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数年お付き合いして頂いている方にはそろそろぼくの思考回路がご理解頂けてると思うんですけど 「死ぬほど惚れ込んだ作品が出会った時点で既に時代遅れの作品でしかも新作がほぼ望めない」 状態をじわじわと5年ほどぶっ続けで味わってるところに いきなり(予告はあったにせよ)続編の一報が入ったことに対するこの狂乱とも言える喜びっぷりをちょい理解して下さい。 世の中に出てないゲームは買えないしやれないの。 脳内にしかないゲームはどんなに名作でもあそべないの!買えないの!やれないの! 素直に喜べ。 お前らの不安の種なぞわたしの孤独な悲しみとは種類が違う。 「リアルタイムで体験した」ってだけでうらやましいんだよ。 きみらは続編やリメイクの出来がさんざんでもきみら自身の思い出と財産に逃げ込めるが ぼくには逃げ込める思い出なぞないからな。 目の前にある新作だけがのちの思い出になりうるだけで。 ねえ続編やリメイクが
だが、嫉妬されたからといって、天才が証明されるわけではない。 魂の重さは何グラム?―科学を揺るがした7つの実験 (新潮文庫) 作者: レンフィッシャー,Len Fisher,林一出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2009/03/28メディア: 文庫購入: 4人 クリック: 29回この商品を含むブログ (13件) を見る科学の発展に寄与したりしなかったりした7つの分野での実験と論争の数々、その意外な結論とは。(文庫裏表紙ヨリ) 「ビスケットをいかに崩壊させずに液体に浸すか」という研究でイグノーベル賞を受賞した著者。彼が描く科学の歴史は、あまりに滑稽で残酷だ。ただ中心にあるのは科学的発見であって、科学者本人の人権ではない。そこが興味深い。科学者本人がどうなろうと筆者には関係ない、一応気にはしているみたいだが、おおむね「晩年は不幸だったが」で終わってしまう。 おれはむかし、才能ある人が野にうず
今回の旅の一番大きな目的はある場所を探すこと。 俺は物心がつく前後の4−6歳のほんの一瞬、当時の気仙郡三陸町綾里で育った。そのときに裏の山で不思議な人にあった記憶がある。 いつものように遊んでいると、見たこともないおじさんが現れた。見たこともないような汚いおじさんだった。 このときに、確か誰かと一緒に遊んでいたはずだけど、このときの友達の記憶は一切ない。 そしてこのおじさんは俺達の方を見て、にやっと笑って言った。 「面白いものをみせてあげよう」 そういってポケットの中に手を入れると…数匹の蛇を取り出して差し出したんだ。 どう考えてもヘンテコな記憶だ。 テレビで見たり小説で読んだ記憶が交じってそうだ。そもそも場所もどこだったか、具体的には覚えていない。 全部が現実じゃないのか、一部が現実なのか、もしかすると全部が現実なのか。 その手がかりがほしい、と思ってきたが、なにせ一日数本の汽車を乗り継
昨年は当ブログを読んでいる方からの縁故があって、同人誌に寄稿*1したのですが今年は自分でも同人誌を製作してみようと思います。実のところ、昨年の秋頃から水面下で活動を同人を募っていたのですが、そろそろメンバーも大方揃ってきましたので大々的に発表を。この文芸同人「UMA-SHIKA」には現在、以下の方から参加表明をいただいています。 id:acidtank(小説。たぶん) id:ayakomiyamoto(小鳥マンガ) id:Delete_All(小説) id:Dirk_Diggler(メタル青春小説) id:yoghurt(小説。たぶん) id:yoneyacco(イラスト) id:heimin(未定。酒飲んでるときに「やる!」と言ってくれた) 私(小説。主宰) 活動成果の発表は、次回の文学フリマあたりになると思います。揃いも揃って自分よりもメジャーどころ、面白いブログを書いている方にメンバ
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保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』というのは、 (活字化のため削除) 保坂は最初のほうで、いじめられっ子のような人間こそ小説を書くべきだが、自分などはそれどころかいじめっ子だった、と書いている。私は保坂の小説に感心したことがなく、何かほっとした。いじめっ子だった奴の書いた小説になど感心したら、情けないしね。 保坂は執拗に、ネガティブな経験などを描くな、と繰り返している。私はむしろ、ネガティブなことを進んで書くべきだと思っている。最後の方になると、「自分をいじめた小学校の同級生へのうらみつらみ」などを小説にすることを批判して、それは「小説という形式を利用しているだけではないのか」と書いている。利用して何が悪いのか。小説というのは、何でも書ける形式である。古来、数多くの作家が、小説という形式を使って、政治や社会を諷刺したり、批判したりしてきた事実を、保坂は無視している。だが、保坂
面白いとは何だろう?最近、狂気についてよく考える。面白いものに、やはり狂気は不可欠だからだ。正確に言うなら、正気と狂気、その混ざり合った中に、面白さというのはある。その絶妙のバランスやミスマッチが引き起こす矛盾、あるいは不確かな境界線に、魅力というものの真実が隠れている。だから、面白いものを作りたいなら、あるいは面白い存在になりたいなら、正気の中に、ちょっと狂気をまぶすことだ。蕎麦屋のカレーに入ってる蕎麦つゆのように、隠し味としてほんのちょっと、ギリギリ分からないように(あるいは確信犯的に分かるくらいに)狂気を含ませておくことだ。 問題は、「それをどう含ませるか」ということだ。何かを面白くしたければ、正気の中に狂気を含ませなければならない。常識を突き抜けた、狂った感覚を混ぜなければならない。モーツァルトのように、狂った感覚でピアノに向き合わなければならない。ゴッホのように、狂った感覚でキャ
