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ホンダと言えば、その名の通り創業したのは本田宗一郎と思い浮かべる方も多いのではないかと思いますが、創業期から2輪車(オートバイ)世界一、米国のマスキー法(大気浄化法)を世界で初めてクリアしたCVCCエンジンの実現に至る頃までの25年近くにわたって、ホンダの経営を中心で担い舵取りをして、本田宗一郎と二人で現在のホンダの礎を築いたのが藤澤武夫です。 その存在は、ホンダはもちろんのこと自動車業界の拡大と発展にも大きな影響を与え、その名は昭和の日本を代表する経営者としても知られていますが、では、実際にどういった背景でどんなことをしたのか? やそれが後にどういった影響を与えたのか? などを中心に今回はコラムをお届けします。 出会いから強固なパートナーへ ホンダ(本田技研工業株式会社)の元最高顧問で創業社長の本田宗一郎(故人、1906年 静岡県生まれ)と同じく元最高顧問で副社長として経営を担い、二人三
TOPコラム何と1リッター当たり293円! 日本が羨ましいくらい割高なドイツのガソリン代事情【池ノ内ミドリのジャーマン日記】 電気代も値上げでEVの充電費用も80%アップ! こちらミュンヘンはまだ朝晩の気温は寒いですが、公園に咲き乱れる野生のクロッカスやスノードロップのカワイイお花に癒され、少しずつ春めいた日差しになってきました。 一時期は少し落ち着いていたものの、オミクロン株が発生してからは新型コロナウイルスの感染者数は相変わらずの多さでいまも1日に22万人以上の感染者数が発表されて気が気ではありませんが、それらがまるでなかったかのような衝撃的なニュースに毎日のように世間を賑わせており、せっかくの春気分が一気に消沈してしまいそうです。 ドイツでは今年の1月から燃料価格にCO2税が加算され、既に随分と値上がりした感があったのですが、ウクライナとロシアの戦争でガソリン価格が一気に値上がりして
TOPコラムCARSMEET モデルカー俱楽部過去の名車の現代化――それは実現しなかった夢でありながら、叶えられた祈りでもあった…【アメリカンカープラモ・クロニクル】第24回 1966年、アメリカンカープラモ市場に謎めいたキットの一群が突如あらわれた。模型メーカーの名はレンウォールといい、1/25スケールの表示があるそのキット群はいずれもスタッツ、デューセンバーグ、パッカード、マーサー(・レースアバウト)といったすでに失われて久しい名ブランドの看板ばかりを背負っていた。 【画像71枚】リバイバル・シリーズの詳細からエクスナーの業績を知る! 車のデザインはすべて、かつてクライスラーにおいて前衛的ともいえる大胆なカーデザインを数々世に送り出したデザイナー、ヴァージル・エクスナーの手によるものだった。 エクスナーといえば、1930年代はじめにスチュードベーカー・トラックの広告アーティストから身を
現在はレプリカが「三菱オートギャラリー」に展示 三菱自動車のクルマづくりの起源である「三菱A型」が、日本の自動車の歴史に優れた足跡を残した名車として日本自動車殿堂の「歴史遺産車」に選定された。 三菱A型は、1917年夏に試作が開始され1918年11月に完成。1921年までに計22台が生産された。まとまった数量を見込みで生産・販売された三菱A型は、日本初の量産乗用車という扱いになり、日本の自動車工業史上意義深いクルマとして評価されている。 当時は自動車製造の専用工具、工作機が未整備の状態であったがハンマーや鏨(たがね)を使用した手作りにより第一号車が完成。ボディは木製で黒うるし塗りが施され、室内には高級な英国製の毛織物が使用されていた。当時は手本となる図面などなく、ガソリン機関や車体・室内の知識も生産経験もない技術者たちが幾多の困難を打破。国産自動車の生産が可能なことを実証した。 その設計は
