世界5分前仮説があるなら世界半径5m仮説というのもあるだろう。この世界の物質部分は自分から半径5mだけでそこから先は実体のない自分の思念でできている。つまり世界はたった半径5mしかないのである。自分が動けば5m以内に入った映像は次々と実体化し後方に去っていくものはただの映像と戻っていく。何やら唯物論と唯心論のハイブリッドにして省エネにしたような理論だが単に世界5分前仮説からの連想なので仕方ない。
そもそも共感覚とは、一つの感覚から同時に別の感覚も刺激されて感じることである。例えば、スネアの音はベージュで楕円形(聴覚→視覚)、このスープは尖ってる!(味覚→触覚)等。これは決して比喩やイメージ、薬物などによる幻覚ではない。 実際に感じている「共感覚者」という人たちがいる。 人間は生まれて間もない頃は、脳が未発達で五感が混ざっている。しかし、その後の成長によって細胞分裂を繰り返し、知覚も細分化されて聴覚、視覚、味覚、触覚、嗅覚等になる。 でもたまに、何らかの理由で他の感覚への結合が保たれたまま大人になった人がいる。それが「共感覚者」だ。(リチャード・E・シトーウィック説) 共感覚者は普通の生活をしていて、もちろん障害者でもなんでもない。友達にも1人くらいいるかもしれない。主観的な内容だから、統計は非常に難しくて、1万人に1人とも100人に1人とも言われている。そして共感覚は果てしない快楽
人間には簡単なアンケートです。はてなのアンケートにどの程度botがいるのか気になったので実験してみます。
宗教には大雑把に分類して現世利益型と来世利益型がある*1。 現世利益型は自分自身が利益を確認可能な確実性の故に人気が高いが、同時に利益のないことも確認できてしまうため長期的な加入が見込めない弱点がある。 対して来世利益型はやや敷居が高いものの、生涯信仰が保証される利点がある。但しその特性上、そのままでは安易な自殺による来世への移行を防ぐことができず、信者数は減少する一方である。よって、何らかの自殺防止機構を組込まねばならない。 「信じる者は救われる」型布教モデルの仏教では、主に現世での苦行を担保とした来世利益保証型を取る。これは現世で長く苦しむほどに来世での幸福が上積みされるシステムで、苦痛を期待に変換する役割を担う。この方式では同時に、現世での善行を奨励し上積み保証することでモラルを維持する意味も持っている。 仏教とて抑圧の歴史を持たぬではないが、世界宗教にしては穏やかな方だ。 キリスト
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く