古くからの友人が高校で非常勤の美術講師をしていて、毎年新しいクラスを受け持つと必ずやる授業がありますにゃ。 自己紹介をすませ、授業の方針を説明し(特に、成績をつけるにあたり、他人の妨害をしない限りは授業態度はいっさい不問であることを強調する)、得意のトランプ手品を披露したりしたのちに、最初の授業が残り15〜20分くらいになると、こんなことを言い出すのだにゃ。 「美術って、遊びを商売にしているようなものだけど、学校ではそんなに遊んでばかりいると教頭先生に叱られてしまうので、ちょっとは絵を描いてみようか」 とA4のコピー用紙を配る。 「さーて、紙はいきわたったかな? それでは、わけた紙にちょっと絵を描いてもらう。これから黒板に書く条件で描いてもらうぞ。」 と、以下を板書する。 画材は何でもいい。鉛筆でもボールペンでもマジックでも、持っているものを適当に使うこと ただし、紙を見てはいけない。下敷
追記 補足となる論考をあげましたにゃ。この花は、まことの花にはあらず@風姿花伝 - 地下生活者の手遊び 7/7 1:25 追記ここまで 皿の上のリンゴ - 地下生活者の手遊びで紹介した非常勤の美術講師と茶飲み話をしましたにゃ。彼によると、「ある種の【囚われた】タイプがどうも最近増えてきたのではないか」というのですにゃ。 「その、ある種の【囚われた】タイプってどういうのなのかにゃ?」 「他人と同じことをやりたくない、というやつ」 「そういうの、昔からいただろにゃ?」 「増えてるし、かたくなになっている」 音楽もそうなんだろうけど、美術についても実は「理系」といっていい部分が結構ありますにゃ。遠近法とか色彩理論とかいうプロとしては身につけなければ話にならにゃー理屈はほとんど理系的なアタマの使い方を必要とするし、デッサンの構図には「正解」といっていいものがありますにゃ。このあたりの基礎理論とか「
昨日のエントリを別の角度から 飲み仲間のひとりに、数学の個人塾をやっている高校の先輩がいますにゃ。この間、ひさしぶりにこの先輩と飲んだおりに、ちょっとびっくりする話を聞きましたにゃ。 「高校の数学の試験で、授業で教えていない解答をすると×にするようになった」 「はあ!? 別解はご法度ということですかにゃ?」 「そうだ。中学ではあったんだけど、高校でもそうなった」 「高校って、もしかしてA高(僕らの母校で、いわゆる進学校)でそうなんですかにゃ!!??」 「そうなんだよ。まあ受験生になれば何でもアリになるようだが、1〜2年の定期テストでは別解が認められなくなった」 「工工工工工工工工工エエエエエエエエェェェェェェェェェェェェェ(゚Д゚;│」 「俺だって信じられねえよ」 「数学って自由なものではなかったのですかにゃ?」 「俺だってそう思いてえよ」 「別解って誉められるものではなかったのですかにゃ
I am a student. ああ、英語を かくのは いやなものです。「アイ アム ア ステューデント」。「わたし は 学生 です」。 ってことですね。言語音は、連続しているもので、アイとアムとアとステューデントの間に、音のきれめが くっきりあるわけではありません。けれども、文字で表記するときには、ことばの きれめにスペースを いれています。これを日本語では「わかちがき(分かち書き)」と いいます。 世界の言語のなかで、この わかちがきを しない言語は日本語と漢語(いわゆる中国語)ぐらいだと いわれています。もちろん、ほかにも いくつか あるはずですが、わかちがきを しない言語としては、日本語と漢語が代表格です。 とはいえ、日本語だって わかちがきされることも あります。小学校の教科書や日本語点字では わかちがきを しています。語学書としての日本語の入門書でも、よく わかちがき されてい
マサルはジンジャーエールを酒だと思っていたが、アキフミはサンタクロースを信じていた。カズヒコは日ハムファンだったが、ショウゴの兄は東京ドームでバイトをしており、クミはカラフルなボールペンを沢山持っていながら使わず、アケミはいい匂いのする消しゴムのカスを鼻に詰めて馬鹿にされた。ハジメはこの前漢字検定を受けたが全然できなかった。トウマはまた口内炎ができていたが、ユカリはまぶたがぴくぴくしていた。タケシは兄の引き出しから図書券を盗み、ハルキはペットショップのフェレットを二匹ケージから逃がした。ミサトは髪の毛がまとまらなかった。ルリはランドセルに入れていたキャラメルが溶け、コウジは相田みつをの詩集を母親に買い与えられた。ヨシコの父親はまたも失業した。カスミは姉の彼氏が不細工なのを鼻で笑い、タツヤは自主的に後ろ髪を伸ばし、リョウコは島田紳助に心酔していた。ユウスケは味噌田楽がかなり好きな自分に気付い
たか 2008/07/09 02:46 「HAIR」の歌詞も好きです。脈絡はありますけど(あるのか?)「フリフリ65」とか「シュラバラバンバ」の歌詞も好きです。槇原ノリユキとは真逆な歌詞ですね。どっちが良い悪いは無いですけど、詞先のミュージシャンが書いた詞より、曲先のミュージシャンが書いた詞の方が僕も好きです。 norishiro7 2008/07/09 10:20 やっぱり変わったものを求めますよね。詞に力を入れたいから詞を先に、じゃないんですよね。普通の書き方をしたものは、中学生とかじゃなきゃもう知ってるし。僕はもう、それで良い悪いにしていい時期だとちょっと思ってます。個人の好みはもちろん別ですけど。 「HAIR」は初期キング・クリムゾンの作詞専メンバーのピート・シンフィールドみたいにしたって言ってましたね。脈絡はないんじゃないでしょうか。
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