TOPコラムCARSMEET モデルカー俱楽部今も魅了される絶頂期の輝き!その横には、地獄が静かに忍び寄っていた…【アメリカンカープラモ・クロニクル】第23回 1966年:ミッシング・イン・アクション これだけは確実に断言できるが、アメリカンカープラモにとって1966年のような時間はもう二度とやってくることはない。 【画像67枚】統一感とスパイに満ちたこの年のキットたちを見る! 1965年から1966年にかけて、このホビーをリードするamtのアニュアルキット・ラインナップは最大級のボリュームに膨れ上がった。20タイトルを越えるキットの一斉展開がアメリカ各地の玩具店やデパートなどでどれほどの威容を示したかは想像に難くないが、そのインパクトはこの年になって完全な統一デザインとなったインディビジュアライズド・ボックスによってさらに強化された。 古くからのアメリカンカープラモ・ファンの記憶に196
TOPコラムCARSMEET モデルカー俱楽部ゴールドのイスに乗ってスケベに登場!MPCの傑作キットが導く今日への道【アメリカンカープラモ・クロニクル】第22回 1965年 ダッジ・リベリオン前夜 ダッジは1962年の屈辱を忘れていなかった。現在クロニクルが横断中の年からさかのぼること3年前、1962年式ダッジはフルサイズカー・ラインナップのダウンサイジングを前のめり気味に決断した。 【画像40枚】ダッジづくしの今回の画像を見る! インターミディエイト(ミドルサイズ)車への開発着手ではない。「フルサイズカーをことごとく小さくする」という大胆な賭けごとの話であり、結果としてこの年ダッジの販売成績は大きくつまづいた。 本連載の読者には印象深いできごとだったと思われるが、1962年といえばホビーの老舗・レベルがamtやジョーハンと同じアニュアルキット市場へ参入しようとして大きな挫折を味わった年だ
TOPコラムGarage Lifeガレージとは、愛車と趣味を楽しむためのスペース! こだわりと個性が反映されたガレージ。【ガレージライフ】 自宅から通いやすい場所に新築したガレージ。施主のこだわりと個性を反映したいという希望を叶えたのは、設計士だった。 東京都に建築された平屋のガレージ。ガレージといいつつも、50坪の土地に建築されたのは平屋のガレージハウスだった。このガレージの主はMさん。Mさんは20代で独立し、モータースポーツやF1関連のビジネスをしていた。エンジンの音やオイルの臭いのなかでビジネスをしてきた経験から、クルマは常に数台所有していて、スポーツカーを所有することも多かったという。 数年前に右ハンドルの「フェラーリ488 スパイダー」を購入して賃貸ガレージに保管していたが、人生を考えたときに、自分の城となるガレージを建ててみたいと、ガレージ建築を決意。知り合いの不動産屋さんに依
TOPコラムCARSMEET モデルカー俱楽部そのオトシマエは20年後に!判断ミスを連発する1965年のamt、そして続々登場する名車【アメリカンカープラモ・クロニクル】第21回 1965年 amtの行方、金型の行方 1965年を迎えていよいよ充実するかにみえたアメリカンカープラモ(アニュアルキット)だが、この年amtはのちの大きな禍根となるようなミスをいくつか犯すことになった。 【画像66枚】明暗混在するamtの1965年キット各種を見る! 本連載第18回では1964年の痛恨事として「amtはシボレー・シェベルSSに肝心のエンジンをつけなかった」と書いた。展開初年次からいきなり市場で大評判となったシェベルにまんまとシェアを奪われた存在として、同じシボレーのコンパクト、シェビーII/ノヴァの存在があることはアメリカンカーに通暁する読者ならご存知かと思う。 1964年、シェベル発表後のある時
