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哲学に関するisaisstillaliveのブックマーク (13)

  • 史上最高の哲学議論大会

    <史上最大の哲学議論大会・選手入場!> 哲学の聖地、東京ドーム地下議論場では、 今まさに史上最大の哲学議論大会が行われようとしていた……。 とくがわ「史上最高の『真理』を知りたいか―――ッ!」 観客「オ―――――――――!!!!」 とくがわ「ワシもじゃ、ワシもじゃみんな!!」 「全選手入場です!!!!」 神殺しは生きていた!! 更なる研鑽を積み人間狂気が甦った!! 超人!! ニーチェだァ――――!!! 近代哲学はすでに私が完成している!! ヘーゲルだァ――――!!! 経験されしだい還元しまくってやる!! 現象学の開祖 フッサールだァッ!!! 哲学・科学なら我々の歴史がものを言う!! 自然哲学者 デモクリトス!! 真の学問を知らしめたい!! カール・ポパーだァ!!! 著作は3部作未完だがケーレならお手のものだ!! ナチスの鉄拳 ハイデガーだ!!! 方法的懐

  • 哲学的な何か、あと科学とか

    飲茶な日々 (3日に1度は更新予定の哲学日記) 2008年10月11日 僕の中二病告白 中二病という言葉があるそうです。 ―――――――――――――――――――――― 中二病(ちゅうにびょう)とは日の俗語、スラング。 思春期にありがちな微妙にズレた自意識過剰、 それから転じて起こる数々の「中学二年生くらいの頃に ありがちな言動」を「症状」として比喩したもの。 子供が大人になろうとして、 「大人が好みそうな(と子供が考える)格好いいもの」に興味を持ち、 子供に好かれるようなもの、幼少の頃に好きだった幼稚なものを 否定したりなどする。「もう子供じゃない」「(汚い)大人になりたくない」 という自己矛盾が、実際の大人から見ると非常に「ズレて」おり、 滑稽に見えることが大きな特徴である。 さらに、生死や宇宙について思い悩んでみたり、 政治や社会の汚さを批判してみたり

    哲学的な何か、あと科学とか
  • 脳分割問題 - 哲学的な何か、あと科学とか

    1960年頃、てんかん患者の治療として、 左右の脳を繋ぐ脳梁(のうりょう)を切断する手術が行われた。 てんかんとは、 神経細胞の異常放電によって、脳全体に不当な信号が次々と伝播して、 「けいれん」などの発作を引き起こす脳の機能障害のことである。 このてんかんの信号は、左右の脳を繋ぐ脳梁(のうりょう)を 伝播することを好み、この脳梁を介して、 左右の脳に繰り返し伝播すること(共鳴現象)によって 発作を引き起こす。 そこで、当時の医者たちは、 「じゃあさ、左右の脳を繋いでる線を切っちゃえば、いいじゃん。 物理的に切ってしまえば、信号が伝播しなくなるから、 発作を軽減することができるかも♪」 と考えたのである。 そして、実際、その考えは正しく、 この脳梁切断手術(脳分割手術)によって、 多くのてんかん患者の発作がなくなった。 さて、この脳梁切断手術(脳分割手術)によって、 「左右の脳の連絡網を切

  • どこでもドア - 哲学的な何か、あと科学とか

    ――ある未来の話のこと。 ついに、人類は、永年の夢であった「ドラえもん」を開発することに成功した! そして、同時に「出して欲しい道具ランキング」で常に上位であった 『どこでもドア』も開発された。 しかし、この『どこでもドア』。 原作のように、念じた場所に自由に行けるような都合の良いものは、さすがに作れず、 事前に、町中に設置されている、別の『どこでもドア』に瞬時に移動できるという ものであった。 まぁ、ようするに、「あらかじめ、決まっている場所」にしかいけないのだが、 それでも、遠くの場所に瞬時に移動することができるわけで、 充分「どこでもドア」を再現することに成功したと言える。 この「どこでもドア」の発明により、 「通勤、通学、買い物、旅行」などの移動時間は 大幅に短縮され、人類の生活はさらに快適なものになっていった。 ――そんな、ある未来の話のこと。 ●「うわぁあぁぁぁあわあぁぁああ!

