タイトルは冗談である。しかし、猫猫先生こと小谷野敦先生言うところの「民俗学者学」になると思うが、柳田國男の人生を調べると何かと面白い。精緻な『柳田国男伝』にも出てこないような人物、例えば増田正雄、織田善雄のような偽史運動家との関係については大塚英志『偽史としての民俗学:柳田国男と異端の思想』(角川書店、平成19年5月*1)*2、行地社関係については木藤亮太・すが秀実『アナキスト民俗学:尊王の官僚・柳田国男』(筑摩書房、平成29年4月)*3で研究されている。今回は、南聡行という正体不明の人物と柳田との怪しい(?)関係について紹介しておこう。 『倉富勇三郎日記』は柳田が貴族院書記官長を辞めるに至った経緯に関する記述で注目された。だが、実は辞めた後の時期の日記にも不思議な記述がある*4。 (大正一〇年) 四月六日 (略) ○午後五時後予正に食す。有馬秀雄電話にて、安藤信昭の分家男爵安藤某[直雄、
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