TOPコラムCARSMEET モデルカー俱楽部ビッグスリーに、既存プラモメーカーに、ビートルが喰らいつく!そして相次ぐ移籍劇とは…【アメリカンカープラモ・クロニクル】第20回 1964年 IMCビートル、ドラッグストリップを走る まことに発展的な独立劇だったとはいえ、1963年にジョージ・トテフという大黒柱を失ったamtは、続けてバド・アンダーソンというやり手を失うことになった。 【画像51枚】永遠のスタンダード、IMCのビートルと同年型アメリカ車のキットを見る! amtの魅力あふれるスポークス・パーソンとして、ピーターソン・パブリッシングの「ロッド&カスタム」「カー・クラフト」といった人気の雑誌に連載コラムを持ち、アメリカンカープラモ関係者でただひとり街のニュース・スタンドでちょくちょく顔写真を見かける男だったミスター・キャット(Mr. KAT)ことバド・アンダーソン――彼の電撃的な移籍
電動化の時代、クルマの形はどう変わるのか? スポーツカーと実用車のデザインの違いは?ジョルジエット・ジウジアーロと前田育男、自動車の造形を知り尽くすふたりが、デザインについて語り合った。 家族ぐるみの交流があるジウジアーロ家と前田家 自動車デザインの巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロについては、いまさら説明は不要だろう。初代フィアット・パンダや初代フォルクスワーゲン・ゴルフといったベーシックカーから、BMW・M1やマセラティ・ボーラといったスーパーカーまで手がけ、自動車の造形に大きな影響を与えたカリスマだ。 【左】ジョルジェット・ジウジアーロ(Giorgetto Giugiaro)/1938年、イタリア・ピエモンテ州に生まれる。17歳からフィアットのデザイン部門で働くようになり、59年にベルトーネに移籍。カロッツェリア・ギアを経て1968年にイタルデザインを設立。1981年には自動車以外の
TOPコラムモデルカーズいよいよ来たか!5本テールがトレードマークの初代「セリカ LB」前期型(1973年モデル)がハセガワからプラモ化、4月発売予定!!【モデルカーズ】 いよいよ来たか!5本テールがトレードマークの初代「セリカ LB」前期型(1973年モデル)がハセガワからプラモ化、4月発売予定!!【モデルカーズ】 流麗なスタイルを実車そのままに縮小! 近年、様々なヒストリックカーを精力的にキット化しているハセガワから、またも衝撃の新製品アナウンスがなされたので、ここでお伝えしておこう。1/24スケール・プラモデルとして今年4月20日ごろに発売予定の「トヨタ セリカ LB 1600GT」である。 【画像18枚】3D CADとパーツ写真で傑作キットの登場を確信しよう! 1970年に登場したセリカは、日本初のスペシャリティカーとしてその地位を確立し、2006年にその歴史を終えたが、歴代モデル
TOPコラムCARSMEET モデルカー俱楽部掟破りの船出には、人知れず課せられたハンデも!「C2コルベット」で大海原へ進み出たMPC【アメリカンカープラモ・クロニクル】第19回 1964年 MPC、雌伏雄飛の日々 アメリカンカープラモに限らず、現在のカープラモのフォーマットを決定づけた「父」であるジョージ・トテフが古巣amtを去った理由のひとつに、1963年におけるシボレー・コルベットの大胆なモデルチェンジがあったことは識者の多くが意見を一致させるところだ。 【画像63枚】両社の目指すところを如実に表すふたつのキットの詳細を見る! amtは1963年次にまったく新しいシボレー・コルベット(以下C2コルベット)をアニュアルキットとしてリリースしていた。1963年次のamtアニュアルキットはまだ製品ごとのインディビジュアライズド・ボックス(個別箱)を完全に実現できていなかったことは本連載でも
