JR東日本が交通系ICカード「Suica(スイカ)」の販売を停止してから1年が経過した。世界の半導体不足は2024年に解消に向かっているのにもかかわらず、日本仕様の通信方式がネックとなり、ICカード向けの半導体が足りない。訪日外国人にスイカを発行できず、不便を強いている問題も生じている。JR東と首都圏私鉄各社などが出資するパスモ(東京・新宿)は、23年6月8日に無記名カードを、8月2日に記名式
京成電鉄は21日、開業当時に「成田空港駅」だった東成田駅(千葉県成田市古込)で、普段は立ち入れない設備を報道陣に公開した。スカイライナー運行開始50周年企画として22、23の両日に同駅で開く「昭和・平成ノスタルジーミュージアム」で一般にも公開するが、当日券には限りがある。 京成電鉄によると、東成田駅は1978年に「成田空港駅」として開業。91年にターミナルへ乗り入れる今の成田空港駅ができたことで、最寄り駅の役目を終えた。 京成電鉄の東成田線と芝山鉄道の芝山鉄道線が乗り入れるが、昨年度の1日平均の乗降は1928人。全69駅のうち66番目で、地元住民以外の利用は少ないという。成田国際空港会社(NAA)が2029年3月を目標とする機能強化後の姿は定まっていない。 東成田駅は設備を往時のまま残しており、貴重な鉄道遺産。京成電鉄は、成田市制施行70年記念の協賛事業と位置付け、セレクトショップ「フリー
駅から遠い場所が分かる地図 今回、こんな地図を作った。どの駅からも遠い場所ほど赤く、近いほど青く塗り分けたものだ。 これは東京の渋谷区や港区のあたり。中央に広尾駅があり、その周辺一帯が赤く、どの駅からも遠くなっているのが分かる。 こんな地図を作ったのには理由がある。当サイトの2006年の記事「陸の孤島が渋谷区にあった」で、山手線内のどの駅からも一番遠い場所を発見して訪れているのだ。その方法がむちゃくちゃ素敵なので改めて紹介したい。 「陸の孤島が渋谷区にあった」の図をもとにアニメーション化したもの 上の図のとおり、 1. 山手線内のぜんぶの駅に小さい丸を打つ 2. 丸を膨らませる 3. 最後まで残った場所がどの駅からも遠い場所 というものなのだ。頭いい! 記事ではその結果として分かった場所へ行っているのだが、記事を書いた林さんによる本文の結びはこうなっている。 ふむふむ、23区内で駅から一番
2023年3月11日、東急の前身・目黒蒲田電鉄(以下、目蒲電鉄)の最初の開業区間である目黒―丸子(現・沼部)間の開業から100周年を迎えた。同社の創立は、開業前年の1922年9月2日であり、この日が東急の創立日とされている。 東急は、創立100周年に合わせ『東急100年史』を編纂した。1973年4月の『東京急行電鉄50年史』発行から半世紀を経て編纂された100年史は、当然のことながら新たな視点で執筆されている部分も多い。 『100年史』で見直した視点 100年史の編纂に当たった、東急広報グループ主査の竹内敏浩氏は、大学時代に交通地理・交通史の大家として知られた故・青木栄一東京学芸大学名誉教授のゼミで学んだ経歴を持つ。学生時代に東急50年史を読んで下記の点に違和感を覚えたといい、100年史の制作に携われるのならば、見直したいとずっと思っていたという。 「当社は成長の過程で、池上電気鉄道(現・
「タモリ倶楽部」3月末で終了 放送40年「役割は十分に果たした」 さらば空耳アワー、マニアック企画…
タイムズスクエアでおなじみ「新宿高島屋」 本当は駅ビルに入るはずだった! なぜ実行されなかったのか、歴史をたどる 「新宿にある高島屋」といえば、大抵の人は新宿駅南口の「タカシマヤタイムズスクエア」を思い浮かべるだろう。同施設は1996(平成8)年に開業した、新宿南口のシンボル的存在だ。 そんな高島屋が新宿進出を模索した最初のときは 「昭和20年代」 だったことは、あまり知られていない。 戦後復興を迎えた時期、高島屋は駅ビルを利用したターミナルデパートの出店を模索してた。渋谷には東急が、池袋には西武がそれぞれデパートを開業し、沿線住民を顧客としてにぎわいを見せていたからだ。 1951(昭和26)年、高島屋にターミナルデパート出店を最初に持ちかけたのは国鉄だった。この頃、国鉄では東京駅八重洲口の外濠川を空襲のがれきで埋め立てる再開発を計画していた。 当時建設されたのが鉄道会館(2007年閉館、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く