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ブックマーク / diary.lylyco.com (2)

  • ある種のネト充やオタクたちは決して「リア充」にはなれない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    「リア充」という言葉、案外、廃れない。 どころか、じわじわとネト充圏外へと侵攻し始めている気配すらある。それだけインターネットが一般的になったということだろう。それにしても、リアルで充実とはややこしい概念だと思う。何しろ現実を真摯に見つめれば見つめるほど、大抵、充実からは遠ざかってしまう。現実とは来、身も蓋もないものだ。だから、充実の多くは夢や幻想や妄想に担保される。コンパやサークルの虚構性など今さらいうまでもない。そこにある人間関係も性関係も、所詮は個々人が抱く幻想同士の部分的な重なりにすぎない。解り合うことはおろか、認め合うことすらほとんどできはしない。 金持ちになることにも、異性にモテることにも、長生きすることにも、教祖になることにもさしたる意味はない。すべては等しく無意味である。一方で、巨乳を見れば揉みしだきたい衝動に駆られ、木陰で放尿する幼女の姿に興奮する。満たされぬ欲望はどこ

  • 30代を発狂せずに愉しむための2つの心がけ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    30歳を超えても、困ったことに、大抵の人は発狂しない。 それは、まだまだ人生から降りられないことを意味する。そこの10代も20代もみんな、残念ながら素面で30代を迎える。何者でもない自分をひしひしと感じ、当の自分なんてないことにも疾うに気づき、そもそも人の一生にさしたる意味なんてないんだと知って、それでも何となく正気で生きていく。そういうものだ。そもそも30代を恐れる若者たちは、そんなに充実した満足のいく10代や20代を送ってきたんだろうか。否。振り返ってみれば大したことのない人生だったはずである。30歳になって失くすような重大な幸福なんてひとつもない。ならば、これからを愉しく生きなきゃ損である。 ----- 01:飽きたことに固執しない 人間30歳にもなれば、20代までにやった大抵のことに飽きてくる。あれほどワクワクしたゲームたちが色褪せて見え、テレビを視るのも2ちゃんねるに書き込むの

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