TOPコラムCARSMEET モデルカー俱楽部形状の手直しでより実車に近づく楽しさ!フジミ製プラモ「プレリュードSi」を作り込む!第2回【CARSMEET モデルカー倶楽部】 地を這うボディをさらにシャープに フジミ製1/24スケール・プラモデルのホンダ・プレリュード2.0Siを、エンジン再現なども込みで作り込んでみようという連載の2回目である。今回は、ボディ形状の修正についてお伝えしたい。その具体的な作業内容については、写真とキャプションをご確認いただくとして、ここでは実車のプレリュードについて客観的な解説をしていこう。 【画像55枚】サイドの膨らみ具合やリアの高さなど、微妙ながら的確な修正の様子を見る! 現在では壊滅したに等しい、スペシャリティカーというジャンルがかつて存在したが、シルビア、セリカといったライバルと並んで、一時はそのカテゴリーの覇者ともなったのが、ホンダ・プレリュードで
TOPコラムCARSMEET モデルカー俱楽部スーパーカーとポニーカーの憂鬱!GTOが巻き起こした嵐、そしてマスタングの疾走…【アメリカンカープラモ・クロニクル】第18回 1964年 ザ・バース・オブ・アメリカン・スーパーカー 1964年、のちの世にいうマッスルカーとポニーカーがはじめひっそりと産声をあげた。 【画像63枚】スーパーでポニーなアメリカンカープラモたちを見る! ひかえめなトリムのインターミディエイト(中型)ボディーに強力なエンジン、高性能ながら低価格という理想を実現し、当時の「カー・アンド・ドライバー」誌をして「こいつは多くの車が口先だけで言うことを本当にやってのけている」と言わしめたポンティアックGTOは、当初の売上予想5,000台をはるかに超えて32,450台もの販売を記録した。ポンティアック・テンペスト・ルマンのオプション・パッケージとして用意されたに過ぎなかったGTO
ヨーロッパテイストのエイジング加工のガレージには、施主の要望でなんと”射座”が設けられ、アンティークな建具も採用された、”趣味の城” 2009年に建築されたS邸の母屋は、約400坪の敷地に輸入住宅メーカーで建てたビルトインガレージ。ガレージにはクルマが4台、オートバイが3台入れられていたという。2021年に新たにマセラティを購入することになり、ガレージにクルマを収納しきれず、ガレージの建築を決意したそうだ。 そこで別棟ガレージを建てるのであれば、と以前からと決めていた、福島県で「GarageLife official Dealer」を務める「TDF」にアポイントを取り、打ち合わせがスタートしたとのこと。 実は、Sさんは以前から家族で福島県の吾妻連峰の山麓に位置する、こだわりの観光スポット「アンナガーデン」を訪れることが多く、「TDF」のオフィスがアンナガーデン前にあったことから「TDF」の
愛車のコンディション維持、メンテナンスをする、セキュリティなどなど、ガレージのある生活を求める理由には数々の要因があるが、ガレージを持つというのはなかなかハードルが高い。そのような中、昨今注目されているのが賃貸ガレージだ。ここで紹介する『モダンガレージハウスヒロノ』は、好立地かつ充実した設備を誇る賃貸ガレージハウスとなっている。 ガレージのある生活を考えた“真面目”な作り 東名自動車道静岡インターチェンジを下り、クルマを走らせること約10分。安倍川を挟んだ対岸に位置する場所に新たに建てられた賃貸ガレージ『モダンガレージハウスヒロノ』 ここはマリンスポーツが盛んなことで知られている上に、用宗港で揚がる名物のシラスや難破船をモチーフにした大型遊具のある広野海岸公園などがあり、ここ10年程の間で一気に知名度が上がり訪れる人も年々増えているエリアである。 実はガレージ取材を担当した私自身も用宗港の
TOPコラムCARSMEET モデルカー俱楽部モデルカー業界に吹き渡る西海岸の風!カリフォルニア・ローバック精神を見よ!【アメリカンカープラモ・クロニクル】第17回 1963年 カリフォルニア vs デトロイト 本連載はこれまで、話をあくまで1/25スケールのアニュアルキット――自動車メーカーが毎年発表するニューモデルに対し即時性をもって登場するプラモデル――に限定してきた。これらはいわば「デトロイトの意思」とでもいうべきもので、1/25というスケールに到るまで、アニュアルキットは真新しい実車の宣伝・販売促進と切っても切れない関係があり、その事業はamt、ジョーハンらデトロイトに拠点を置く企業に半ば寡占されていたわけだ。すべてはインターネットなき時代。 【画像50枚】モノグラム、レベル、amt…それぞれの道が接近し交差する様子を見る! 一方で、カスタムの文化はカリフォルニア発祥のものといえ
