我が家のダグウッド ダグウッドとはハナミズキのことである。昔、日本からポトマックリバーの桜の苗木を送った返礼として、アメリカから送られて来たのが日本での始まりで、アメリカ原産でアメリカヤマボウシともいうらしい。 最近では日本でも、あちこちで、街路樹であったり、庭木であっ…
それを“お調子者”と呼ぶのかどうかはわからないが、人によって態度をころころ変えるやつがいる。 露骨なやつは、一目置いているやつに見せる態度と、たとえ年長者でも、ナメてかかっているやつとでは態度があからさまに違う。こういうやつは、得てして、自分によくしてくれる人には犬のように従順だが、厳しいことを言う人には反抗的になりやすい。 この人を怒らせると怖いかも、と思っているやつにも逆らわないのだが、あなたの周りにもいないか、そういうやつ。 ときおり、鬱陶しく思えるほどに懐いてくるやつがいて、何なんだこの懐き方は、と思いながら様子を見ていると、どうやら“庇護”がほしくて懐いているらしい、とわかるやつもいる。 何かお手伝いできることはありませんか、いつでもお声がけください――、と心証を良くするためのアピールは一丁前なのだが、では何ができるかと言うと、困ったことに、たいした働きもできないやつだったりする
ずんずんの社内営業でずんずんいこう! 自称ツイッターアイドルの「ずんずん」が、外資系投資銀行という戦場で磨いたサバイバル技術をネットスラング多用気味で解説します。若手の皆さん、社内営業をするなら、ここまでやらなきゃだめですよ! バックナンバー一覧 最近ブログやツイッターで、若い人から悩みを聞いてほしい! という連絡を頂くようになりました。全員に御会いしてお話を伺わせていただきたいところですが、ずんずんは分身もできなければ、そんなに金もありません…… でも、ざっくり聞いてみると、皆さん人間関係で悩んでいるようですね。ちょうどいいタイミングで連載の依頼をいただいたので、外資系勤務の時代に編み出した私なりの「社内営業術」の話をしてみましょう。 と、始めた連載もついに最終回。みなさん、7話までももう一度読み返してみてくださいね。 ずんずんさんは、休憩室のソファに座り、意識を失っていました。 それも
世の中には、惚れっぽい人間と、野心家と、観察好きと間抜けという四種類の人間がいて、そのうちでもっとも幸福なのは間抜けである――、とイポリット・デーヌはその著書『フレデリック=トマ・グランドルジュの生活と意見、パリ覚え書き』に綴った。 モテルヤツノ人生は十三歳で決まる――、これが私の持論だ。 モテルヤツは、あるいは“人気のあるやつ”と置き換えてもいいのだが、その人が生涯にわたってモテル人生を送るか、はたまた女性にモテるという喜びとは無縁の人生を送るかの“分岐点”は、十三歳のときに訪れる。 私にはそんなふうに思えてならない。 周囲を見渡して、こいつはモテるねと思う友人、こいつは人気者だなと感じる友人は、十三歳の分岐点で、本人が意識していようがいまいが、無意識のうちに“モテる”コースを選んできたとしか思えない節が感じられるからだ。 十三歳という年齢は、中学校にあがる年でもある。私は新潟県の郡
承前――、という言葉が久しぶりに感じてしまう今日この頃ですが、承前というからにはもしかしてこれって続き物なのかも。と思い、慌てて前編を読み返した私です。 そーか、前回はあんな話が書いてあったのか。 ちょっとちょっと、どーして書いちゃうのよ。とかいうワケのわからないメールがきて、はて、何のことだろう。と思っていたら、子どもたちを笑顔にしたい。とほざいて……、もとい、とても素敵なことを言っていたあいつでした。 早速、プロジェクトの始動に向けてこれから上層部を口説きに行ってきます。なんてことがメールの末尾に書いてあった。これ以上書くと今度は連絡もくれなくなりそうだからやめとこう。頑張れよ、そのプロジェクト。 でも、口ばっかりのやつが多くなった中で、本当に動くやつは本物だね。 つくづく思うのは、私はそれなりの人数を集めるようなパーティーやイベントを催すことがたまにあるのだけれど、すごいんだぜ。関西
