳しい冬を健康に十分気を付けて過ごされるよう,そして,被災地域の復興が少しでもはかどるよう,願っています。 私どもの住む日は誠に美しい自然に恵まれる一方,自然災害を受けやすい環境にあり,今年も日人一人ひとりが防災の心を培うとともに,お互いが気を付け合って,身を守る努力を続けられることを心より希望しています。 年が日と世界の人々にとって幸せな年になることを祈ります。

  • 日韓外相会談 慰安婦問題で最終的解決を確認 NHKニュース

    韓国の外相会談がソウルで行われ、慰安婦問題を巡って、日政府は責任を痛感し、安倍総理大臣が、心からおわびと反省の気持ちを表明するとしたうえで、日韓両政府は韓国政府が設置する財団に日政府の予算からおよそ10億円の資金を拠出し、元慰安婦への支援事業を行うことで合意しました。また、両政府は、この問題が「最終的かつ不可逆的に」解決されたことを確認しました。 会談のあと、両外相はそろって記者発表を行い、合意事項について発表しました。この中で、岸田外務大臣は「慰安婦問題は、当時の軍の関与のもとに、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日政府は責任を痛感している」と述べました。そのうえで、岸田大臣は「安倍総理大臣は、日国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表

    日韓外相会談 慰安婦問題で最終的解決を確認 NHKニュース
  • 商店街を1年追いかけて見えたもの - Sakak's Gadget Blog

    久しぶりに、せと銀座通り商店街をブラブラ歩いてきました。また記事の後半は、今年(2015年)の商店街記事を振り返ってみたいと思います。 ◇ 夜のせと銀座通り商店街 ほぼ日が暮れてしまいましたが、この時間もけっこう好きです。 noveRuga(レディースアパレルのセレクトショップ)/せと銀座通り商店街 仲良くさせてもらっている飯島さんのお店です。商店街の活性化などの話題について、よくお話を聞かせてもらっています。 飯島さんは、今年、私が参加した以下の2つのイベントにも主導的に関わっていらっしゃいました。とても楽しませていただき、私にとっても良い思い出になりました。 私にとっての今年1年を通した最大のサプライズと言えば、写真繋がりのSHUTTER HOLICろんすたさん(id:lonestartx)と、まったく別のところで繋がっていた飯島さんが、ひとつのイベント(ニコ生)でコラボするっていう、

    商店街を1年追いかけて見えたもの - Sakak's Gadget Blog
  • あの戦争を生き残った私からあなたへ(飯田進)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    あの戦争とは何だったのか。 あれが「防衛のための戦争」であったという見方は根強くある。しかし他方で、あれが「侵略戦争だった」と言われれば、そう思われる歴史的な筋もないことはない。 そのように世の中を二分するような全く異なる見解があるとき、正邪を軽々しく論ずるわけにはいかない。いずれの立場にも考えがあり、部分的に見ればそれぞれの主張には論拠があるからだ。あの戦争の背景にはかなり複雑な要因があった。それは、70年の時を経た今なおそう思う。 一口に言えば、日人はそもそも浮き上がっていた。それは誰も否定できないはずだ。 私もその中の一人である。1941年の末に太平洋戦争が始まり、まだ20歳にも満たなかった感受性の強い時分の私は、いわゆる「興亜青年」のはしくれだった。「日は神国である」という極めて単純な考え方──あまりに神がかり的で、独善的な思想がその背景にあった。 そもそも日の近代とは、欧米

    あの戦争を生き残った私からあなたへ(飯田進)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