TOPコラムモデルカーズ追跡・攻撃のために各部を磨き上げたスカイライン!アオシマ製プラモ「マシンRS-1」を本格的に作る・後編【モデルカーズ】 センス良いドレスアップのお手本にも 歴代スカイラインの中でも、DOHCエンジンの復活で人気を呼んだR30型系は、今も高い人気を誇る。その人気の盛り上がりに一役買ったのが、TVドラマ『西部警察』シリーズの劇中車であることは、当時を知る人には今更語る必要もないだろう。 【画像39枚】究極のRS-1はこうして作られた…その工程を見る! 1979年から1984年まで、5年に渡って放送された『西部警察』シリーズだが、通常の覆面パトカー(作中では「黒パト」と呼ばれた)にはない特殊装備を満載した、所謂スーパーマシンとして初めて導入されたのは、R30ではなく先代・ジャパンのターボをベースとしたマシンXであった。マシンXは『西部警察』第45話で登場、『西部警察PAR
TOPコラムCARSMEET モデルカー俱楽部激震走る!?モデルカー業界の命運を左右する動きがついに…!【アメリカンカープラモ・クロニクル】第16回 1963年 ジョージ・トテフ、amtを去る ジョーハンが一世一代の大仕事であるクライスラー・ターバインに苦心するのと頃合いを同じくして、amtは年次モデル=アニュアルキットのあり方について人知れず模索を続けていた。 【画像56枚】複雑さを増していくamt製キットなど、1963年の様子を見る! amtはアメリカンカープラモのオリジネーターの強みを存分に活かし、これまでキットの内容拡充を図ってきたわけだが、そもそもこのアニュアルキット・ビジネスのはじまりにはプロモーショナルモデルの金型コストの償却に最大の目的があったことは本連載第1回にてすでに述べたとおりだ。さしたる手間なく金型から外した部品をそのまま売る、それも安く、大量に。 これは一見たいへ
TOPコラム「ミリ」に「インチ」、「ps」や「kW」「CV」「HP」などなど、クルマ関連に関わらず様々な単位が混在しているワケとは? 「インチ」を「ミリ」で表記するとわかりずらい反面も クルマにはいろいろな単位系が使われています。もっとも一般的なのはタイヤサイズで、たとえば185/60R15というタイヤサイズは、横幅が185mm、内径が15インチです。どうしてこのような面倒なことが起きているのでしょう。 前述のようにタイヤサイズはミリとインチが共存しています。これは自動車産業が機械産業の黎明期にいろいろな国で盛んになっていったことの痕跡だと言えます。タイヤの幅がミリで表示されるのは、ミシュランがフランスの会社だからといわれています。ミシュランは現在の自動車用タイヤに多く採用されるラジアル構造を発明しています。そしてミリという単位がフランス発祥であることから、タイヤ幅のスタンダードがミリ表示
TOPコラムモデルカーズ細部も作り変えてスタンダードに改造!1/24ミニカー改造で「観音クラウン1900」をタクシー化・前編【モデルカーズ】 兄弟車を用意して保険を掛けつつクラウン登場! トヨタのクラウンは、日産セドリック/グロリアとともに、日本のタクシーの歴史を支え続けた車種である。セドリックよりデビューが5年早く、また生産終了も4年遅かったことを考えると(もっとも、最後のクラウン・セダン/クラウン・コンフォートはマークⅡベースであり、生粋のクラウンとは言えないのだが……)、まさに戦後のわが国のタクシーの歴史はクラウンとともにあったと言って良いだろう。 【画像32枚】スタンダード化・タクシー化に成功した観音クラウンを見る! 第二次大戦後のタクシーは、戦前からの生き残りのフォードとシボレー、しかも戦中の燃料事情の逼迫から代燃車に改造されたものが大半であった。やがて乗用車の生産が再開され、ダ
