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弔辞に関するharu-kのブックマーク (3)

  • 地震に命を奪われたあの子たちの手をもう一度握るためなら、何だって差し出すのに | 【モダン・ラブ】前妻と子供を失った夫の10年

    愛をテーマにした米紙「ニューヨーク・タイムズ」の人気コラム「モダン・ラブ」。読者が寄稿した物語を、毎週日曜日にお届けします。 今回筆を執ったのは、前と彼女の間にいた二人の息子を大地震で失った過去を持つ夫と寄り添う女性だ。二人の間にも子供が生まれたが、幼い子供たちに夫は過去をどう語り聞かせるのか。 パパの人生で、いちばん良くないことが起こった日 その日の朝は典型的な1月の朝と言ってよかったかもしれない。ぴりりとひんやりした空気が張り詰め、空は澄み渡っている。当時の私たちは東京に住んでいて、夫のアンディと結婚してそろそろ8年になる頃だった。 この日が来るたびに気分が重かった。朝、私はすっきりとした気分で起きることができなかった。夫はすでにジョギングに出ている。 ベッドで寝ていた4歳の双子の息子の手を引いて起こすと、クレヨンの箱を開けて言った。パパのためにカードを作ろうね。2人とも「なぜ」と

    地震に命を奪われたあの子たちの手をもう一度握るためなら、何だって差し出すのに | 【モダン・ラブ】前妻と子供を失った夫の10年
    haru-k
    haru-k 2022/01/09
    夫にとってそれは、「こうしておけばよかった」という後悔や、「まだできるのにしていない」という悲しみだった。同時に、「今日ならやり直せる」という気づきでもあった。/
  • 瀬戸内寂聴さんを追悼 作家・佐藤愛子「波瀾の一生を支えた無邪気さ」 | AERA dot. (アエラドット)

    瀬戸内寂聴さん(撮影/写真部・東川哲也) 11月9日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが99歳で死去した。ゆかりのある作家の佐藤愛子さんが思いを寄せた。 【写真】これは貴重!剃髪前の若かりしころの瀬戸内さんの一枚 *  *  * 佐藤愛子さん(撮影・工藤隆太郎) 私と瀬戸内さんとはそう親しい友達というわけではない。年に一度くらい、対談などの仕事がらみに会うことがあることもあれば、二、三年も顔を合せないほどの間柄です。瀬戸内さんは早くから女流文学賞などを受賞したりして、女流作家としての華やかなスタートを切っている人に私には見えていました。 私の方といえば、文芸首都という貧乏同人誌同人として細々と小説を書いて掲載してもらうような、その合間に自信作を文藝春秋や新潮社、中央公論社などへ厚かましく持っていってはあっさり断られるという日をくり返していたのです。 それでもやっとこさ私は直木賞を貰って文壇のパ

    瀬戸内寂聴さんを追悼 作家・佐藤愛子「波瀾の一生を支えた無邪気さ」 | AERA dot. (アエラドット)
  • 内田也哉子「2人の遺伝子は次へと流転」/謝辞全文 - おくやみ : 日刊スポーツ

    先月17日に肺炎で死去した内田裕也さん(享年79)のお別れの会「内田裕也 Rock’n Roll葬」が3日、東京・青山葬儀所で営まれた。 喪主を務めた長女のエッセイスト内田也哉子(43)が謝辞を述べた。 全文は次の通り。 私は正直、父をあまりよく知りません。わかり得ないという言葉の方が正確かもしれません。けれどそれは、ここまで共に過ごした時間の合計が、数週間にも満たないからというだけではなく、生前母が口にしたように、こんなに分かりにくくて、こんなに分かりやすい人はいない。世の中の矛盾を全て表しているのが内田裕也ということが根にあるように思います。 私の知りうる裕也は、いつ噴火するか分からない火山であり、それと同時に溶岩の間で物ともせずに咲いた野花のように、すがすがしく無垢(むく)な存在でもありました。率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と

    内田也哉子「2人の遺伝子は次へと流転」/謝辞全文 - おくやみ : 日刊スポーツ
    haru-k
    haru-k 2019/04/04
    父と娘の物語が、始まりにも気付かないうちに幕を閉じた
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