    isaisstillalive
    isaisstillalive 2011/06/03
    若返り装置のブラックジョークも似たような感じ
  • 原理的不可 - 哲学的な何か、あと科学とか

    原理的に不可能 「原理的に不可能です」という言葉があり、サイトでもよく使っているが、 そもそも、この 「原理的に不可能」とは一体どういうことだろうか? 当に、「不可能」なのだろうか? 人類は進歩することによって、今まで「不可能」だったことを 「可能」にしてきたじゃないか! いやいや、そういうことではない。 「原理的に不可能」は、ただの「不可能」とはわけが違うのだ。 禅に、こんな物語がある。 夜中、いきなり師匠が飛び起きて、弟子達をたたき起こした。 師匠「こんな夢をみたんだ!誰かこの謎を解いてくれ!」 それはこんな夢だった。 ツボに入っていたガチョウの卵が、そのまま孵化してしまった。 このまま、放っておいたら、ヒナのガチョウは死んでしまう。 しかし、そのヒナのガチョウは、ツボから出るには、大きすぎた。 だから、ガチョウをツボから出すためには、ツボを割るしかないのだが、 そのツボは非常に高

  • 哲学的問題、東洋哲学 - 哲学的な何か、あと科学とか

    つまり、あらゆる問題は、それを問題だと思わない人からすれば、 決してラチのあかない机上の空論にすぎない。 もしくは、なぜ、それが問題なのかすらわからない。 ところで、東洋の哲学(仏教を含む)などは、 この点を踏まえていて、面白い。 西洋の哲学は、そういうラチのあかない問題について、 徹底的に議論を重ねて、仮説を立てて、検証を繰り返すのに対して、 東洋の哲学は「そもそも、なぜそれを問題だと思うのか?」 という『精神構造』『思考体系』の方を主題とする。 つまり、東洋哲学における問題の解決の仕方は、 問題そのものを解くのではなく、 「それを問題視する精神構造を徹底的に理解して、 それを問題だと思わないようにする」 というものである。 それはある意味では、完璧な解決方法だ。 西洋的な解決方法では、原理的に、問題を解決することができない。 「なるほど。この問題の原因は、『A』が理由だったんだね。 お

  • 我思う、ゆえに我在り - 哲学的な何か、あと科学とか

    我思う、ゆえに我在り 誰でも知っているデカルトの有名な言葉だが、 これは「俺が考えているってことは、俺がいるんだなぁ」 という単純なものではない。 もう少し深い意味を持つ。 この世で、「最も確かなこと」は、何だろう? この世で、「全く疑う余地のないこと」は、何だろう? これをデカルトは考えた。 たとえば、目の前にある世界は、物だろうか? いやいや、これは幻なのかもしれない。夢なのかもしれない。 だって、夢を見ているとき、これが夢だとは気がつかないではないか。 今、見ているものは、実際には存在しないのかもしれない。 これが夢、幻じゃないと、どうやって証明できるだろう。 そんなことは、原理的に、決してできない。 じゃあ、数学は?学問は?論理は? いやいや、それが正しいと思うのは、思い込みかもしれない。 だって、夢をみているとき、論理的におかしなことが起きても、 それをおかしいと感じないではな

    isaisstillalive
    isaisstillalive 2011/06/03
    他のすべてが嘘だとしても「疑っている何者かがいる」ということだけは事実である。なぜならそれを疑おうとすればまた「疑っている何者かがいる」ため
  • 哲学的名言集(3)- 哲学的な何か、あと科学とか

    「俺は『納得』したいだけだッ! 『納得』はすべてに優先するッ!」 ジャイロ・ツェペリ 「JOJOの奇妙な冒険 第7部」 ぜんぜん ぜんまい まわる かぎり この世を うんと 楽しもう…… 一日一善で ぜんまい 巻き上がる これはぜいたくパラダイス…… ぜんまいざむらいの唄 ※ぜんまいざむらいとは 悪党「ぜんの助」は、泥棒の最中に、井戸に落ちて死んでしまう。 そこに神様が現れ、死体にぜんまいをつけて、 「ぜんの助」を「ぜんまいざむらい」として 生き返らせるのだった。 「ぜんまいざむらい」は、ぜんまいバネがほどけ切ってしまうと 再び死んでしまうが、善いことをするとバネが巻かれて、 しばらくの猶予を得る。 こうして、「からくり大江戸」を舞台に、 「ぜんまいざむらい」の 困っているヒトを助けて善行を積もうと奮闘する ドタバタの日々がはじまったのである。 「ぜんまいざむらい」とは、子供たちに、 善行