TOPコラムCARSMEET モデルカー俱楽部「未来のエンジン」が未来を奪う!?気づかぬうちに直面していた運命の岐路…【アメリカンカープラモ・クロニクル】第15回 1963年 ジョーハン、オルタナティブを往く ジョーハンは1959年のアメリカンカープラモ・ビジネス参入からこの方、苦しい戦いを続けていた。この新しいホビーの趨勢を見守ろうと参戦をたった1年先送りにしたばかりに、製品仕様の決定権をamtとSMPに奪われ巻き返しもままならず、1960年代になってもなお地方都市からは「ジョーハンのプラモデルなど見たこともない」「この町じゃ手に入らない」と声があがる始末。 【画像56枚】精緻を極めたクライスラー・ターバインほか、ジョーハン製1963年型キットを見る! 人手も資金もライバル・amtに較べられては潤沢とはいかず、人心地つく余地があるとすればそれはクライスラーから得た手厚い信頼とその裏付けと
TOPコラムGarage Life平屋にしてコスト削減! センスと経験を駆使して創った、シンプルでミニマムなガレージハウス。【ガレージライフ】 子が巣立ち、新たなライフスタイルを模索していたN夫妻。シンプルだが暮らしに合わせたガレージハウスは、コストと防犯への工夫満載の家となった。 千葉県の住宅地に設計された、Nさんのガレージハウス。このN邸は敷地面積約70坪に28坪の建坪。極力、デザインや動線をシンプルにすること、そしてメーカーを絞るなどしてコストを工夫し、手に入れたガレージハウスだ。 ガレージのシャッターを開けると、英国のライトウェイトスポーツカー「ロータス・エリーゼ クラブレーサー」の特別色スカイブルーの個体が佇んでいた。 【写真16枚】夫婦のための将来を考えた平屋のガレージハウス。 Nさんは3人の子育てを終え、奥さまと2人のためのガレージハウスを建てることを、数年前から計画していた
ヴェンチュリと聞くと、日本人の多くはかつて片山右京選手が活躍したF1チームという印象を抱くだろう。しかし、当初はスポーツカーを手掛ける自動車メーカーとして設立された。紆余曲折を経ながらも、スポーツカーを生産し、現在はフォーミュラEに参戦するレーシングチームとして活躍を続けている。 君はヴェンチュリを知っているか!? フランスのスポーツカーというと、今はアルピーヌ以外は思い浮かばないような雰囲気だけれど、歴史を辿ればいろいろなコンペティターが存在したことも事実である。 DBからルネ・ボネを経てマトラに至る流れはその代表格と言えるが、そのマトラが僕も所有していたムレーナの生産を終了すると、入れ替わるように生まれたのがMVSだった。MVSとは『マニュファクチュール・ヴォワチュール・スポール』の略で、直訳すればスポーツカー製作所となる。アルピーヌにいたこともあるエンジニアのクロード・ポワローと、プ
TOPコラムCARSMEET モデルカー俱楽部そこにはすでに全てがあった!60年以上前のメーカーお手製”プラモのお供”【アメリカンカープラモ・クロニクル】第14回 1962年・特別編 amtモデルカーハンドブックを読む 本連載はこれまで、現在まで続くアメリカンカープラモの発祥といえる1958年から1962年までの状況を概観してきた。わずか5年ほどのあいだにアメリカンカープラモをかたちづくる諸々のフォーマットが急速に出揃い、巨大な市場が形成され、一番槍をつけたamtがほとんどすべてを寡占するまでの軌跡であるが、そうした状況が翌1963年、不可逆的な変化を迎える前にamtが100ページほどの冊子を出版している。 【画像43枚】amtの熱気が今も伝わるハンドブック、その中身を見てみる! 今となっては残存部数もわずかなamtモデルカーハンドブック(AMT MODEL CAR HANDBOOK)と題