ダンディーは不断に、崇高なることへの希求を保ち続けねばならない。鏡を前にして生き、かつ眠らなければならぬ――、シャルル・ボードレーヌの『内心の日記』より 少し前まで、毎週のように草野球をやっていた。暇人とか言うな。 若いころもさんざんやっていたのだが、二十代の後半、そろそろ勝負に出ないとモノ書きとして生き残れないかも。 と不安を抱き、いっさいの趣味を封印して文章修業に勤しんだ時期がある。 取材に行ってもまともなネタを拾ってくることができず、原稿を書けばダメ出しやり直し書き直し。ついでにボツの連続で、自分のぼんくらぶりにもいい加減うんざりしていた。 本当にうんざりしてたな私。取材を終えて編集部に戻ると、担当は何も言わんでいいと言ったくらい。面白いね日本語って、言うなと言うなんて。 「何も言うな。そのツラ見りゃわかる。どーせ坊主だったんだろう」 坊主というのは何のネタも拾えなかったというギョ
誰の役にも立たぬということは、はっきり言って何の価値もないということである――、デカルトの『方法序説』にある、とてもシビアな一言。 先週木曜日の夜、友人と会った。 駅の構内にあるコーヒーショップで待ち合わせたのだが、あいにくと店内は仕事帰りのビジネスマンでいっぱい。やむなく店の前で友人を待っていたところ、私の横にブレザー姿の高校生が立った。彼も待ち合わせらしい。 ちら、ちらと周囲を見て、相手がまだ来ないとわかると、おもむろに携帯電話を取り出していじり始めた。 ズボンを腰骨の辺りまでずり下ろした着こなしは、私のような年代からすれば“抜け作”にしか見えないのだが、いまの若い子たちにはそれがかっちょいいのだろう。いわゆる、いまどきの子だ。 彼はときおり顔をあげて、何故か私のほうを見る。 男に見つめられたって嬉しくも何ともないのだが、彼は、何か言いたげな目をしていた。おそらくは、なぁおっさん、人
日本生産性本部の調査で新卒社会人の72.8%が「育児休暇を取得したい」と回答し、滋賀県大津市で開かれた“パパ首長サミット”では、育休を取得した経験を持つ広島県の湯崎英彦知事ら7人のイクメン首長が「育休は労働だ。『育労』とでもしたらイメージが変わるのではないか」と主張した。 さらに長崎県佐世保市では、「我が子との触れ合いの大切さは、たとえ環境が変わっても変えることのできない不変のもの」として、育休取得などを促す「市長からの手紙」が、市内の3000カ所の企業に送られたという。 子育てと仕事。男性の育休取率は、いまだに2%未満にとどまり、一向に改善されていない。女性についても、育休取得率が全体では9割近くになる中、それでも取れない環境に置かれている女性たちが依然として少なくない。育休が取りやすい会社と取れない会社との二極化が、明らかに進んでいるのである。 そんな中、若い男性たちは、「育児参加は当
恋愛において、人を不幸にすることは、愛しているのに愛されぬよりも、もはや愛してもいないのにまだ愛されていることだ。デュマ・ペールの『ペリール嬢』より 予感はしていた。 相談があるの――、女性がこういう台詞を口にしたとき、私の経験から言えるのは、彼女が独身で、カレシがいれば、最近あの人とうまくいってないの。といった内容が大半。彼女が既婚者である場合は、たいがいは最近あの人とうまくいってないの。というものだ。 原稿を書いている暇もないくらい忙しいこの私を呼び出した彼女は、後者だった。 電話をもらったときにある程度の想像はしていて、待ち合わせた喫茶店に彼女が遅れて姿を見せたとき、予感は確信に変わった。 大きなサングラスをした彼女の目のふちには、青あざが残っていた。でも、そんなことは私が知らないだけで、しょっちゅうだったらしい。 「いま、実家にいるのか」 うん、と彼女は応える。すると、彼女が家
しかしアレですわ、うちの坊主がね――、と切り出したのはエンジニアくんだ。 エンジニアくんって誰? と言われる方は、わからないままでもいいと思います。理由。それを知るためにはクソ長いものを読まなければならないから。たいへんだぞ、アレを読み返すのは。経験者が言ってるのだから嘘じゃない、たぶん。 で、なんや、きみとこのお子さんがどないしたんや――、と訊いてみたところ、エンジニアくんはものすごい訝しげな目で私を見て、私の関西弁にダメを出す。 「前から言おう言おう思っとったんですけどね、その関西弁。真似してるつもりなんでしょうけど、ビミョーに……、ちゅうか、ぜんぜん違ゃいまっせ。テケトーにもほどがありますがな」 「なに言っとんねん、違うことあるかいな。最後に“でんがな”付けときゃ、大阪じゃたいがい通じまんがな」 「そこですがな」 「どこやねん」 「せやから、そこと言うとるやろ」 「せやから