  • 公理(3)ルイスキャロルのパラドックス - 哲学的な何か、あと科学とか

    公理とは、「証明不可能な暗黙の了解」である。 すべての理論体系(科学、数学、哲学など)は、 いくつかの公理から、論理的に導き出された構築物である。 だが、「論理さえ公理(暗黙の了解)にすぎない」と 『不思議の国のアリス』の作者であるルイスキャロルは、自分の作中で述べている。 以下は、その内容の要約だ。 アキレスは、頭の回転の遅いカメに、 ある命題が論理的に正しいことを説明しようとしていた。 前提1 A=B である。 前提2 B=C である。 ↓ 結論  A=C である。 アキレス「というわけだ。つまり、論理的にこうなるのさ」 カメ「ん〜、わからないよ」 アキレス「論理的に考えたら、間違いなくこうなるだろ!」 カメ「ん〜、なんで間違いなく言えるの?僕もそんなに馬鹿じゃない。 A=Bはわかった。B=Cもわかった。 でも、A=B、B=Cだったら、どうしてA=Cになるの? 何の必然性もないじゃない

  • 公理(2)- 哲学的な何か、あと科学とか

    「宗教とは、『神が存在する』という公理をもとにして構成された世界観である。 したがって、宗教について反論することは無意味なことである。 結局のところ、 議論の焦点は『神が存在する』という根的な公理を認めるかどうかであり、 そもそも公理の質が『証明不可能な暗黙の了解』であるのだから、 その公理を受け容れるかどうかの個人的な問題となり、 一般的理論的な議論は無為である」 「『宗教を信じること』 と 『幾何学を信じること』は、 証明不可能な公理を受け容れているという点で、質的に同じことである」 なんと、このサイトがになりました! だと、もっと読みやすいですよ~(編集者のチェックが入っているので) 「哲学的な何か、あと科学とか」 飲茶 送料無料で注文できます Amazon 楽天 好評につき、2冊目がでました!(書き下ろし) 「哲学的な何か、あと数学とか」 飲茶 送料無料で注

  • スワンプマン - Wikipedia

    スワンプマン(Swampman)とは、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが考案した思考実験。思考などの心の状態や発話の内容を主体がその時とっている内的な状態だけでなく、来歴にも依存するものとして捉える彼の理論への可能な反論として提唱された[1]。ルース・ミリカンの目的論的意味論などの同じく歴史主義的・外在主義的な志向性や内容の理論への反例としても論じられる[2]。スワンプマンとは「沼 (Swamp) 」の「男 (man) 」という意味の英語。 ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。 この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言

  • テセウスの船 - Wikipedia

    この項目では、パラドックスの「テセウスの船」について説明しています。東元俊哉の漫画およびそれを原作としたテレビドラマについては「テセウスの船 (漫画)」をご覧ください。 テセウスの船(テセウスのふね)はパラドックスの一つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性の問題)をさす。

  • 「エロい」ってなんなんだろう ニコニコVIP2ch

    ニコニコVIPユーザー様、こんにちわ! 最近、毎日新しい商品を入荷しておりまして、 特にメンズスタイルのオススメの 「Tシャツ」、「ポロシャツ」の種類が豊富です♪ 早めに夏物をGETして、夏に向けたお出かけの 準備もバッチリにしちゃいましょう★ その前に、僕は予定入れないとな、、汗 皆様のご来店、心よりお待ちしてます! ⇒やっぱ、7分袖カーディガンが見た目キレイ 1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/07/13(火) 13:12:05.34 ID:3bMX9xVA0 ちんぽやまんこじゃないよな? 人によっても違うよな? エロいってなんなんだ? 2 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/07/13(火) 13:15:02.83 ID:3bMX9xVA0 男と女でエロさを感じる基準は違うよな うちの姉ちゃんは明らかに

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