TOPコラムCARSMEET モデルカー俱楽部万博にも出展!我が世の春を謳歌するamt、しかしその足元には…?【アメリカンカープラモ・クロニクル】第13回 1962年、エンター・ザ・センチュリー21 1962年、ハブリーは’62フォード・カントリーセダンの発売をもってアニュアルキット市場から手を引いた。他社のキットが続々とそのアイテム数を増やし、amtに到っては発売される同年式の26種すべてにエンジンが付属するという空前の賑わいの中、その幕引きはじつにひっそりとしたものであった。 【画像64枚】多様性を増すamt製品と充実の兆しを見せるジョーハン、そのキットたちを見る 前年の7月にもアメリカンカープラモ/アニュアルキットのはじまりに大役を果たしたSMPがその看板を下ろしたわけだが、そのカープラモ事業のすべてをamtに無事移管したSMPのゆきとどいた引き際に較べると、ハブリーの撤退にはどうし
自ら設計した夢空間には、愛車用のパーツを作り出すこともできる、ちょっとした作業スペースも存在している ガレージ内には、イタリア車を愛する者にとって非常に気になる顔ぶれを並べている佐々木さんは、「フィアット・アバルト124スポルト」を駆り、さまざまなレースに出場している。築45年以上の家に住み、カーポートを利用したガレージライフを楽しんできた佐々木さんは、一念発起して、自宅を新築することにしたそうだ。 本業は一級建築施工管理技士だが、各種レースでゲットしたトロフィーがガレージの一角に飾られていることからも察しがつくように、そのドライビング・テクニックも”一級”なのであった。 124だけに限らず、アバルト製スポーツカー全般は定期的なメンテナンスを必要とするが、佐々木さんの自宅にも愛車を好きなときに整備できる、機能的なガレージが備わっている。そして、建築のプロならではの観点でまとめあげた快適な生
TOPコラムGarage Life昭和感満点! 人気車 “パンダトレノ”のためだけに設えた、築50年の古風なガレージ。【ガレージライフ】 「ディーノ206GT」なども愛用している施主がハチロクを増車。新しいガレージを設けた。往年のスーパーカーを収納している空間とは異な和風ガレージが誕生。 ハチロクの愛称で知られる「AE86型トヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノ」は、1983年にデビューした。発売開始から40年も経過しているので、もはや紛うことなき旧車である。ガレージライフのパートナーとしてチョイスしている自動車趣味人も少なくない。 昨今のクラシックカー人気の影響でハチロクの流通価格も高騰したが、Kさん(56歳)が1983年式のスプリンタートレノ GT APEXを買ったのは6年前のこと。まだ驚くほど高価にはなっていない頃だったという。 AE86型といえば、大人気漫画『頭文字D』の影響も
TOP試乗記【比較試乗】「シボレー・カマロSS vs シボレー・コルベット・グランスポーツ」もはやタフでラフなだけじゃない! 禁断の同ブランド対決、勝敗の行方はいかに!? 【比較試乗】「シボレー・カマロSS vs シボレー・コルベット・グランスポーツ」もはやタフでラフなだけじゃない! 禁断の同ブランド対決、勝敗の行方はいかに!? 戦後日本の自動車市場で憧憬の対象であったマッチョでタフなアメリカンスポーツカーは、グローバルな合従連衡と相次ぐ日本撤退によって、いまやこの同門2モデルに絞られた。その根底に流れるスピリットに触れつつ、この難しいコンペティションを決着に導こう! 最新テクノロジーにより時代に適合したV8 排出ガスの削減は地球規模の課題であり、政権の意向はさておきアメリカも無関係ではいられない。クルマとも深く関わるため、エンジン排気量のダウンサイジングや電動化は不可欠。ところが、アメリ
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