承前――、というような文言で始めると、もしかしたらこれって連載なのかも。 と思わなくもなくはないのですが、承前などとぬかしていかにも続き物みたいなことを言ってるくせに、前編が今回の話の何の“振り”にもなっていないような気がするのは気のせいでしょうか。しかも“中編”って何よ。 というわけで中編です。ほんとに中編です。次回は中編其ノ二です。嘘です。 いい映画を見ていると、感動のあまり目頭が熱くなり、思わず、何といふ素晴らしい物語なのだ。堪らん。う、う、うッ。 と泣いてしまうようなことがよくある。心が清らかなんだな私は。自分で言ってるのだから嘘じゃない。たぶん。ものすごいブーイングが聞こえてきそうです。 本当のことを言えば、映画などで感動してしまったときは人知れず泣きたいところなのだが、そういうまずいときにかぎって家内に目撃され、あ、泣いてる泣いてる。面白ーい。などと笑われ、ばつの悪いこともしば
電子書籍については、前向き、後ろ向き含め、すったもんだしてて楽しい限りです。ところで、本ができるところから最後までは(必ずしも一直線ではありませんが)こんな感じでしょうか? 「運搬」=持ち運ばれることが多い本は教科書だし、「保存」「活用」については、資料としての本を大量保有している研究者やジャーナリストの方が想定されます。 このうち最初の2プロセスは既にデジタル化しています。もちろん今でも「原稿用紙に万年筆」で書いてる作家さんもいるんでしょうが、大半の著者はタイピングによってデジタル文章を作っているはず。 さらに編集プロセスも、原稿のやりとりや文章修正、装幀やデザインの制作、印刷行程など、電子メールや電子ファイル、デジタル加工が当然のように主流になっています。 「当たり前」すぎて話題になることもない「最初の2プロセスのデジタル化」ですが、それが進んだ理由は「誰も損をしないから」です。下図に
承前――、なんて始まりだと、何だか本当に連載でも始めたような気になるから不思議です。始めてるだろうが、とツッコまないでください。 前回は、酒の席で、そこに退屈している女性がいるにもかかわらず、女性の気持ちなんかお構いなしに自分たちだけで勝手に盛り上がるようなやつがいて、そーいうやつは男としてなっちょらんよね。 というような話だったような気がします。違ったかな。 パーティーであれ何であれ、女性を退屈させたりひとりぼっちにしてしまうのは男としてあるまじき行為のひとつ。そーいうやつは身勝手な恋をしがちだから気をつけろよ。というようなことも言ったような気もしますが、違っていたらごめんなさい。 大切なのは、女性を前にしたとき、いかに紳士的に振る舞えるか。これは美意識の問題でもあるのだけど、言うなれば、それであなたのダンディズムもわかると。 というわけで、ちょっとそのダンディズムのお話を。ちょっとと言
承前――、というような書き出しだと、何だか連載でもしているみたいな気分になるから不思議です。連載してるじゃないか、とツッコまないでください。 最近、多くの人が当たり前のように“心が折れる”という表現を用い、私にはそれがどうにも解せずに、夜も眠れないくらい考え込んでしまった。こんなに気になって夜も眠れなくなったのは、地下鉄はいったいどこから地下に入れたのかで悩んで以来だ。ごめんよ、このネタは若い人にはわからないね。 ちょっと前までは、心が折れそうになるという表現はあっても、折れる。まではいかなかった。困難に打ち負かされそうになるという意味で口にはしても、まだ負けたわけじゃなかった。 しかし、この頃では心はぽっきり折れるようになり、若い子のみならず大の大人までもが心が折れたと言ってはばからない。そんなに簡単に心って折れるものなのでしょうか――? というのが前回のお話でした。たぶん。 すると、今
ロマン主義の開祖と呼ばれる作家シャトーブリアンは著書『アタラ』にこう書き記している。苦しみというものは、いつまでも長続きしない。どんな苦しみでも、遅かれ早かれいずれは消えてしまう。何故なら、人の心は有限だからだと。 その表現を初めて耳にしたとき、ひどい違和感を覚えたことを覚えている。 心が折れる――、である。 何じゃそりゃ、と思った。 何やねんいったい、と思った。 だから何なんだってば、と思った。 わからないわ、そんなの。何なのかはっきりしてよ、と思った。 で、何なんです、その心が折れるってのは、と思った。くどい。 日本語としてありえないからだ。心が折れるなんていう表現は。 が、そういった言いまわしはいつしか慣用句のごとく使われるようになり、いまでは誰もが口の端に載せるようになった。口の端に載せるったって顔芸の一種じゃありません念のため。 心が折れるだと――? まったくもってわか
