■ 少女アリス(サマンサ・8歳、撮影:沢渡朔、1973年・河出書房新社) 「少女アリス」は、1973年、河出書房新社から発行された。カメラマンは沢渡朔(さわたり・はじめ)である。(沢渡氏は私と同じ1月1日生まれだ。同じ誕生日の人というのは、何だか他人という気がしないなあ。当然、星座も山羊座で一緒だし……)。 アリスのモデルとなったのはサマンサちゃんで8歳のイギリス人。アリス・リデルと同じ牡牛座の少女だ。ただ、アリスが黒髪だったのに対して、サマンサは完全な金髪でウェーブがかかっている。瞳は底なし沼のようなグレイ。黙って立っていると、お人形と間違えそうな少女だ。 撮影は、ロンドンの街、オークリーコートのビクトリア朝時代の屋敷、ウェールズの廃墟などで行われている。やっぱり、アリスの生まれた国で撮った写真はどこか違う。この写真集を見ると、撮影をイギリス以外の地で行うことなんて考えられなくなる。もし
キョウコはいつも自信に満ちていてとても美人なクラスメイトだったから、私はとても憧れていた キョウコは髪が生まれつき茶色で、色白で、瞳の色も薄い茶色をしていたから 暇なクラスメイトたちが、父親が日本人じゃないとか母親がガイジンと浮気して出来た子だとか 中学生らしい胡散臭い噂を毎日こそこそと、でもキョウコに伝わるように話していた それは酷く不快な噂のはずなのにキョウコはちっとも気にしていない素振りで毎日笑っていた 避けては通れない授業参観というイベントが9月のある日に実施された 冴えないクラスメイトの親の中に、キョウコに良く似たとても綺麗な女性がいた けれど皆の視線を集めたのはその美しい容貌ではなくて、サングラスで覆われた瞳と車椅子と言う姿だった デリカシーの無い男子が指を指してヒソヒソと話し、それをクラスのリーダー的役割を担っていた女子達が制した けれどその女子たちも実は興味津々と言ったカン
推定自称サバサバ系女のつぶやき これ読んでて思い出したことがあるんで、今日はそんな思い出話。 こないだ、中学校の時の思い出話をしたけど、中学校には女性関連でいやーな思い出がもう一つある。 それがタイトルのサークルクラッシャー女の思い出。 いや、正確には、クラブクラッシャーなんだけど。 で、なんだけど、僕は、中学のころ、ある運動部に入っていた。その運動部には、男子と女子がいて、練習も一緒にやっていた。僕の学年には、男子3人、女子5人。 で、その女子五人のうち一人、Tさんが問題だった。 男子三人は、もともと小学校からの友達で、そのうち一人は、僕の幼馴染だった。家も100mくらいしか離れてなくて、小さいころからよく遊んだものだ。彼をSとする。 で、中学にはいって、一緒の運動部にはいったわけだ。そこで、問題のTさんとであった。Tさんは、違う小学校の子だった。 最初にあった印象としては、「可愛い子だ
http://anond.hatelabo.jp/20070510155314を書いた増田ですが、高校時代の空気読めないエピソードを一つ書こうと思います。 注:この記事は読む方を、特に女性を憤らせる可能性があります。読む際にはどうかそのことをご承知置きください。 ------------- 女の子たちでわいわい話しているときだった。話題はダイエットの話題になり、そこで一人一人、ダイエットの体験談を披露する流れになった。 当時の私はダイエットをしたことが無く、必要性すら感じていなかったので、素直にこう答えた。 「私、ダイエットには興味ないな。体重50kg以下をキープ出来てればそれでいいと思うし」 瞬間、場の空気は凍り付いた。 しばらくして、ある一人の女の子がこう言った。 「増田って、時々残酷だよね」 しかし私にはその言葉の意味が分からなかった。 ------------- 当時の私は間違いな
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20070509/sabasaba 私は多分ここで言われている自称サバサバ系女だ。特に中学時代くらい。男子と女子の前では明らかに違う態度を取っていた。男子の前では友達ノリ。女子の前では一線を引くような態度。 なんでそんな態度の取り方をしていたかというと、女子集団が怖かったからだ。特に私は空気読めないやつだったから女子集団の中では失言して顰蹙を買うということを非常に多く繰り返してきたので、女子と話をすることが苦手になった。男子相手だったら失言しても後から陰口を言われるようなことは無いと思っていたので、話し相手は男子が多くなった。それでますます女子からは顰蹙を買ったのだけれど、もう戻れない道だった。 んで、高校は中学時代の知り合いがほとんどいないところに通うことにしたのだけれど、このままじゃまずいと思って女子しかいない部活に入り、男子と
これ、自分も引っかかったなー。前のエントリとちょっと関連あるんだけど、それはまた後で書くとして。 偏見全開で言うけど*1、こういうこと考える女って大抵「過剰に女」なんですよ。自分の「内なる女」に自覚的で*2、女らしくあろうがなかろうが、原罪的に女でしかない。その辺の業みたいなもんを背負ってる。「過剰に女」であるがゆえに自家中毒気味になって「女らしくしたくない」という発想が出てくる。無自覚あるいは薄い自覚で「女らしくない」のとはたぶん逆の方向性。他人から見て「女らしくない」女ではなく「女らしくしたくない」女だと分かるって、そういうもんよ。 こういうのに惹かれる男ってのは、いわゆる女の嫌な部分が、この女にはないんじゃないかと思って近づくんじゃないかと思う節がある。だから彼女の底にある女の嫌らしさに気付くと、過剰にがっかりする。この世のどっかにその嫌な部分がない理想の女がいるんじゃないかと思って
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