フリーライター。1982年3月生まれ。地域紙記者を経て、編集プロダクション「プレスラボ」に勤務後、独立。男女問題や社会問題、インターネット、カルチャーなどについて執筆。 ツイッターは@miyazakid 「ロス婚」漂流記~なぜ結婚に夢も希望も持てないのか? 日本は「結婚受難」の時代に突入した。街やオフィスには、「出会いがない」と焦る独身者や「結婚に疲れ果てた」と嘆く既婚者が溢れている。一昔前の日本人なら誰しも得られた「結婚」という当たり前の幸せを、得ることができない。夢や希望を失った「ロス婚」(ロスコン)な人々が増殖する背景には、いったい何があるのか? 婚活や結婚生活に悩みを抱える人々の姿を通じて、「日本人の結婚」をいま一度問い直してみよう。 バックナンバー一覧 “絆”を深める大震災後のクリスマス でもシングルにとっては「憂鬱な三連休」に? 今年もこの季節がやってきた。恋人たちが素敵なレス
遙から 情熱をもって、とか、熱く、とかいう働き方は、その解釈を間違えるとしばし、でしゃばった、とか、立場をわきまえない行為に出がちで、そういうタイプには必ずといっていいほど私は痛い目に遭ってきた。 ある健康商品を開発したという男性に仕事で出会った。癒し系アロマ商品だ。プレゼントされたそれを使用してみると、なかなかいいではないか。 健康云々の効果よりも、気持ちのいい香りそのものに癒される。その感想をお礼とともに伝えると、“熱い”答えが返ってきた。 「もっと説明したいから会ってほしい」 思い返せば、ここで私はその熱さに引き下がるべきだった。私がその商品に開発者同様の熱でかかわるのも変だ。会うことは遠慮し、メールのやりとりだけ続けた。 「もっと意見がほしい」というので、正直に言った。 「値段が高すぎる。アロマで3万円は市場にはない。半額くらいに下げないと女性たちに気軽にプレゼントできない」 それ
遙から 社内恋愛は難しい。難しいどころか恋愛の“れ”の字に行くまえに撃沈した例を紹介したい。久しぶりに仕事で一緒になった旧知の友と「今度一度、食事でも」という話があった。私も「喜んで」とその機会を無理なく待っていた。 大人の場合、この、“無理なく”というところがミソで、「食事」となるなり「いつ?」「じゃ、その次は?」とはならない。決して無理をしないのだ。あくまで私流だが。 そうしているうちに無理のない機会がやって来た。 「じゃあ明日仕事終わりに。詳細は会ってから」と前日メールを打ち合った。 ここまではよかった。ここから、その男性は私流でいう「大人の社内恋愛」というベクトルに向かってたくさんの地雷を踏んだ。 あくまでこれは女性視点でだが、最初は友達、から、恋愛、に移行するまでには男性側がやってはならないいくつかのことがある。 それを自分のフィールドワークから披露したい。 ここで押さえておきた
話題のスイーツや人気のカフェ、レストラン、ギフトに最適なフードやドリンクなど、食に関する情報を全方位でお届け。
不自由な世界が自由になると混乱します。 ちきりんが知る限り最も混乱してたのは、ソビエト連邦が崩壊した時です。何の自由もなかった国が一気に自由になって、めちゃくちゃになってました。 明治維新の時も、身の周りのあらゆるコトが自由になって混乱しただろうなと思います。それまでは農民に生まれれば農民、武士に生まれれば武士だったのに、突然「好きな職業選んでOK!」とか言われても困るでしょ。「どこに住んでもいい」とか言われても、「どっ、どこに住めば??」って感じよね。 個人でも、親の家に住んでた時期はきちんとした生活だったのに、一人暮らしを始めて自由度100%になったら、突然むちゃくちゃな生活になる人も多いです。自由って怖いのよね。 ★★★ 現代日本においても、平成になったあたりから人生のクリティカルポイントが自由になったため、やたらと混乱しています。昔は「誰とでも結婚する時代」だったのに、今は「好きな
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